不老仙館 | 福田町電車区

5月の某日、宮城県登米市にある「不老仙館」を見学してきました。前から気になっていた施設なのですが、なかなか行く機会がなく、今月にたまたま仕事で近くに行く機会があった為、レンタカーを借りて行ってきました。

 

▲ この建物は嘉永5年(1852年)、伊達十三代藩主慶邦公が領内北部巡視時に利用した宿泊所でした。元々はもう少し岩手県寄りにある狼河原村(現 東和町米川地区)にあった建物ですが、明治38年の凶作による米谷町の町民救済事業として明治39年(1906年)に佐藤家の三代新介がこの建物を買い受け、約3年の歳月をかけて現在地に移築されました。

 

上の画像を見ると、左側(西側)に玄関があるのですが、元々は右側(東側)にありました。右側の屋根下の白い壁をよ~く見るとうっすらと痕跡が残っているのがわかります。下の画像は拡大写真です。

 

 

玄関を東側から西側に移築した以外は現型のままでしたが、大正10~12年(1921~1923年)にかけて玄関から西の二階部分が増築された他、来客用の水回り及び家人用の便所・風呂が北側に増築されています。移築当初は木羽葺き(こはぶき)であった屋根は昭和5年(1930年)にスレートに、平成8年(1996年)には二階部分と調和が取れるように葺き替えられ、現在に至っています。

 

この建物はゲストハウスとしても使用され、ここに逗留された著名な文人墨客(ぼっかく)による書画が数多く置かれているんです。

 

▲ 仏間の様子。下のワイド画像は、襖を全部閉めた状態。襖絵は右から順に、茂庭竹仙(1833~1922)・小西皆雲(1842~1909)・礎石山叟(1834~???)。

いずれも襖絵や掛け軸の画家ですが、この辺りの分野はさっぱりわかりません・・・。検索してみても自分にとっては難しかったり、そもそもなかなか検索に引っかからなかったり・・・。

 

▲ 客間。かつては画像右正面に正面玄関がありました。

 

▲ 渡り廊下と、右側に化粧室・風呂・便所があります。来客用に増築されました。窓は模様入りの擦りガラスです。

 

▲ 化粧室

 

▲ 風呂場。壁にはマジョリカタイルが使用されています。

 

▲ 骨董品なども多数展示されています。画像左下にあるのは江戸時代の櫓時計?!

 

▲ 南渓による八方睨の虎。その名の通り、どの方角から見てもその方をにらんでいるように見えます。虎を実際に見たことが無かったことから、猫を参考にイメージしたのだとか。確かに虎よりも猫っぽい雰囲気ですねぇ。

 

▲ 各部屋の電球と電傘は、電気が普及した頃からそのままの姿で使用されているのだとか。

 

訪れた時間帯他に誰もおらず、貸切状態。この後、受付の方とお話しながら一部の部屋の案内もしてもらいました。

宮城出身ですが、宮城県にこんな建物が残っていたのは最近まで知りませんでした。受付の方曰く、建物も展示品も老朽化が進んでいるとのこと。屏風や掛け軸など、ガラス越しではなく直接間近に見られる反面、博物館のようにしっかりと保存されているわけではないので劣化も進んじゃうんでしょうかね。維持するのは非常に大変ですが、先人たちが残した建物や作品をいつまでも残ってほしいものですねぇ