奥武蔵ウルトラ個人編です。長いですがご容赦下さい。

 

 今回の私のラップはこう。仕上がり9時間55分だった。

 

~5キロ  3509
~10キロ 2917 10427
~15キロ 3613 14041
~20キロ 3020 21101
~25キロ 4232 25333
~30キロ 4512 33844
~35キロ 3822 41707
~40キロ 4554 50301
~45キロ 3946 54248
~50キロ 4232 62520
~55キロ 3431 65952
~60キロ 3821 73812
~65キロ 3441 81253
~70キロ 3829 85122
~75キロ 4156 93318
~ゴール  2102 95421
 

 2018年に参加した時はこう。表記フォーマットが上と違うがご容赦下さい。前回よりは抑制した序中盤で過度の疲労にならないように進めて、終盤で落ち込みを防ぎました、という総括になる。

 

5キロ 3039  10キロ 10003(2924) 15キロ 13119(3116) 20キロ 15930(2811) 

25キロ 23704(3734) 30キロ 31429(3725) 35キロ 40100(4630) 40キロ 42935(2835)

45キロ 50735(3759) 50キロ 54457(3722) 55キロ 61914(3417) 60キロ 65612(3658)

65キロ 73926(4314) 70キロ 82812(4846) 75キロ 91325(4513) 78キロ 93429(2104) 

 

「最近、絶不調かつ練習不足」

 2018年のウルトラは奥熊野—奥武蔵と入っているが、今年も同じ並びとなった。前回の経験は、コンディション作りとかレース運びに参照するところもそれなりにあったのだが、コンディションの方は今年は全くダメだった。5月のGWはそれなりの負荷の練習をこなしたが、第2週にやらかし第1号(酔って転倒して頭部強打)、翌週に第2号(胃腸炎発症で週末寝こみ)、第4週に3号(会社のレクリエーションイベントであるソフトボール大会に出場/ランニングシューズが土のグラウンドで滑り、またも転倒し、膝を激しく擦りむく)とこれでもかというほどマイナスイベントが相次ぎ、月間走行距離は200キロ未満。これほど準備不足でよりにもよって激坂界最凶悪レベルの奥武蔵にいくことになろうとは。 


「前泊状況」
 前日は坂戸駅近くのビジネスホテル宿泊。駅がやけに立派。東武線はインフラが東急に比べると広いし、余裕があるなぁ。とここは感心する。夕食も駅構内の中華でいただく。ランナーらしい人もチラホラはいた。

 

 

 他方、ホテルの室温が非常に高い。埼玉だからかホテルの特性か? 室温調整が難しかったが、まずまずの睡眠時間はとれた。前日としてはノーストレスで過ごせて悪くはなかった。

 「作戦思想」
 5年前のこのレースの当時、私はまだ富士登山競走に連年チャレンジ中であり、この時も登りを積極的に走り、帰りの下りは手抜きでこなそう。。。という発想でレースに臨んだのだが、前述のように登りで足を使い切り、残り15キロの下りを全く走れず、9時間34分を要した。今年は登りはオール手抜き、前半は超省力モードで最後はしっかり走りたい、そうはいっても10時間以内にゴールしたいな、とは思っていた。予測最高気温@秩父は26度ということで、その点は懸念があったが、奥武蔵グリーンラインは木陰が多く、気温上昇はある程度減殺されるだろう。どうみても走力が落ちているのだから保守を極めたレース運びしかない。

 

「送迎バスが来ない」

 坂戸駅始発の越生行に乗車すると車内は大会参加者ばかり。5時46分武州長瀬着の電車に合わせたバスの投入はなく、暫く待つことになるのだが、第1便が予定時刻よりも10分遅れでやってきて、しかも小型。既に越生行2番電車も参加者を吐き出し、列は100Mくらいに伸びているが、この小型バスではスタート時間までに回せる感触がない。私は第1便に乗れたが、現地着が6時25分でスタートまで35分しかない。

 

 トイレ、荷物預けを早々に済ませ、スタートエリアに入ったのが6時45分頃。この段階でも送迎バスが選手を運んでくるのだから、この朝の輸送は相当におかしかったのだろう。順当にスタート時間10分後ろ倒しの案内があったが、7時過ぎに到着した人達の焦慮はいかばかりであろうか?

