外国で奮闘した“日本人女性”のサバイバル? 記録

外国で奮闘した“日本人女性”のサバイバル? 記録

言葉も文化も違う世界「え、これ私やるの?」ということばかり。 英国人の夫と気づけば10軒以上の家を買ってリノベ、買ってリノベ…その間に子ども3人、教師として働き続け、今ふり返ると、「私、どうやって生き延びたの?」気づけば“普通じゃないこと”が普通になっていた。

ちょっと長いですが読んでみてください。

 

 

教師としての最初の日々 

正直なところ、イギリスで正式な教師として最初に行った授業のことはほとんど覚えていない。おそらくPGCEのせいだろう。

以前にも書いたが、この課程は二つの段階に分かれていた。まずは理論講義。そこでは、理想の世界では教育はこうあるべきだ、という話をたっぷり聞かされる。そして次が教育実習。経験豊富な教師たちが奇跡のような授業をするのを見学しながら、自分に教室を管理できる日なんて本当に来るのだろうか、それどころか椅子一脚さえ思い通りにできるのだろうか?時々飛んでくることがある。ひっそり不安になる毎日だった。

二つ目の段階になると、いよいよ実際に授業を任される。もちろん有資格の教師が一緒にいることにはなっていたが、それは教室の隅に置かれた観葉植物と同じようなもの。確かにそこにはいる。しかし、混乱が起きたときに助けてくれるわけではない。 資格を取る頃には、すでにかなりの数の授業を経験している。そのせいで最初の授業を覚えていないのかもしれない。でも、授業計画だけはよく覚えている。まさに私の最高傑作。 そこには、自分が話す予定の内容が一言一句すべて書かれていた。日本語ネイティブの私が英語で教えるのだから、緊張で頭が真っ白になり、今まで覚えた英語を全部忘れてしまうのではないかと本気で恐れていた。そのため、取りつかれたように準備をした。今考えると授業の少なくとも八割は、その場で内容を変更する必要があった。生徒という生き物は予測不能。 やる気満々の日もあれば、考えることに特別な許可証でも必要かのような態度の日もある。それは時期や曜日にも左右されるし、直前に体育の授業があったかどうかにも左右される。通知表の時期が近づいているかどうかも大きかった。 30年以上教えてきた今、十分に準備ができ、満足した授業は数えるほどしかなかった。 自分で良い授業ができたと思っても、それを別のクラスで再現できるかというとそういうこともなかった。どのクラスにも独自の個性があり、それに合わせて教え方を変えなければならなかったから。 柔軟性と適応力。それが私の生き残り戦略になった。

 

携帯電話のない時代

30年ほど前のイギリスのコンピュータサイエンスにはGNVQやAVCEといった実践的な職業教育コースがあり、一日に二コマ連続や三コマ連続の授業も珍しくなかった。途中に長めの休憩を入れていた。目的は、生徒たちが椅子と一体化する前にコンピュータから引き離すこと。 当時はまだ携帯電話もほとんど普及していなかった。そのため生徒たちは実際に外へ出て、歩き回り、おしゃべりをし、サッカーをした。 今ではちょっと想像しにくいかもしれない。 ある日の朝、15分の休憩の後、男子生徒が戻ってきた。ユーザー名やパスワードを入力するのに苦労している。椅子にじっと座っていることができない。 「大丈夫?」 そう聞いても返事はなく自分の手をじっと見つめていた。その手は豚のひづめのような形でくっついていた。 気づいた。 接着剤だ。 休み時間中に接着剤を吸っていたらしく、結果として両手を接着剤まみれにしてしまった。 彼はパニック状態。 しまった。 私も危うくパニックになるところ。 別の生徒を保健室まで全力で走らせ、その生徒が気絶しないようにゆっくり床へ座らせた。 教訓。 授業を始める前に、接着剤を吸った生徒がいないか確認すること。

イギリスではKS5になると学校から自由に出入りできる。お昼休みにパブに行ってちょっと一杯飲んで午後の授業の時にぐわいが悪くなる生徒もいたなあ。

 

事前確認

もう一つの忘れられない出来事。 初めて担当したYear 7のクラスだ。 私はちょうど教室のルールを説明し終えたところ。 お互いを尊重すること。 機材を大切に扱うこと。 ICT教室では飲食厳禁。 説明を終えた直後、一人の男子生徒がやたらとまばたきをしているのに気づいた。 まさか私にウインクしているわけ? そう思いながら、 「大丈夫?」 と聞いた。 返事がなかった。 すると同じ小学校から来た友達が、実にあっさり。 「糖尿病。」といった。 「しまった」の瞬間。 別の生徒を保健室まで走らせた。看護師さんが血糖値を測る機器を持ってきた。 友達の説明によると、彼は普段、休み時間にリンゴを食べていたらしい。ところが、その日は中学校初めての日。学校内で迷ってしまい、食べる時間がなかったという。 しかも、、、教師である私、 「飲み物禁止。」 「食べ物禁止。」 と繰り返していた。 言い出せなかったのかも。 教訓。 授業を始める前に、糖尿病の生徒がちゃんとリンゴを食べたか確認。

 

新鮮な風が吹いた瞬間

最初に勤めた学校は北イングランドにあった。KS3、KS4、KS5を教えていた。 低学年やGCSEの生徒を教えるには、とにかく創意工夫が必要だった。アニメーション入りのPowerPoint、答えによって立ったり座ったりするゲーム。コンピュータのふりをし、0と1だけで答えを出したりもした。 KS5の生徒たちは違った。 まったく別の生き物。 当時、北イングランドの公立高校へ進学する生徒は全体の約20%しかいなかった。ほとんどがGCSEでAやA*を取っている優秀な生徒達。 自立していて、好奇心旺盛で、そして恐ろしいほど頭が良かった。 質問のレベルも高く、私の知識の限界を試してくることがよくあった。 私は二進数変換を教えていた。 複数の負の二進数を扱う問題を出し、「これは少なくとも20分はかかるだろう」と考えていた。厄介な問題だ。 ところが二分後、一人の生徒が言った。 「終わりました。」 えっ。 信じられない。 正しかった。 解答は完璧だった。 どうやったのか聞くと、彼は問題を逆から考えたのだと説明した。負の数九つと正の数一つを扱う代わりに、一つの負の数と九つの正の数として計算し、最後に結果を元に戻したのだった。 お見事。 本当に見事だった。 大学の学部課程でも、修士課程でも、教員養成課程でも、一度たりともそんな方法を思いつかなかった。 その瞬間、目が開かれたような気がした。 あの場面は今でも忘れていない。 まるで新鮮な風が吹き込んできたような瞬間だった。