この週末、名古屋、京都、大阪に出張が入り(3年振り)、金曜日の夜は京都に宿泊した。すっかりコロナを払拭したかのような風情を色々と感じたので、回顧も込めて軽くふれたくなった。

 

 宿泊したのは八条口のこちら。

 

 

 このホテルはコロナ規制が始まろうとしていた2020年3月第2週の金曜日に宿泊したことがあるのだが、このホテル自体が20年2月開業→ほぼ同時にコロナ規制開始(東京マラソン中止等)という最悪の巡りあわせに見舞われた。私の出張が中止にならずに予定通りにチェックインした際はスタッフの方が大変に喜んでくださったこと、さらに翌朝(土曜日)の時間調整用にに『コロナでどこもかしこ閉鎖されていると思うが、どこか見学できそうなところはないだろうか?』と相談すると一生懸命あちこちの寺社に問い合わせをしていただいたことを今でも覚えている。(結局、土曜日がひどい土砂降りで折角の頑張っていただいたご厚意を活かすことはできなかったのだが) まさに最悪の時節に入る前の出来事で、最悪を脱した今、京都出張の機会に恵まれたのであればこのホテルに泊まるのは自分の中では当然である。到着してみると繁盛を極めているようであり、特に外国人が多い。道の反対側のホテルも同様であり、インバウンド全開モードであることが知れた。宿泊費もそれなりに高騰しているようだが、失った年月の売上を挽回しなくてはならないし、そもそも需要が供給を超過しているのであれば当然のことでもある。どんどん稼いで下さい。

 

 翌朝は当然朝ラン。京都はコロナの最中の20年秋、22年GWにも行っていて朝ランもしているが、この時は行っていない下賀茂神社が距離的にも適当か、ということで走り出す。普段は鴨川沿いの河川敷を使うが、今回はできるだけ高瀬川沿道を使うことにした。

 

 

 

 

 まだ6時前だが、梅湯 | 【公式】京都銭湯 京都の銭湯100軒以上をご紹介 (1010.kyoto)お風呂屋さんの開店を待っている人々がいた。コロナ禍の間は営業ができなかった時期もあったことだろう。並んでいるのは近所の方々みたい。いいところに住んでおられる。

 

 五条通りにこういう像があることを今回初めて気がついた。

 

 

 河原町から北側は飲食店が多く、外国人、日本人を問わず若い世代が飲んだくれている。飲食店の営業時間をみると朝6時前になっているところも多いし、お店の営業時間と関係なく路上飲みを楽しんでそのまま空き缶、ゴミを路上に放置している輩も多い。大声で騒いでいるし、ここだけが異世界のよう。正直、好きではないが、これもコロナ終了後の光景と思えば、腹立ちもやや収まるか。

 

 三条を過ぎるとこういう人達はいなくなり、静かになる。二条の手前で島津製作所 創業記念資料館 | 島津製作所 (shimadzu.co.jp)があった。これも知らなかった。予約すれば見学できるようで、次回の京都訪問時には訪問してみようか。

 

 

 二条を越えると高瀬川は暗渠になったか見えなくなる。リッツカールトン(別格感が凄いな)の脇から鴨川に降りてそのまま北進を続ける。

 

 

 

 

 糺の森に入り、

 

 

 

 こちらを拝観。千円札を投入している方がおられた。私は五円玉。

 

 

 

 こちらは女性向けの神社ということだが、構わず参詣。

 

 

 

 ここから西に進み、同志社女子のキレイな校舎を外から見て(最初はここが同志社そのものかと思い込んでいた)、

 

 

 京都御苑に入る。(ここは大抵の朝ランで通過しているような気がする。ど真ん中にあるからだろうか?)

 

 

 そのまま東洞院通を南下して京都駅まで戻った。総距離15キロ。一週間前のウルトラの疲労がある中ではまずはリラックスモードの気楽ランではありました。

 

 この時間帯は概ね空いていた京都だが、大阪への移動前に三十三間堂をサクッとみて駅まで戻ってきた午前10時頃には清水方面のバスの待ち時間は15-20分。列の長さは50Mくらい。10時40分に新大阪に移動するために新幹線に乗車する際には車内からほぼ9割の乗客が吐き出された感があり、京都観光熱恐るべし。インバウンドだけでなく日本人客も相当に入り込んでいるようだ。

 

 

 この盛況ぶりをみると、コロナ禍の自粛モード3年間は一体何だったのか?と自問自答してしまう。今でも感染者数を気にしている人はいて、こういうニュースも出てはいるのだが、あまり重視されていないような感触はある。この数字を取り立てて議論したい人もいるだろうが、人々はこの種の議論に辟易としているのではないか?

 

 

 他の人のことを私がいうのは変だが、私個人は『経済をまず戻そうよ』で一貫している。