4月23日の奥熊野ウルトラの個人編です。まず私のラップはこう。

 

~5キロ    3104        (登り:ペース緩め)
~10キロ  3012 10116   (8キロから下りへ)
~15キロ  2835 12952   (下り) 
~20キロ  2755 15747   (下り・・・全盛期より10分以上遅い・・・) 
~25キロ  3039 22826   (平地、楽に走る) 
~30キロ  3323 30149   (軽い登り基調、デポでジェル補給)  
~35キロ  3113 33303   (ここも軽い登り基調) 
~40キロ  3244 40546   (65キロの最後尾に追いつく) 
~45キロ  4101 44647   (激坂、走れない!)
~50キロ  3018 51705   (下り、足が疲れている。キロ6分を潜れない) 
~55キロ  3728 55433   (斜度16%の激坂含みの登り) 
~60キロ  3336 62809   (折り返し。前後ランナーとの位置関係が分かる)  
~65キロ  3156 70005   (下り。エイド補給等でペースを稼げない)  
~70キロ  3230 73235   (緩い下り、65キロ組の人々と並走も、彼らを千切れない) 
~75キロ  3520 80756   (デポでジェル補給、甘いものを受け付けない。下り基調のはずだがペースが出ない) 
~80キロ  3901 84657   (へとへと) 
~85キロ  4040 92737   (7キロの激坂開始)
~90キロ  4209 100945   (まだ登り)
~95キロ  3845 104828   (下りへ、最後の登りで65キロ組2人に差をつけたと思ったのだが)
~100キロ 3537 112504   (最後の2キロで100キロ組5人を抜かす。他方、抜かしたはずの65キロ組の一人には抜き返され、もう一人にもゴール間際で接近されるも辛うじて逃げ切る)

 

 全盛期と比較してはいけないのは分かっているが、登りも下りも走れず、足持ちは悪くはないが、弾けもせずでズルズルとペースが上がらない、という展開。走っていると目算が次々と崩れていくのを目の当たりにする感があり、残念な思いもレース中はあったのだが、気温は低めのはずがピーカンで日照に身体は焼かれ、また後半は向かい風が強烈でもあり、それなりに厳しいコンディションではあった。終わって数日が経ってみれば、それなりの満足度もあり、やはり参加してよかったなぁ、とは感じている。

 

 来年はどうするかだが、山形の山寺ウルトラと並行検討して決めるのかな、というところだ。

 

1.スタートは那智の滝

  このレースのスタートは那智の滝の滝壺前。観光で普通に訪問するところである。参加者は、各指定宿泊場所もしくは駐車場から送迎バスでスタート近くのバスターミナルに運ばれる。私の宿泊場所にきたバスでは、スタッフが呼び込みをしてくれることもなく(以前の参加時は宿泊場所の中まで来てくれたのだが)、参加者が宿泊場所の近くに駐車しているバスを見つけて乗車するパターン。特に名簿チェックもしないので、『積み残しがあるのでは?』と心配になる。この日は宿泊場所のロビーで待機したままの人が2名いたようだが、バス発車直後に慌てて出てきてどうにか間に合った。他の場所でも大同小異の事象があったのではないか? 運営水準が非常に高い本大会の数少ない瑕瑾かもしれない。

 

 スタート近くは標高300Mくらいで、風も強く寒い。周りのランナーを見るとウィンドシェル等を着込んでいる人が結構多い。私はビニール袋を被り、防寒。大して効かないがまぁよかろう。

 

 装備は、ウエストポーチに小さいペットボトル、スマホ、ジェル、塩飴のみ。スマホは例年は携帯しないが、今年は例年よりは遅いはずだから写真撮影してもよかろう。。。というもの。私なりにできるだけ道中の撮影に励んだつもりだ。以下、ご覧下さい。

 

 スタート地点まで階段を下りていき、祈願のお札を託し、開始前のイベントを眺める。いつものことながら、いい雰囲気。私はといえば、撮影に心を取られて、スタート前のストレッチは軽め。100キロ走るのにどれほど効果があるのかも不明だし、まぁよかろう。

