外国で奮闘した“日本人女性”のサバイバル? 記録

外国で奮闘した“日本人女性”のサバイバル? 記録

言葉も文化も違う世界「え、これ私やるの?」ということばかり。 英国人の夫と気づけば10軒以上の家を買ってリノベ、買ってリノベ…その間に子ども3人、教師として働き続け、今ふり返ると、「私、どうやって生き延びたの?」気づけば“普通じゃないこと”が普通になっていた。

なぜ40近くなって教師になったのか?

 

 

40歳になって突然、教師になろうと思う女性がいるか?

大学が無料だったから?
中年の危機?
一時的な正気喪失?

正直に言うと、その全部が少しずつ当てはまる。

想像してみてください。

イギリスに住む中年の日本人女性。子ども3人。英語力はコヒーを注文しようとしているのに、なぜか棺桶ですか?」聞かれるレベル。

とてもじゃないが、イギリス企業が欲しがる人材ではない。

日本では大手建設会社で経理をしていた。立派な仕事。何より、「自分が何をしているのか分かっている」の仕事。

ところがイギリスへ引っ越した途端、私にできる仕事は

「スパーマーケットの店内で迷っているお客さんを助けることしかできない。それもも言葉が通じたらの話」

くらいしかなかった。

旦那さんはイギリス人。以前日本の大学に留学していたので日本語を話す。(いまだに箸はまともに使えない。)

そんな旦那さんが、

「英語を上達させるためにカレッジへ行ったら?」

と提案した。

良い提案。ただし問題がひとつ。

家では相変わらず日本語しか話さず、長男の英語は、バーミンガムに住んでいたのでブロムウィッチ訛り(お笑いの人に多い)になるという現象を起こしていた。

私の英語力は本人が期待するよりゆっくりと向上していった。まるで雨の日に坂を登るカタツムリのように。

それでも2年後には「Business Information Systems(経営情報システム)」の学位課程に進学。当時は大学が無料だった。そう、無料。

まるで政府補助金という名のウソのような、今では信じられない制度。

技術系の授業は全く問題なし。しかし試験は英語。

それでも何とか卒業。

大学の託児所のおかげ。

利用料はポテトチップス1袋と少しの笑顔?くらいの値段。

その後、就職活動に挑むが、返ってきた答えは、

「ノー。」  「ノー。」  「ノー。」

 

そして、旦那さんの仕事で北部英国へ引っ越し、子どもたちの学校でボランティアを始めた。

ICT教室を立ち上げ、OSをインストールし、ネットワークを修理し、ユーザーアカウントを作成。

つまり、IT技術者と、魔法使い1人と、セラピスト1人、3人分仕事をしていた。

もちろん無給で。

私って本当に気前が良い??

その後、コンピュータサイエンスの修士課程(無料)を見つけた。

この頃には、他のお母さんたちがアロマキャンドルやスーパーマーケットのポイントを集める感覚で学位を集めていた。

実習課題は得意。

「8時間でデータベースを作りなさい」提出は5時。どこで作業をしても良し。

プレッシャーの中でIKEAの家具を組み立てるより簡単。合格。

でも仕事は見つからず。

その頃には子どもが3人になっていた。

そして私は気づいた。

学校の長期休暇中も子どもたちと過ごせる仕事は何だろう?

答えは、教師。

しかも当時のイギリスは教師不足が深刻で、ほとんど道行く人を捕まえて教師にしているような状態。

なんと研修中も給料を払ってくれる。こんなことってあり?