東京マラソンが終わったので、映画鑑賞頻度を元に戻そう、さて何を観るかな、となると、アカデミー賞ノミネート作品からかとなるのが普通の流れ。作品賞最有力は『エブエブ』になるのだが、視聴者のレビューをみるとひどく悪い。マルチ人種、LGBTQ配慮織り込み必須となると、息苦しいし、映画として最善の布陣でないケースもあるだろう。こういう配慮は流石にハリウッドだけでしょ? 邦画、インド映画、フランス映画でこういう考慮はしていないし、空気や世間に阿る感もある、映画ってそんなに行儀のいいものか?等々思うところあ多々ある。『エブエブ』視聴は先送りとなると、対抗馬は7部門でノミネートの『フェイブルマンズ』か。少なくともマルチ人種、LGBTQ配慮モードはなさそうである。映画が大好きで、上昇を目指す人の話であれば、観ていても爽快感はありそう・・・と見込んで、109ライズに出かけたのである。

 

 結果、大分様相の違った映画ではあった。私の評価は5/10。観たい路線とは違っていたね、というところ。スピルバーグと彼の作品が大好きな人にはフィットしそうだが、楽しい映画を鑑賞したい人には合わなさそう。今時点のYahoo映画レビュースコアは3.6。有用性の高いレビューは絶賛モードなのだが、平均点は並み。この理由は要は作品の方向性と鑑賞者が合うか合わないかだろう。

 

 あらすじはこう。

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初めて訪れた映画館で映画に魅了された少年サミー・フェイブルマン(ガブリエル・ラベル)。その後彼は8ミリカメラを手に、家族の行事や旅行などを撮影したり、妹や友人たちが登場する作品を制作したりするなど、映画監督になる夢を膨らませていく。母親(ミシェル・ウィリアムズ)が応援してくれる一方で、父親(ポール・ダノ)は彼の夢を本気にしていなかった。サミーはそんな両親の間で葛藤しながら、さまざまな人々との出会いを経て成長する。

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 以下ネタバレありの感想。

 

・このあらすじは若干不正確で、母親は息子をすごく応援しているというよりは自分の恋愛に対する情動比率が圧倒的に高いし、父親は息子の映画志向を経済的にも支援はしている。どちらも息子の映画に関わる活動については、邪魔をしなかった、適度に支援した、というくらいかな。

 

 

・題名が『フェイブルマンズ』(=フェイブルマン家)であり、スピルバーグの成長譚だけではない。家族の寓話集というところか。2時間半の視聴時間中、『何を私は観ているのだろう?』と自問自答を何回かしたものだ。

・芸術は身を切り裂くもの、というメッセージが随所に出てくるのだが、誰の身も切り裂かれてないですがな・・・母親は芸術派、父親は科学派という分類らしいが、母親が芸術(ピアノ)への思いに身を焦がす、家族を捨てたくなる、といった情景はない。母親のおじもそういうメッセージを語るが、芸術故に処世をしくじったようなシーンもないような。主人公のフェイブルマン自身も映画に没入して何かを失うというシーンはなかった。

・スピルバーグ作品愛好者であれば、『ああ、これは○○のオマージュか』とか頷けるシーンがいくつもあるようで、私もいくつかは思い出すものがあるのだが、愛好者程すごくうれしいわけではない。結局、作品としての完成度の方が大切だと思うから。オマージュを連投させても映画が良くなるわけではない。

・ユダヤヘイトが少なくとも2回は出てきて、主人公にも影響があるのだが、当時の米国だとユダヤヘイトがここまであからさまなの? 映画の中で描写するにしても1回でいいのではない? 主人公は中学生の頃から仲間を映画のキャストやスタッフとして組織できる器量の持ち主であったわけで、そういう人物がヘイトにそこまで打ちのめされるの?とか思ってしまいました。ハリウッド映画がマルチ人種、LGBTQ尊重をかざすのであれば、『俺たちはユダヤのヘイトのひどさをアピールしても別に構わないよね/いや、ひどい青春時代だったんだよ、それくらい言わせてよ』という情念が背景にあるのだろうか。

・両親役のポール・ダノとミシェル・ウィリアムズの演技は超高水準。前者の問題の所在を分かっているかもしれないが敢えてそこをやり過ごしているの?という風情、後者の情動の熱さ、もろさの描写には引き込まれる。そもそもクレジットが主役よりも手前です。

 

 各シーンと私の嗜好が食い違ったために評価は下がってしまったのだが、それは作品の咎ではない。視聴者を選ぶ映画なのだ。