 

(滝への入り口)

 

(滝に向かって降りる)

 

(夜明け前の那智の滝)

 

(御祈願)

 

(演奏)

 

(社務所)

(焚火代わりに暖をとるランナー達)

 

2.低調な序盤 ペースが上がらない

 スタートとなって石段を上がる。他の人々もガツガツ上がっていかない感じで、そのまま道路に出る。少しだけ下って折り返すのはいつもの通り。ここからしばらくは登りである。

 

 以前のようにサブ10を狙う能力はないと見切って、トロトロ走っていく。滝からの出口に戻ってくるとカトルス星人さんがランナーを見送っている。彼、この大会はガチでは戦わないのね。。その後、走り出したようで、4キロ過ぎくらいで抜かされた。走りの活発さが別物であった。他の人々にも概ね抜かれモード。白髪の女性ランナーにもまくられる。左手に布製の手提げを抱えたランナーにも抜かれる。随分レース歴が長くなった私だが、手提げを持ってウルトラを走る人は初めて。敢えて追おうとも思わないが、自分自身のペースが上がらないことも自覚できる。ここは頑張ってはいけない段階・・・と言い聞かせた。

 

 日が昇ってきた。きれいだなぁ。。。と撮影。他の人はガンガン走っていくが、スマホ起動、撮影のための停止でのロスはせいぜい5秒程度。タイムを争わない!と決めている以上、このロスは無視できるが、最後までこの心持を維持できるだろうか。。。ふと目線を下げると遥か下にランナー群がみえる。序盤にして前後の差は相当に開いている。

 

 

 

 下りに入り、前後の順位が固定し始める。20キロ通過時点で、全盛期対比でプラス10分。。。この時点では下りも小股歩きのセーブモードであり、疲労感は全くないが、65歳以上の参加限定のある80キロ組を追い抜くのに手間がかかり、それはそれで不本意。この時点で早くも歩いている80キロ組のランナーさんが普通にいる。この人達の完走は相当に難しそうだが、以前のようにまとめ抜きもできない。既に散開してしまっている80キロ組をポツポツと拾っていく風情。

 

 以前、ナイスランをしたコースを劣化してから改めて走破する。。。まさに全時間帯で衰退を実感させられることでもあり、気が滅入った。

 

 21.7キロ地点の第5エイド(井鹿会館)で豆腐、24.2キロ地点の第6エイドで目張り寿司をいただき、空腹が癒える。ただ、目張り寿司が以前の印象よりもショッパイ感じがしたのは体調のせいだろうか?

 

3.中盤へ:撮影活動

 さて、お腹が落ち着き、大体のペースも安定したところで、そろそろ水を張ったばかりの水田地帯である。写真撮影にも意を払おう。

 

 

(第9エイドの出合橋の巫女さんコスチュームの方々)

 

 この頃はすっかり前に見えるランナーが固定していた。エイドで追いつき、彼らがやや先発する⇒次のエイドで追いつき、滞在時間の差があってか差が詰まる・・・という流れが続く。自分のコンディションは、特に疲労感もなく、体幹もしっかり維持できている。時々、踵着地の感触があるのでフォアフットに矯正する、腕は良く振れているが故に左上腕部に凝りも感じる。。。というくらいで、悪さはないのだが、パフォーマンスが改善しているという感触もない。ただ、相対的な順位は上がり始めたのかな?という印象はあった。

 

 35キロ過ぎのエイドでは例年はビールの提供がある。今年も食欲維持、胃の疲労対策でいただこうと思っていたのだが、今年は提供なしで落胆。ここは65キロ組のスタート地点でもあり、過去3回の参加の内、2回目と3回目の参加時には彼らのスタート前に現着したのだが、今年はとっくにスタートした後で閑散としていた。それでも直ぐに始まる登り坂をこなせない人達が前方に現れ始め、少しずつ躱していく。初回参加時はスタート直後の現着だったせいかゴボウ抜きで元気も出たのだが、今年は本当に少しずつ、しかも抜かす人達が申し訳ないけれど、『その体形で65キロはいかにも無理筋』という風情で抜かしてもいい刺激にならない。。。屈折を抱えながら、いよいよ40キロ過ぎの激坂(ざっくり4キロで260Mの上昇)に挑むことになる。

