ネタが枯渇された時のストック用という風情で時々取り上げられる『マラソン大会不人気化』のニュース記事。この種の記事の多くに、何となく、栄華を享受していたマラソンを揶揄したいマインドでもあるのでは?と勘ぐってしまうが、この記事は真面目に書かれている。但し、この記事は掘り込みが甘くて、参加料金上昇にのみこの原因を求めているが、コメント欄には流石に実体験に基づいた分析が相当数ある。

 

 私も以前、こういうエントリーを書いた。

 

 

 ランナーのコンセンサスは、煎じ詰めれば「原因は費用対効果の悪化」ということになる。

 

・中止時の返金額が少ない。(ベテランランナーほどこの種の経験が増えてしまい、不信感が増幅している)

・エイドの簡略化と参加料のバランスが悪化(給食の削減とか)

 

 篠山の場合、開催時期が3月5日であり、関西圏の主要マラソンと開催日が同日もしくは前後週というケースがあるため、通常年であっても参加者の取り合いになるところはあったはずだ。従来はコストリーダーシップで対抗できていたのが、1万2千円の参加費、交通費もそれに乗っかり、田舎のコースであることも相まって、参加に躊躇しても仕方がなかろう。

 

 「中止はありえない」と市長が力説するのであれば、「感染対策のための特定施策はしません(=費用は可能な限り据え置きます)、「地域の感染者数に関わらず必ず大会は開催します」、「ひどい荒天等不可抗力事象の場合でも参加費は半返しにします」くらい言い切る必要があるだろう。

 

 体調チェックアプリ、管理表の提出等を廃止することでどれくらいコストセーブできるのか私には分からないが、その他物価上昇起因でないコストアップ要因を再チェックしてみてはどうだろうか? ランナーは背中を押してもらえば、また大会参加時の楽しい記憶を思い出すのではないか。

 

 コロナ対策とは趣旨が違うが、SDGsに沿ってマイボトル、マイカップ推奨、紙コップを廃止した湘南国際の評価は現時点で58点台と低水準。

 

 

 この新機軸については賛否両論がある。言い換えれば不満な人々が少なからずいるということであり、私のように取組の合理性に疑義を感じて出走をしなかった人々もそれなりの数(この層は大会評価には参加できない)であることを考えると、広い支持を受けているとはいえないのではないか。ある種の大義を主張するのはもとよりありとしても、負担とのバランスが崩れるとみなされると、従来並みの支持は難しい・・・

 

 両事例ともそういうことなのだろう。