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草センリのブログ

サボテン、多肉植物、グルメ、四季折々の話題を中心に書きます。

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日本町並み巡り(1)
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町並みは、江戸時代の日本風建築の
・木造家屋(町屋や旅籠)
・漆喰壁の商家
が建ち並ぶ景観を意味します。

形ばかりのお節で欠けていたものに、羊羮がありました。小さいのを買って食べました!
子どもの頃は、年に1回ありかないかの、貰い物を切り分ける際、三男ながら「端の」砂糖が固まっている部分に真っ先に手を伸ばしたものでした。

ここらで古くから有名な菓子鋪が日田にあり、地震前に一度買いに行きましたよ(笑

大分県日田市
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今は、猛暑で有名ですが…、歴史も古く、景行天皇が熊襲(くまそ)征伐の折りに立ち寄った時は、すでに町を形成されていたとか。

景行天皇:前13~130年
 子はヤマトタケル

日田は山間の盆地の城下町ですが、戦国時代は係争の地として城主がころころ変わったほど、、

江戸幕府は、交通の要衝として直轄地となし、代官所をおき、周りの九州諸藩ににらみを利かせたもよう。
日田がかなり自由で、明るく町民的な気風に満ちていたのは、天領であったからかも。

サビのある風情の商店が建ち並び、裏通りは「なまこ壁」の土蔵や漆喰壁の薬鋪がはばを利かした通りである。

交通:久大本線
久留米から47km、終点の大分までは100kmほどで、その中間点が由布院である。
『ななつ星』は、乗客は降りられないが、20分間停車する。
 
また、日田市は
古くから水郷の地としていわれるように、豊かな水量の三隈川が流れており、初夏には「川開き」が行われている。

三隈川は、途中で筑後川と名を変え、流れ流れて久留米から有明海に注ぐ。河港付近に、有名な柳川がある。

川沿いにも、白壁の商家の土蔵が軒をつらね、見ごたえがある。

本筋から外れますが、、
日田が世界的に脚光を浴びたのは明治に入ってからの「金山」開発でした。
イギリスから技師を招き、1898~1972年にわたって採取された。
一時は、東洋一の産出量を誇ったこともあった。

市内中津江村「鯛生」地区が金山で今は、地下が博物館となって当時の模様が見学できるし、砂金採取の体験もできる。

日田は豪雨・土砂崩れの多いところだから、崖崩れあとでも掘ってみたら?

「行きは庶民、帰りは億り人」かも!?

日田盆地は、有史以前、阿蘇山の大噴火の溶岩が流れて、盆地が干上がって、その後、数万年の度重なる洪水で周りに小山が形成された。
ということは、阿蘇山の溶岩には「金が含まれている」って話にならないか!(笑)