 

(棚田出現)

 

(激坂を先行するランナー達、この後、抜かした)

 

(坂地帯であるがゆえに棚田が多い)

 

 坂に取りついてみると、やはり往時の登坂能力は消えていた。そもそも2015、16年は富士登山競走のために相当に登りの練習をしていた頃で、今にして思えば自分史上の中でも最強の登りの能力があった。今も坂の練習はしていても、追い込み方が違っているのだろう。

 

 65キロ組のランナーさんから話しかけられることもある。ご自分の愛車と同じゼッケンらしく「いいナンバーです」と言われたのが一回、私のランシャツ(秋田内陸リゾートカップの参加賞)を見て「あ、秋田のシャツ! 今年、最後だけど参加するの?」「前週の丹後にエントリーしているんですよ、ちょっと無理かな」「僕も丹後にエントリーしたけど、最後だから出ようかと思っている」「それはすごいですね」といった会話をしたのがもう一回。ちなみに私のランシャツについて言及をいただいたのはこの1回だけだがそれでも嬉しかった。

 

※ちなみに、レース後1週間が経過したが、筋肉の痛み等はないが、全身の疲労感は抜けておらず、100キロの連戦は自分には無理だろうなと判断している。秋田内陸の後継大会をどなたかが主催して下さればとは思う。

 

 ここでも後方を振り返ると、ランナー群がポツポツと下の方にいて、歩いている。自分の動きはこのレースの中では悪くはないはずと言い聞かせて、どうにか気持ちを維持しようと努めた。

 

(里山を下る)

 

 

 タイムが低調なまま、里山を下り、50.9キロ地点、鹿肉のある円満地公園エイドに到着。この大会のほとんどのエイドで、実名で呼ばれる。「東京からわざわざありがとうね」「いえいえ、こちらも開催してもらって嬉しいです」と話すだけでも気が晴れる。このエイドではヤギが出迎え(このヤギと2ショットの写真を撮ろうとした女性ランナーはヤギに嫌われてしまい、ショットの機会を求めてヤギと戦っていた・・気の強いヤギだったのだろうか)、本大会に関わりの深い高石ともやさんが演奏をして励ましてくれる。

 

 

 

 体調が少し良くなったような感触もあり、これからの後半戦は少しだけ頑張ろう!と心が強くなった一瞬でもあった。

 

 なお、この大会のルートと高低はこんな感じ。

 

 

4.中盤戦2:折り返し前後でランナーとの距離関係を確認

 第16番エイドである53.9キロの小坂村エイドに到着。ここは往復共用エイドで遥か先を先行する高速ランナーと辿り着いた鈍足ランナーが交錯する。イチゴをいただき、被り水をもらい、復路を辿る先行ランナーを見送る。うらやましいし、自分の劣化が恨めしい。ここから登り5キロをこなす。下ってくるランナー達との差は1時間くらい、全盛期の自分よりは速いか。。。といっても詮無い思いがわき上がる。次の56.2キロの平野バス停エイドでブルーベリージャムのせヨーグルトをいただく。何となくハイな感じもあり、やってくる先行ランナー群に声掛けをする。疲労が強ければそもそも声掛けなどできないので、悪くもない状態ではあったのだろう。

 

(折り返し前から見下ろす棚田)


 

 手提げ袋の男性が戻ってきた。距離差は2キロ程度か。反対側車線には女性も多いように感じる。この程度の距離であれば、逆転は可能・・・それを楽しみに走ろう。やがて前方からカトルス星人さんが戻ってくるのが見える。この辺にいるの?と意外な感があるが、彼は乳母車を押しながら走っていた。今回は度肝を抜かれることがしばしばあるなぁ。お子さん、気持ち悪くならないのかしらん? まさか下から押して登ったわけじゃないよね? 破格すぎる光景であった。

