22日に行われた秋田100キロの個人当日編です。

 

 速報+総括編で書き漏らしたことをまず追記。レース後、ケアブースで調整してもらうことができる点、大いに評価。他方、参加賞はTシャツが相変わらずダサい。完走するといただける品には「秋田杉をつかった完走盾」と「お米パック」があるのだが、前者は写真のようなサイズであり、持て余す。大変恐縮だが、帰宅後直ぐに仕舞い込んでしまいました。

 

 

 では、当日の朝から時系列で。

 

「距離表示誤差に困惑」

 闇の中をとぼとぼ歩いて10分弱。スタート地点につくと、暗闇に立つスタートポールがあるのはお約束の光景。中間地点とゴールに送る荷物を手放すと、することはない。この日の私の身体だが、『股割』のやりすぎ(?)で右腰を直前痛めてしまい、走行距離不足。また8月も海外出張やら猛暑や気合不足や何やらで月間走行距離は300キロを少し越えただけ(例年の8月は400キロ前後はこなすものだが)で、自信の源となるものがない。他方、この日の秋田はマラソンのコンディションとしては滅多にないくらいの上物であることが予想できた。曇り、もしかすると小雨、無風、冷涼。基礎総力の減退はあっても、タイムを狙いたいところである。結局、『秋田まで来たのはいいタイムを取りたいからだろう?』ということで、過去のようにキロ5:40くらいで押していくことにする。ただ、ここでいう「キロ5:40」だが、GPS表示値を素直に参照することはできず、大会距離表示ベースでないと回らなくなる。以前の大会参加記にも書いたが、この大会の距離表示は、相当に過小(実距離よりも少なく出る)なので、GPSだと5:30くらいでないとダメか。実際、精度が過去2回に利用したGPS時計より改善したバージョンで参加した今回のGPS表示距離の仕上がりは101.1キロだった。

 

 号砲なってそろそろと進む。奥熊野で何回もみかけた緑のカトルス星人さんが今回は被り物なしでかっ飛ばしていくのが見える。他のランナーのことは気にせず、静々と。。。。昨日の夕食をいただいた食事処のご主人が手を振っているのはみえた。朝4時半過ぎにご苦労様です。

 

 夜が明けてきて、5キロ通過。GPSでは5.3キロ。道路の温度計があって、15度を表示している。(その後、14度の表示も見かけた) ちらと小雨がぱらついているようで、やはり絶好。前回参加時、序盤は飲み物を持つべきとこのブログでも書いたが、今回は小さいお茶のペットボトルに水を入れて、序盤の渇きをしのぐ。スタート地点に給水サービスがなく、最初のエイドは10キロ過ぎだから、必要な備えだろう。10キロ到達は57:15。GPS距離表示は10.7キロ。分かっていても、しんどい話である。

 

 人口が多いとはいえないエリアだが、農家がポツリポツリとあり、応援が案外途絶えない。この頃の私は極めて好調で、応援に返礼ができている。どんどん前に出ていく人たちの中では冷静さを維持しているつもりで、足の温存を十分にできているはずであった。

 

「あちこちに痛みの兆候」

 20キロを過ぎた頃、右足首の内側に軽い痛みが生じた。何か着地が変なのだろうか。左の足の親指外側も擦れているような気がする。うーん。この日の私のシューズだが、NEWTON起用はいつもの通りながら、靴紐を久しぶりにカタピランに代えている。以前も利用していたので、特に試し履きはしていないのだが、窮屈なのだろうか。とりあえずは、着地の有りようを変え、左足については足指をくっつけるようにして凌ぐ。

 

 エイドは潤沢な種類の飲み物、食べ物がある。この大会参加者はゆっくりでいいのであれば、かなりのグルメをエンジョイできる。(※制限時間がゴール地点で13時間と全ウルトラの中でも最短なので、実はグルメ旅にするのは難しいかもしれない) 私はタイム狙いになっているので、最初の2か所はドリンクのみ。3か所目以降は秋田米のおにぎりをいただくだけにしている。エネルギージェルと塩飴は10キロ毎の補給で十分なはずだ。