 



「スロースタート」
 スタートして、まずは緩く走り出す。身体が重い。。早くも登りが始まり、さらにスローペースになる。頑張る気が全くないので、いわば手なりみたいな進め方で、意欲的な他の人々にどんどん抜かれる。

 鎌北湖に到着。周辺写真を何枚か撮影するが、そういうことをしているのは私だけ。他の大会、飛騨高山とか奥熊野とか参加したことはないけれど白川郷といった大会と違い、風景に破格感、特別感はないし、そもそも写真撮影をするウルトラランナーは案外少ないようでもあるが、最近の私は遅くなったこともあり、こういう余興もないとメンタルが辛いかな、と感じている。

 

 

 

 


 序盤は近いエリアを行ったりきたりする建付けである。この道をワープするとかなり楽になるよね、という箇所もあるのだが、当然ながらこの大会ではそういうことをする人はいない。20キロエリアでスタート地点周辺に再度戻り、ここから奥武蔵グリーンラインの往復に入る。住民がほぼいないエリアでもあり沿道応援はほぼ皆無だが、熱心な方々が時々現れる。

<鎌北湖の手前で応援していた三人の方々、ゴールにもおられた>


 

<鎌北湖を過ぎたところで私設エイドを出していた女性>



「坂に苦吟」
 鎌北湖の横をまた通る。前回の記憶は残っていて、この先が滅茶苦茶な急坂がある、絶対に走ってはならない、そもそも走る能力もないけどな・・・と自己否定モードで距離を踏んでいく。時々、関東平野を展望できるスポットが現れ、一息つく。

 

 

 

 激坂の果てに恐竜が二体いて応援してくれていた。すごく暑そうなのだが、大丈夫だろうか。お志は存分にいただきました。

 



 エイドにおにぎりがあるのだが、全く食べたいと思わず、以前の自分の食欲が既に失せたことを実感する。(2012年に出走した30キロの草レースでお団子を計12個食べきったことがあるのだが、どういう胃袋だったのだろう?) 果物ばかりいただいている。

 

 この時間帯のことをあまり記憶していないのだが、かなり高齢のグリーンゼッケンの女性が後ろで激しく転倒したらしいことは承知している。ものすごい衝突音があったので、頭部を強打したのではないかと心配したのだが、彼女、普通にその後も走っていた。また、30キロ過ぎのエイドで顔から出血している男性ランナーもいた。この人も転倒したらしい。下り坂がそれなりなので、足腰がしっかりしていないとか、足が上がらないといったコンディションだと転倒は発生するだろうか。5月に2回も転んだ私としてもよくよく自戒しないといけないな、と思ったものである。

 35キロ過ぎに先頭ランナーが戻ってくるところと行き会う。前回は40キロ過ぎでの先頭との遭遇だったので、今回の私は相当に遅い。せめて10時間以内でゴールしたいが・・・

「少数ながら超激熱応援」
 ノンアルコールビールを置いてあるエイドでは当然いただき、胃の元気回復を意図し、全エイドで被り水を頭、首、両二の腕にかけて体温調整には務める。他の人とのコミュニケーションがほぼないので元気がでにくいが、移動応援団が時々は出現する。折り返し地点のエイドで焼き鳥と夏姫さんがいなかったことを除けば例年と同じだっただろうか。

<例年通りというナース応援団>


<水着女性応援団>



<シャボン玉応援団>



<ずっと「ブラボー!」を連呼していた男性。のどが潰れないか心配だ。>



 恐竜さんペアはノンアルコールビールエイドにも出現。ご苦労様です。(この時は写真は撮れませんでした)

「やはり売り切れた脚」
 標高900Mまで上がって、さて残りは下り基調、頑張ろう・・・の筈だが、登りは相変わらずあるし、セーブしてきたはずの足の筋力も案外にやられていて、下り坂で痛みが脳天まで突き抜ける。こうなりたくないので、ヒールストライク系の着地を回避し、フォアフット着地を心掛けたのだが、超下りのフォアフットはふくらはぎへのインパクトがありすぎる。結局、ふくらはぎが張り、張ったふくらはぎが大腿四頭筋や腸腰筋をさらに引っ張り、下半身の疲労と痛みが募るのである。

<巨岩があって拝んでいるランナーが何人かいた。由緒は不明である。>


 折り返してノンアルコールビールのあるエイドでビールを再補給、直ぐに出発すると反対レーンをヨレヨレとくるランナー達から応援をいただき、私も「もうすぐビールがありますよ」と返す。この辺は私自身もコミュニケーションが元気を増進する、というサイクルでまずまず頑張っていた。ただ、このエリアにいたハワイアン女性のコスプレをしていた男性(老人)の話だと、この方々は制限タイムに対して相当に厳しい状況だろうとのこと。私自身、長くウルトラに出ているが、こういう後ろ向きの話を聞くほど遅いのは今回が初めてか。これ以上、遅くなるようだとこの種の大会参加自体も慎重に考えないといけないのだろうが、やめればやめたで体力、競技力は加速度的に失われる。なんだかんだ言っても、この競技はずっと続けるだろうな。。

