御朱印帳が語るもの。 | 慈母観音寺(byname千里眼観音寺)法智龍馬 MEDICAL BUDDHIST

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西国33所洛陽33所観音霊場公認特任大先達と単立寺院当主を努めてさせて頂いており又医療法人理事と医療コーディネーターとして末期の病や難病等の患者様に医療提案並び緩和ケアのお手伝いをさせて頂いております。

 

 

(当院宗徒さんたちと巡礼)

 

今回の巡霊は、勝尾寺→鏑射寺→門戸厄神→中山寺という行でした。

西国三十三所観音霊場西国愛染十七霊場を混合した巡霊となりました。参加された宗徒さんは十八名になります。

 

皆さん巡霊に慣れている方々で、また今回巡霊するお寺は三回目、四回目という方もたくさんおられました。

巡霊中の行動で手際の良い方が、初めて参加された方たちを助けて手伝っている姿には感動します。

 

(当院宗徒さんたちと巡礼)

 

しかし私は、皆さんを連れて巡霊しているときに、どうしても考えてしまうことがあるのです。

同じ寺院に何度も連れていかれる方たちは、何を目的として参加してくれているのか?などと、考えてしまうことがあります。

 

本当に二回目、三回目と参加される方たちには申し訳なく思えてしまうこともあり、私の巡霊行に無理に付き合わせてしまっているように思える時さえあります。

 

巡霊行を何度も行っている私はと言いますと、同じ寺院に何回もお参りすることに楽しみを感じることがあります。それは「御朱印帳」です。

 

何度も同じ寺院に行きますと、その度に御朱印帳に朱印をいただきます。

私の場合、重ね印と言いまして、同じ寺院の朱印を上から重ねていってもらうのです。よく、先達の方がしてもらう方法です。

 

 

有名なのは四国八十八所のお遍路さんのさんがする方法で、特任大先達の方でしたら御朱印帳の帳面全体が真っ赤になるそうです。四国のお遍路さんの御朱印帳の重ね印には日付が無いものが多いようですが、私が行っている巡霊の重ね印には全て日付が書かれています。

 

 

私にとってはそれが重要なことなのです。

まず一番初めの日付を見て、一番最初にその寺院に行ったときのことを想いだすのです。この作業が私にとって大切なことなのです。皆さんにも体験してみてほしいです。

 

(当院宗徒さん 御朱印をもらっています。)

初めの日付。

いまだ巡霊を続ける気持ちで訪れたときではなく、何か人生にぶつかって行き詰ってどうしようも無かったとき、これまで神や仏も信じたことが無かったくせに、当に、しんどい時の神頼み、または藁にも縋る気持ちで訪れた日のことを思い出します。

 

無我夢中で仕事や人間関係の全てから逃れて、ひとり巡霊に明け暮れた第一週目の巡霊の時のことを思い出します。

 

そして、二回目、三回目の巡霊、四回目、五回目と、その時の御朱印帳の日付を見ては、各寺院に訪れて参拝したときの気持ちや自分自身の環境の変化を思い出すのです。

 

(当院宗徒さんたちと巡礼)

 

毎回、今を思い、我が人生に於いて徐々に自分が成長してきたかを巡霊の日付をみて思い起こすのです。

そして現在、今に満足して感謝できるのかを自分に問うのです。

 

今だけ、現在だけをみると辛くてしんどいことも、そんなときにこそ御朱印帳の初めの日付をみて色々な人生を自分なりに乗越えてきたから今がある。そして一番辛かったときより、よくぞここまで生き抜いたなと、御朱印帳を開くたびに想い巡らせるのです。

 

気が付けば知らぬ知らぬうちに自分の人生は巡霊してきた各寺院の仏様に守られてきたんだな、と、自然に思えてきます。

自分がしんどかった故に始めた巡霊が、いま思えば、それさえも初めから仏様に導かれていたのではないのかと思えてきます。

 

(当院宗徒さんたちと巡礼)

いまはもう一人ぼっちではない。

何かしら私の人生をどこかでどこかの仏様が見守ってくれている。だからもう堂々と自信をもって生きて行けばいいんだと思えてくるのです。

 

私にとって新しい親のような存在です。

そして今度はその御親のもとへ皆さんを連れて行こう、そして皆の見本となる人生を、また、皆の力になれるような人生を送ろうと思えるのです。

 

(当院宗徒さんたちと巡礼)

 

たった一冊の御朱印帳・・・・・。

時を過ぎればその中にたくさんの仏様と愛が蓄積されているのです。

 

そうなれば、その一冊の御朱印帳こそ「人生の杖」となることでしょう。

合掌。