 

 35キロ過ぎから大覚野峠への登りが始まる。最高標高は500M程度。高野山に比べるとどうということはない。30キロ時点でも標高200Mまでは徐々に上がってきているわけだから。さすがに5キロ30分を超過するが、許容範囲。峠の手前で2年前もいた巫女さんエイド(公務員さんなのかな? 彼女らの話しぶりから推測すると)から元気をもらい、「ガッツ、皆さんガッツです!」と鼓舞しながら登りをこなす。

 

 下りは手抜きに徹し、周りのランナーがどんどん抜かしていく。脈拍をGPSでチェックすると落ち着いてきた。足の様子を自己検証するが、極端な疲労感はない。2018年の奥熊野で50キロ到達時点で一杯感があったのとは違っているという自覚はあり、50キロ到達は過去最速の4時間58分だった。(最速といっても数分の差でしかないが)

 

「減退した後半戦」

 残りの50キロは過去2回とも5時間未満でクリアしており、路線には乗ったはずだったが、実はそうではなかった。

 

 まず、カタピランがどうにもきつく感じてしまい、ストップして緩める。これ自体は大して時間のかかる話ではない。靴紐だと結び直しが必要だが、カタピランだと文字通り緩めるだけだ。果たして足は楽になった。ここでも2018年奥熊野でこの時は靴紐が緩すぎて足爪が傷んでしまったのについに締め直さなかったシクジリへの反省は生きている、と思っていた。ここまでを総括すると、ペース抑え目、補給は適宜、トラブルには即時対応とうまく立ち回っている、ということになるのだが、ここから足が劣化した。

 

 50キロ地点は50キロ組のスタート地点でもあり、盛大な声援をいただき、気合が入った。しかし、筋疲労は顕在化している。うーん。。。

 

 ペースダウンが居着いてしまい、しばらくは隠忍自重モード。足の回復を待つのだが・・・エイドのスプレーをかけてもらい、当座の凌ぎにはなるが、持続的なものではない。後半になり、過去2回の経験からすると、「距離表示>実距離(GPS)」となるはずなのだが、今回は特にそういうこともないまま推移する。60キロでサブ10ペースの6時間を45秒超過する。。。まぁ、距離表示の問題は、どうでもいい。。要は足が戻るか戻らないか。今回はキロ6分ペースには戻らないと自覚した。なぜそうなったか? 加齢による減退か。流石にこの日のコンディション、このコース設定、エイドの厚さでこのタイム悪化は自分以外に責めを負うべきものがない。

 

 その後も、5キロ当たり35分、32分、37分と推移。目標は10時間半に下方修正することにするが、計算してみるとそれも結構大変そう。とにかく16時45分の空港バスには余裕で間に合いたい。後夜祭のビールと料理を味わいたい。お風呂は無理だと思うが。。。最初の参加の時のお風呂はゴールから10キロも離れたところだったが、その時は風呂に入り、戻りの車を結構待ち、その上でビールときりたんぽを食べた。大したものだ・・・今回は最悪でも11時間レスでゴールしないといけない・・・プランCまで視野に入れながら、休まず足を進める。俺って健気じゃん。。。他のランナーだがこの辺りは抜いたり抜かしたりはあってもほぼ固定。スーパーマンのコスプレをした女性には抜かされて、そのままだったか。

 

 75キロのエイドでスプレーをかけ、靴紐をさらに緩めていると、棄権者を満載したバスがやってきた。仕上がり13時間だからギブアップも直ぐにしてしまうのだろうか。恥ずかしい話だが、疲労困憊で乗りたくなった。セーブしているようでもそうではなかったようで、エイドで補給をする時に机に手をつくと、微妙に揺らいでいるのが分かった。これって、2018年の奥武蔵で生じた現象の初期段階では? やだなぁ・・・こうなるのだったら、手前のエイドにあったケアブースで施術してもらえばよかったと後悔しても最早手遅れ。

