祈祷という事の扱い方または考え方について。 | 慈母観音寺(byname千里眼観音寺)法智龍馬 MEDICAL BUDDHIST

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西国33所洛陽33所観音霊場公認特任大先達と単立寺院当主を努めてさせて頂いており又医療法人理事と医療コーディネーターとして末期の病や難病等の患者様に医療提案並び緩和ケアのお手伝いをさせて頂いております。

(当院護摩祈祷)

 

今回は祈祷ということの扱い方または考え方についてお話します。

 

私のする護摩修法は、今のところほとんどの病気の方に効験があります。実際びっくりするほどですよ!!

また当院だけでなく、あらゆる祈祷、とくに護摩修法をされている寺院の方がたも自信をもってされていることだと思いますし、その霊験はあらたかなことでしょう。

 

そこで、この護摩修法の効果が本当にあったのかどうか、また、本当に祈祷というものが病気に効くのかどうかなどを科学的に検証したり評価してみたりと思い考えるものではありません。そんな事を考えること自体ナンセンスなことなのです!

 

私たちはお正月にお寺や神社に初詣に行きますね。そこでその年の御札や御守りを買って鞄や車に付けたりしますね。

あなたはそれに最低でも3000円以上は使うでしょう。その金額は当院の星供養1回分の修法のお布施と同額なのです。

 

あなたは初詣で買った御守りに絶対的な効果があるか、または本当に守ってくれるのかなどと考えてはいませんね。

新しい年を迎えて初詣に行った方が安心出来て落ち着くから行くのですよね。それ以上の理由など必要ありません。

 

新しい年を迎えるにあたり、初詣に行って新しい御守りを持つことによって安心感を得ることが出来る。それだけでいいのです。

 

実は祈祷も同じなのです。

 

個人がする祈祷の本来は病気平癒が基本でした。

今でこそ医学が進歩し、病になれば医療、医者に頼りますが、この様に医学が進歩したのはここ200年の間です。

 

それまでの私たち人びとは、病になればひたすら手を合わせて仏様に頼り、祈祷に頼ってきたのです。

本当にそれしかありませんでした、そして人びとは真から祈祷に頼ってきたのです。

 

他に何かありましたか?

漢方薬などの生薬は高すぎて一般の人びとでは手にすることなど出来ませんでした。手に入ったとしても単独の薬草を煎じて、後は手を合わせてひたすら良くなることを願い、回復するのを待ったのです。そしてひたすら信じたのでした。

 

それでも良くならないとき、今度は薬師如来や千手観音、阿弥陀如来や釈迦如来、大日如来に手を合わせて必ず極楽浄土へ行けることを信じて手を合わせたのでした。

 

しかし今の時代はあまり信仰心は無いようです。病気になれば全て一喜一憂することになります。

特にガンなどの命に関わる病になれば医者が患者にとって唯一の神様になります。

 

特にガンという病気は特殊です。(勿論、ガン以外の致命傷となる全ての病気もですが)

自分自身の細胞が突然変性して自分自身を攻撃しだす訳ですから。その上ガン細胞には寿命という遺伝子が働きません。

 

宿り木である本体の生命を奪うまで細胞分裂を繰り返して、最後には本体と共に死滅するのです。

本体より他の体に転移したり感染したりはしないのです。「ガンが移った」などという言葉は聞きませんね。

 

当に生物の定義がひっくり返っているのです。ですので、悪性新生物という別名があるのです。まあ、こちらの方が本名でしょうが・・・。

 

そんな相手と戦うわけですから、ガンになると余程の知識が必要となります。

あなたでなく家族の誰かがなったとしても、あなたはただうろたえて全てを医者に託すしかありません。即ち最終的には専門医に頼むことになります。

 

そして全ての治療方針においての選択の道は大凡、担当医の意見、方針により決定されていきます。もう、それしか信じる道はありません。

 

最近は色々な治療方法があるにも拘わらず外科手術か科学療法が主体となっています。しかしその結果、途中より余命宣告をされることも多いのです。

 

そんなとき、あなたや家族は何を信じて何を頼りに余生を生きて行けばいのでしょうか?

信頼していた医者より余命宣告をされたら、ほとんどの人やその家族は戸惑い全ての希望を無くすのがほとんどです。

 

そして最終的には全てを諦めるとい結果、全てに裏切られた結果、前向きに生きた虚しさが強烈に本人や特に家族に残ります。

勿論、医者に対する信頼も一気にゆらぐこともあるでしょう。

 

現実的にのみ生きて来た人びとは医者から言われた言葉のみを信じ、パソコンなどから得た資料やデータのみを信じて一喜一憂するしかありません。

 

奇跡が起こることなど全く理解できず、ひたすら医師から示された血液検査や画像検査のデータのみに束縛されることになります。

 

検査データや医師からの言葉のみが生きる糧となってしまうのです。そこだけを見ている人には絶対奇跡は起こりませんし、大凡データ通りの結果、結末になるのです。

 

しかし実際に奇跡は起こります。

何故か、深く信仰して手を合わせる人のみに起こるのです。

 

修法している私自身から見ても不思議と起こるのです。全ての人に起こるとは言えません。

中には重症や末期の方の中には死に向かう人もいました。しかし何故かそれでも苦しむ人が今までは居なかったのです。それも不思議です。

 

私自身、皆さんが治っていく姿を見続けて、「信仰とは何か、どういったものなのか」を理解してきたのです。

 

皆さんが手を合わせ、ひたすら仏様に手を合わせている姿を見ていて、この人たちは仏様という目には見えない力を信じ、そしてその結果、自分自身を信じている人たちなのだと。

 

本当にそうでした。誰もが医師からのデータや資料を見て一喜一憂している人はいませんでした。

それは単なる資料として参考にする程度のことで、それよりも「きっと治る。治してくださる。」と仏様を信じて、何よりも自分自身を一番信頼している姿を何度も見たのです。

 

私は思いました。

昔、医療の無い時代は人びとがしてきたことはこれだと。だからこそ日本には数多く昔からの寺院が多く存在してこれたのだと。そして本当に人びとはそれに頼って生きて来たのだと理解できたのです。

 

ならば結論はこうです。

 

程よいしっかりとした現代医療と、程よい信仰心が合致して病(ガン)と闘えば鬼に金棒ではないかと。何も一方に偏るのではなく。

 

当にこれが陰極と陽極の合致です。現在の時代にこそ陰陽道が存在するのではないでしょうか。

 

 

■□■□■□当主自己紹介■□■□■□■
弘法大師と執契金剛院阿闍梨大僧正圓照
大和尚を我師とし、
真言系単立の寺院をご意見無用にて当主を
つとめさせて頂いております。
また先達善友の会を発足し、皆さまと共に
各種霊場の巡礼を
楽しくさせて頂いております。
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密教行者・僧ほうちアメブロ(祈祷の奇跡の証言)

当寺院では特に星供養をはじめとし、特別護摩祈祷などにより、各種の祈祷、祈願を行っております。
この祈祷、祈願の効験はあらたかであります。特に病気平癒に対する効験はすさまじいものがあります。
医師から余命宣告された方の余命を何度も取り消しております。
これまで当院の祈祷を受けられた方の証言をYouTubeにてご確認。全てノンフィクションです。