 しばらくは一人道中。さっきまで周辺には結構な数のランナーがいたのに。前を追いかけているのか、後ろが迫っているのか、よく分からないまま距離が過ぎていく。とはいえ、エイドに到着すればそれなりの人々で賑わっているのがウルトラマラソンならではの情景か。
  
 終盤はマッチアップする人達が固定された感があるのだが、下りをしっかり走れない私は基本負け組。鎌北湖までは下り、下り、登り、下りというサイクルながら登りでそれなりに距離を詰め、あるいは逆転もできたのだが、鎌北湖(残り3キロ)からは下りしかないので、ここで一気に置いて行かれた。置いて行った人々の中には女性も相当数いる。この人達は登りを本当に走らなかったのかもしれないな・・・と顧みて自省する。他方、限界を越えてしまった人も若干はいて、嘔吐している男性と女性をそれぞれ1名みかけた。坂しかないので胃腸が他のウルトラよりも揺れてしまう、というようなことはあるかもしれない。

 このエリアは仏教系の建物も少しはあり、風情もあるので、若干撮影をする。この終盤のしんどいところで、撮影をする私は案外、悪くないのでは?

 

 

「抜かれ捲る最終盤」
 最後の2キロはフラットで私もキロ6分半くらいでこなしているのだが、ここでも猛烈に抜かれる。中盤でそれなりの距離があったはずの浮き輪をつけて走っている女性にもまくられた。このエントリーを書くために2018年の自分の記事を読んだところ、その時もこの女性に抜かされたとあるので、これで2敗ですか。他の大会でも戦っているのかもしれないので、DUVのウルトラマラソンのサイトでチェックしてみようか。

「仄かな満足感もあり」
 5年前比較で20分プラスくらいに収まったので、個人的には満足ながら、終盤で抜かれ続けたのは不本意。とはいえ、こういうものか、と総括はした。そのまま帰ろうか、と思ったのだが、埼玉医科大の学生さんがケアをしてくれているので、そこに行ってみる。どうせ30分待ちだろう、と思いきや、待ち時間なし、ということなので、ではお願いします、となった。担当になったのは女の子。おじさんの身で若い女の子に触ってもらって文句をいってはいけないのだが、今日この時だけはパワフルな男の子の方がよかった。なぜって本当にガチガチなので、痛みがまだ少ない内(この年齢だと真の痛みは2日後に発現するものである)に秘孔をぐりぐり突いてもらう方がいいからだ。やはり、女の子のタッチはとても優しい。優しいタッチでも神経の緊張の緩和には貢献するという話を行きつけの鍼灸院でも聞くのだが、優しいタッチが効いている感触が乏しいか。一通りしてもらって、「まだ何かしましょうか?」といってもらえたので(こういう大会後のケアでは初めて聞くセリフ)、「じゃあ、ストレッチを」とお願いする。今度は私が頑張りすぎて、ハムが激攣りして悶絶した。とはいえ、精一杯のケアに心が満たされるものはあった。

 夕暮れる中、駅への連絡バスを待っていると、ランナーがポツポツとゴールしてくる。

 

 

 これもよく考えると、他のウルトラではあまり見ない光景である。更衣スペースや送迎バスの地点とゴールは多くの場合は別の場所だから。眺めていると、序盤に積極的に登りを攻めていた高年齢男性が戻ってくる、あるいは浮き輪を腰に装着した男性(浮き輪女性の仲間だろうか?)も戻ってくるところだった。負けた感触の強かったこの大会だが、それでも私より遅い人はもっと多い。そういえば序盤で20代の3人組の男性達を抜かし、折り返し後に目撃もしたのだが、この人達のゴールも目撃したか。レースの結果は自分の絶対的なタイム比較ではなく、他人との相対的な評価で満足する方がいいのかもしれないな。

 最終順位をみると、とにかく出走者のレベルに圧倒される。自慢に聞こえると恐縮だが、年代別であれば私は結構大きな大会でもトップ10は当然入り、トップ5に入ることも普通にあるのだが、この大会では30位台である。同世代の健闘をみて、刺激されるものは多く、この夏の間にいろいろと頑張りたい。。。頑張りたいが通常のラン、筋トレ、柔軟ではもう追いつかないような感触が濃くて、方法論が見当たらないままである。朝、駒沢を走っている時に出現する高速ランナーに無理でも何でもくっついていくとか、久しくしていないインターバルとか心肺刺激系のトレーニングが必要だろうか。