 

「一時的な復活と停滞・・・しんどいままゴールへ」

 80キロのエイドだったと思うが、秋田名物ババヘラアイスを提供するエイドがある。前回は大慌てでいただいたが、今回はじっくり味わう。エイドの女性スタッフが「スプレーする?」と訊いてくれたので、「すみませんが、腰から下を全部お願いします」「OK!」となり、アイスを食べている間、ずっと2人がかりでスプレーをしていただけた。見ようによっては随分な光景ではある。

 

 これで相当に元気が戻り、80-90はキロ6分半未満でこなす。私の中では残り10キロになれば、自然気合が出てくるものだから、仕上がりは10時間半を少し越えるくらいかな、と思っていたのだが、そうはならない。

 

 90キロからは峠に向けて登り、大館空港下のトンネルを潜ってから鷹巣に向けて下りとなる。この登り、4年前はびくともせず、2年前は苦戦をしたのだが、今年は足の売り切れもあり、大苦戦。キロ7分超が普通になっている。90キロまでで抜いた人達に再度抜かれる。トンネルの中の自動車の音響が耳に突き刺さり、気分が下がる。97キロ手前の信号で引っかかり、町中に入ってもゴール直前の信号で2分足止めを食い、10時間30分台からさらに溢れることが分かった。これは・・・2014年のえちごくびきのと同じくらいのタイムか・・・信号待ちで50キロ組3人に抜かれるが、うち一人の男性に肩を叩かれ激励を受ける。うれしいですね。。。ここからは数百M、足取りも軽くなり、そのままゴールした。

 

「ゴール後の楽しみ」

 ゴール後、マッサージを受けようとブースに行くと、「汗がひどすぎる」として着替え先行を指示される。2年前は何もいわれなかったけれど。。。まぁいいや、と荷物受取の傍でそのまま着替え。今年初めて知ったのだが、実は更衣室は後夜祭会場の方向にあるとのこと。積極的に案内してほしいです。着替えて、あのヘビーな完走賞をもらって、ブースに行く。待ちは一人。直ぐにゴールしたばかりの女性がケア希望を表明しにやってくるが、彼女は汗がひどくないのでそのまま列入りを認められる。どういう差なんだよ?!これ? ぷんぷん。で、施術してもらって、少し楽に・・・これで心置きなく後夜祭。まずはビールときりたんぽ。ランナーズブースに席をもらうが、目の前の男性(太鼓腹)は目も合わさない。棄権? 前々回は気が付かなかったが、午後3時―4時にこのエリアにいるのは必ずしも完走者ばかりではない。中には心が折れて荒んだ棄権者もいるようである。。。ということで、私も静かに飲食をする。まだバスの時間には余裕があり、今度はビールとおでんをお替り。ビール2杯目は私の酒量からすれば危険水域だが、やや自暴自棄なところもある。ふとみると、序盤競り合った女性部門4位の女性がうどんをすすっていた。相当速いタイムでゴールされたのではないだろうか。

 

 

 

 さて、これで一段落だな、と大太鼓を眺めてから空港バス乗り場に移動する。

 

  

 

 乗り場にまだ座るスペースはあり(3人分しかないが)、どっこらしょ。。。バスを待っていると、2年前、まさにこの場所でお話しした男性がやってきてバスの出発時刻を訊く。「16時45分ですよ(この時16時30分)」「2年前、ここでお話をしましたね」「はい」といった会話を交わす。この男性、2年前の会話では初めてこの大会で10時間を超過したということだったが、今回は12時間近く要したのだろうか。いかに足自慢でも老化が努力を上回るのだ・・・

 

 バス乗車中、いきなり気分が悪くなった。やはりビール2杯はやりすぎだったか。。。空港での待ち時間、機内とずっと辛く、今回のレースを象徴していた。。

 

 最早、何をしても処置なし感がある。心の折り合いをつけながら走るしかないだろう。