愛媛旅(5) 上芳我家住宅 | 福田町電車区

▲ 愛媛旅二日目。昨日は内子座を見学した後、そのまま内子町内で宿泊し、翌朝は内子の街並み散策です。

 

▲ 一件目は「上芳我家住宅(かみはがけじゅうたく)」。写真を撮り忘れてしまい、ストリートビューから拝借です(^-^;)

 

▲ 内子の木蠟生産の基礎を築き、その発展の中心となった芳我家の分家で、文久元年(1861年)に出店を構えました。本家を「本芳我家」と呼ぶのに対して、こちらは「上芳我家」と通称されています。現存の主屋は内子の最盛期であった明治27年(1894年)に上棟され、邸内には釜場・出店倉・物置など木蠟生産施設も一体で現存しており、往時の暮らしぶりや地場産業と住宅の関わりをうかがうことができます。また、邸内には展示棟もあり、木蠟生産の工程の模型や、重要有形民俗文化財に指定された内子及び周辺地域の製蠟用具が多数展示されています。

 

▲ 1階主屋・客座敷。奥には中庭が見えます。中庭を囲むように主屋・炊事場・仕舞部屋・産部屋・離れ部屋などがあり、回廊で行き来していました。

 

▲ 離れ座敷。

 

▲ 主屋の二階に上がると巨大な屋根と、屋根を支える小屋組みが目に飛び込んできます。これは、二階は建設途中で止まったままの状態で天井がありません。図面上では6室の部屋が完成する予定でした。中止となった理由は明らかになっていませんが、建設を主導した上芳我家三代目伝衛が肺結核に侵された為に、工事途中で中断したのではないかと考えられています。工事が中断された二階は主に物置として利用されたようです。

工事が中断された事によって、小屋組みを直接見ることができます。

 

▲ 現在の主屋が建てられた明治時代は、西洋から洋小屋と呼ばれる新しい技法が日本に入ってきますが、それまでの江戸時代からの伝統的な技法である「和小屋」と呼ばれる小屋組みで造られています。

小屋梁(松丸太)という水平材を縦横に組み合わせ、要所に小屋束(短い柱のようなもの)という垂直材を建て、屋根下地を支える母屋(屋根面と直角方向に置いた水平材)を受けています。四段重ねで大きな屋根を支えており、四段という規模は本芳我家住宅主屋も同様で、内子において最上級クラスの住宅に用いられたそうです。


▲ 素人なので間違えていたらすいません・・・。

 

▲ もし二階の座敷が造られていたら、今回のように小屋組みの全貌を間近に見ることができなかったと思われます。未完成であったことで普通は見ることができない部分を深く知ることができる大変貴重な体験でありました。