 折り返して、80キロまでは下り基調のはず。。。はずであるが、過去、この区間でタイムを圧縮できたことは一度もない。今回もタイム悪化を防ぐのが精いっぱいであろう。向こうから序盤で私を抜いた白髪女性がやってきた。いつの間にか追い越したか。私によくあるケースで、エイド滞在時間の差で先行者を追い抜くことがある。今回の私はエイドで話をしたりもしているが、60キロ近く走ればエイド休憩時間が長くなる人も出てくるだろう。序盤に私を先行していた男性2人も向こう側から来着、しかも結構な距離がついている。いずれにしても、誰かを抜かした、差をつけたと認識できるのはうれしい。
 
 下っていき、第19エイド(第17エイドと共用)に到着。ここは61.2キロから91.2キロへのワープ地点。何人かがワープするのを目撃した。まだ諦めるタイミングではないはずだが。。。さらに本格的な下りに入り、反対側を100キロ組が大挙上がってくるのが見えた。「速くて羨ましい」といってもらう。

 復路小坂村エイド(63.7キロ)では何人かと同時出発。うち一人は前半、私の近くにずっといた人だが、このエイド出発後に差をつけた。赤シャツの男性は元気よく距離をつけられたのだが、ここで頑張る必要もないよね、と静かに見送る。結局は抜かした。

 

5.他のランナーと並走する後半戦

 過去3回の参加ではこの辺からほぼ単独走になるのだが、今回は遅いせいか前後に誰かはいる。直線になると前方数百Mの範囲に5人が先行しているのが分かる。恐らく後ろにも同様にいるのだろう。65キロ組と接近することが多くなる。この大会のゼッケンは完走回数がゼッケンに表示されている。100キロのみの完走だと整数になるが、65キロ完走は0.7ポイント、80キロ完走は0.8ポイントが付与されるので、ゼッケンの端数でどういう経歴の持ち主か想像できる。5.7の方は5回の100キロ完走と1回の65キロ完走。。。ああ、100キロがきつくなったので65キロに転向したのね・・・というわけだ。そういう人々と混走するとペースを合わせていいのか良くないのか判断がしにくい。なんといってもこちらが70キロの段階で向こうは35キロしか走っていないのだから。。背中に張り付かれるのもどうも嬉しくない。

 

 この写真は渓流の写真も撮影するかということで、手前でスマホを取り出し、指で画面をスライドしてカメラ起動させようとして上手くいかず最適ポイントをやや過ぎて撮影したもの。本来であれば最適ポイントで停止して起動させればいいのだが、この時の私は抜かした筈の65キロ組の男性に張り付かれていて再度抜かされるのがいやだった。そのまま走り続けて漸く起動、3秒停止、撮影と進めて位置関係を維持しながら進んだのだが、まぁ停止すればよかったなぁ。。。やはり精神状態が疲弊していた。遅いランナーが相手であれば早晩は抜き返せるのに、そうしないんだから。。。もう。。。結局は枯れ切れない自分がいた。この時間帯は強烈な逆風が吹いていて、心底閉口していた。疲労感を増幅させ、一手間二手間を惜しませたのだろう。


 
 76.1キロエイドはデポポイントでもある。写真は結構撮ったからスマホを返却しようかとも考えたが、まだ撮れるポイントはあるかもしれない、応援同行の妻にゴール到着時間の遅れを一報する方がいいかもしれない、と考えてそのままキープする。ということで、まず一枚撮影。無理くり感があるなぁ。

 

 

6.足が売り切れ模様の終盤

 さてラスボスの7キロ坂に入る。残り15キロ。14時20分を回っていた。妻は15時半以降16時前にゴールにくるだろうが、間違いなく私のゴールは16時を相当に過ぎる。ゆっくり来てちょ~と電話をするがド田舎過ぎて全然つながらない。LINEで「苦戦/16時過ぎ見込み」と動かない指を酷使してどうにか打つ。(しかし結局のところLINEもつながらず、彼女は15時過ぎにはゴールに到着してしまっていた Orz)

 

 

