SENSE編集長退任 | 守谷聡オフィシャルブログ『SENSE編集長のブログ』 powered by アメブロ

SENSE編集長退任

SENSEは私の反骨精神そのものでした。



26歳でマンションの一室で編集。

2000年9月に創刊。

結果はものの見事に失敗。

当時編集力に関して自信過剰なほど

強気であった私にとって、

この創刊号の売れ行き結果は

今でも忘れられないほど無残でありました。

2001年に3冊を刊行するものの、

そのほとんどすべての結果がぱっとせず、

早くも訪れた廃刊危機。


「もうどうにでもなれ!」的にやけくそ気味で作った

2002年のvol.5が発売後1週間で完売。

ファッション誌では珍しく重版という奇跡により、

会社的に首の皮一枚つながったのでありました。

しかしながら、広告営業に行っても

ほとんどのクライアント及び代理店さん達には

興味を持っていただけない。

会ってももらえない。

そんな状況は2003年までほとんど変わりませんでした。


ただ、運がよかったのか、

創刊してから一度もSENSEを辞めようと思ったことは

ありませんでした。が、一向に好転しない状況に

苛立ちと不安ばかりの日々……。

会社の事業計画を考えたり、

社員を気遣う余裕等はまったくなく、

一号一号ただ我武者羅に

作っていただけであったと思います。



状況が少しずつ好転したのは

2003年夏に神宮前に引っ越してきてから。

創刊時から変わらぬ、

「男らしい」ファッション誌というコンセプトが除々に

クライアント様と読者様に認知され始め、

広告も販売も号を追うごとに

着実に結果がついていきました。

しかし今度訪れた危機は、

会社をより急激に大きくさせたいという思いから

社員との間に生じた軋轢。

結果、社員の大量離脱へという最悪の状況に

繋がってしまいました。

恐らく当時の編集部は

ファッション誌編集部としては出版界髄一の厳しさ。

あまりのハードワークと

厳しすぎる会社環境についていけない。

起こるべくして起きた当然の仕打ちであったと思います。




そんな、幾度となく訪れた辛く苦しい時。

私がいつも立ち返っていたのは、

SENSEを武器に出版業界で勝負する!」

という信念だけでありました。

弱小出版社であるからこそ企画力では絶対に負けない。

そんな私の反骨精神こそ、

私にとってのSENSEであったのです。





私の折れそうな心をいつも救ってくれたSENSE

大出版社と戦えるステージを用意してくれたSENSE

常に励ましてくれる熱き読者を作ってくれたSENSE

支えてくれるクライアントを呼んでくれたSENSE

社員をついて来させてくれたSENSE





私が生んだSENSEがいつの間にか、

私自身の一番の拠り所でもあり、

私の編集人生そのものでもありました。




若僧編集者が作ったSENSEに34歳まで

編集長として携われ、それが今だに進化していること。

26歳の創刊から毎年読者の方と成長=歳を経るという

異色のターゲットメディア雑誌は、

恐らく他誌ではないと思います。



7年間の編集長生活は今思い出しても

二度と戻りたくない、

いや戻れないほど過酷な状況でありました。

しかし、こんなに最高に楽しい場所もありませんでした。




今後は、本日付で

新編集長に元レオン副編集長の荻山君を迎え、

私は編集顧問として

新編集部のサポート役に徹していきます。




私が創刊した雑誌だからこそ、

SENSE=守谷と言っていただける方も多かったですが、

だからこそ、

そこを変えさらに飛躍する時も考えていた

SENSE=守谷ではなく

SENSE=大人の超メジャー誌へと変貌させることこそ、

これからのラウンドハウスには必要なことであるのです。




今後、

私は編集長としてはHEARTをSENSE以上の雑誌にする。

特に部数については圧倒的に上を行く。

これが弟誌の使命でもあり、

2年以内の必達目標でもあります。


そして、「ラウンドハウス」を

ファッション誌出版の代表格として認知させ、

数多くの学生達が憧れるクオリティ重視の

人気出版社にする。


で、いずれは

代表取締役社長に専念したいと思っています。


と、少し話しが長くなりましたが、

私がSENSE編集長時代にずっと支え続けてくれた

読者及びクライアントの皆様、

本当に本当に有難うございました。

これからも新生SENSEへのさらなるご支援・ご協力の程、

何卒よろしくお願い申し上げます。


これからも「情熱・執着・感謝」の日々は変わりません。




株式会社ラウンドハウス代表取締役社長

守谷