「きゃりーぱみゅぱみゅ」の独自の世界は、楽曲を提供している中田ヤスタカ、美術の増田セバスチャン、衣装の飯嶋久美子、ヘアメイクの冨沢ノボル、振付のMAIKO、ビデオアートの田向潤、そしてアイコンであり、発想の源泉となっているきゃりーらが一体となって作り出している(ここではプロジェクトと称する)。そうしたきゃりープロジェクトの世界を一言で表すなら「前衛的総合芸術」とでもなるだろうか。千利休と出雲阿国の現代的再生と評しても良いだろう。
茶道と歌舞伎が前衛性を失い、伝統芸能に転化したとするなら、その創始者の精神性を現代において再現しているのがきゃりーとその仲間ではないだろうか。対象は異なれど、カワイイとグロテスクに美を見出したきゃりーのセンスは、朝鮮の雑器に独自の美を見出した利休の着想と通じ合う。一見奇抜な格好でステージに現れるきゃりーはさながら現代の傾奇者(かぶきもの)である。茶道という総合芸術を大成させた千利休が今の時代に生きていたなら、斬新性と美的表現の交差点である「きゃりープロジェクト」に自ら加わっているに違いない。
きゃりーぱみゅぱみゅの前衛性はさまざまな場面で堪能できる。
ポップスにつきものの「歌う」「踊る」といった身体表現が彼女の世界では大きな革新性を伴っている。きゃりーが登場してパフォーミング・アートの規範が変わったといっても過言ではないだろう。きゃりーの歌唱法には気負いがない。過度の感情移入は避けて、普通に話すように歌う。このナチュラル感と彼女の澄んだ声質が実に説得的である。きゃりーの歌唱法の対極にあるのがオペラやポルトガルのファドだが、それらが説得的であるのと同様に、である。つまり、増田セバスチャンの言葉を借りれば「これでいいんだ」ということになるだろう。
歌詞の中身とシンクロした振付も斬新である。そして、それを完全に自らのものにするきゃりーは素晴らしい。「かわいい」「キラキラ」「自由」「喜び」、あるいは「奇怪」や「驚き」といった様々な抽象概念の表現において、きゃりーは卓越した才能を発揮する。表現の純粋さは無二のものだろう。幼少の頃に習ったバレエや、モデルとしての経験が生きているのであろう。きゃりーの踊りに過度の激しさはなく、技法はいたってシンプルである。しかし、抽象概念を伝えるのに激しい身体表現や舞台を横断する跳躍は必ずしも必要ではない。彼女は身をもってそのことを証明している。