 坂道エリアに入ってまずは100キロのランナーを一人抜かす。彼はもう足がないようで私にエールを下さった。私もへとへとだが、この坂のためにある程度は充填してきたつもりで、走ったり歩いたりを繰り返す。2016年はこの激坂をキロ7分で押し渡ったのだが、本当に自分史上の中でも異常なパフォーマンスではあった。今は地道に距離を稼ぐのみ。誰にも以降は会わずに『あと2キロ』の看板に至る。「まだ2キロ? 確か最後の1キロは滅茶苦茶な登りだったよなぁ・・・」とぶつぶついいながら前進すると65キロ組の男女2名に追いつき、追い抜く。

 

 第30エイド(91.5キロ)で先行していた別の65キロの女性に話しかけられる。この大会では各エイドで私の住所(東京都)がなぜか話題になったのだが、ここでも話題にされ、この女性に「随分と遠くから」と感心される。そこまで遠くはないと思うのだが、話しの種になるのであればそれはそれで結構なこと。但し、彼女はここから私をぶっちぎっていった。

 

 ここからは下降するだけだが、もう大腿四頭筋が死んでいて碌なスピードが出ない。95キロ過ぎで山道で置いてけぼりにしたはずの2人組の内の女性にあっという間にまくられ、実に不本意である。それでもめげずに足を繰り出していると、残り2キロで前方に100キロ組のランナーが複数歩いているのが目撃できた。

 

 俄かにやる気が戻ってくる。この人達はもう走れないようで、この競技が走力をどこで失うかを競う競技であることを再認識した。たった2キロで5人を抜かして、最終盤でタイムはともかく順位は驚異的な挽回を果たし、気持ちが揚がる。そのままゴールの補陀落山寺に誘導され、ゴール前で妻が動画撮影をしているのは認識できた。花を渡され後はゴールインするだけのところ、後ろに何か気配を感じる。ここで抜かされたら気分が悪すぎるので、少し鞭を入れてどうにか逃げ切る。動画をチェックすると私の3M後ろに65キロ男女二人組の男性の方が迫っていた。。。ここまで接近してしまうとゴールテープを切れないからもう少しこの人は余裕を持った方がよかったのではないかなぁ。。。まぁ自分のことではないので、どうでもいいことではある。

 

7.ゴール後はまったり

 ゴール後の給食は例年のプリン、うどん、ぜんざいに加え、アイスクリームとヨーグルトが提供されていた。これもいつものことながら、温かい食べ物に食欲を全く覚えないので、アイス、ヨーグルト、プリンをいただく。暫く他のランナーのゴールシーンを眺める。これが結構、気分のいい時間である。当たり前である。要は私が勝った人々のリストの確認だから。その後は無料の温泉で身体をきれいにして、ワゴンタクシーでホテルに送ってもらった。今にして思えば、このタクシーに妻を同乗させてもよかったみたい。ランナー駐車場に送ってもらった選手さんは奥様と同乗していた。同乗しないと帰ることができないのだから当然か。また、序盤で私を先行した白髪女性ランナーさんは私が入浴してきれいになって乗り込んだタイミングでレースウエアのまま同じタクシーに乗り込んでいた。ということは最終的には40分以上の差をつけたのだろうか。これもまた気分のいい話である。絶対的なタイムで後退しても相対順位に慰めを見出す。これはランナーのならいともいうべきもの。この瞬間はこれくらいは許容されるはずだ。

 

 いろいろと不本意なところもあったが、レース1週間を経てみるとまあそれなりに頑張ったんだろうな、と総括はしている。6月に奥武蔵ウルトラがあるが、もう少し登坂能力をてこ入れする必要はあると思うので、暫くは尾山台や田園調布、トレランをしていくつもりだ。他方、全盛期対比で90分の増加ということはキロ当たり54秒もペースが悪化しているわけで、さすがにそこまで自分は遅くなっていないはず、何かやりようもあるはず、とさらに足掻きたい。タイムを求める煩悩はそうそう消えてくれそうもない。

 

※ この後、前後観光編をまとめて披露します。