ハニートラップはやめてくださいね。あっさり引っかかりますよ、せんらくやです。
先日、書いたブログ、カウンセラー的目線でみる体育会系を
公開した直後に起こってしまった、ある出来事。
日野照正、中学生ビンタ事件です。
文科系やったけどね(笑)
いろんな話が漏れ伝わってきて、いろんな意見を聞くことができます。
去年から指導していたとか、親子のような関係だったとか、
愛情があったとか、暴力は絶対ダメだとか、マスコミがアカンとか・・・
正直、全然、どうでもええし、
私は世界の全ての問題を抱えるほどの器もないし、ホンマにどうでもええねん。
どうでもええけど、こないだのあのブログを書いた手前、
あえて言うなら、カウンセラー的、私の意見はこないだのブログの通り
やっぱり、自己一致不足と思考停止なんとちゃうかな~ってところです。
それを踏まえて3つに意見をまとめてみました。(ヒマでしょ?(笑))
それは「残念」「わかりません」「私の問題ではない」という3つです。
1つ目、「残念」に思うことは、「結局暴力なのね・・・」っていうこと。
「暴力反対の理由、暴力が生み出すもの」については、
また、しっかり考えをまとめてから伝えたいと思うので今回はご容赦いただきたい。
この一件、ジャズメン、トランぺッター、ミュージシャンの日野照正さん、
どうせなら、ドラムの音より大きなトランペットの音や
強烈かっこいいジャズテクニックを出して黙らせるっての方が
音楽VS音楽でフェアな魂のぶつかり合いっぽくて、おもろかったのにな~と、
私は思いました。
あの舞台のあの場面。(私が知る限りの情報だけです。)
「中学生のドラマーが本番のショーの中で暴走したことを指揮者の日野照正さんが止めた。」
ということですよね。
なぜ、止めたか。
ショー全体の約束事と違うことを中学生がした。
ということですよね。
ショー全体の約束事を守らなかったという1点においては中学生が良くない。
(天才ジャズメンに暴走伝説は付き物らしいが・・・)
教育上、社会のルールを守ることは大切であることを教えなければならない。
私も分別のある大人のつもりなので、これも、まあ、わかる。
だから、これは止めなければならない。
日野照正さんは指揮者、指導者として止めなければならない。
これも一つの正解やと思います。
ただ、そこで、私が思うのは、
その方法しかなかったの?ってことです。
止めるための、他の方法は考えたのだろうか?ということです。
ブチって切れてしまって、ビンタしか出なかったのか?
いろいろ考えた結果、ビンタだったのか?
ここが自己一致できているか、どうかの分かれ道です。
そして、思考しているかどうかの分かれ道です。
仮に日野照正さんが自己一致できていた場合は
どんな様子なのでしょうか?
やってみましょう。(ここからはフィクションです)
「あいつ、暴走しやがった。練習の時から怪しかったんよな~
やばい、ショーがめちゃくちゃになる。はやく止めなアカン!
スティック取るか!(スティックを奪う)
うわっ、取ったけど、こいつ手でドラム叩きよる!!
このクソ中坊!めっちゃ腹立つわ~!!しばきたいわ~!!
いや、ちょっと待て・・・俺は今、猛烈に怒っている。
その怒りの気持ちを止まるかどうかわからないビンタという行動に
ぶつけようとしているぞ。・・・これって、どうなん?
・・・ええの?どうなん?・・・あかんのとちゃうん?
(ここで、この自分の気持ちを客観視できるかがポイントです☆)
ビンタ以外に方法はないやろうか?・・・そうや!その前に!
俺も世界的ジャズメン、トランぺッターや!!
よし!俺の超絶トランペットを披露して、音楽の力で止めてみるぞ!
(超絶~~~~~♪トランペットの音~~~~~♪パパ~~~♪)
あか~~~~ん、まだ、止まらんorz
マジか、中坊、どんだけパワー有り余っとるねん!
これはもう、後ろから抱きかかえて、舞台から降ろすしかない。
(ドラマーの後ろに回って抱きかかえる)
うわっクソ中坊、暴れよる!やばい勝てへん、スタッフ来てよ!
来ぉへんのか~~い、・・・もうビンタしかない・・・」
てな感じになるのかな~。
でも、まあ、自己一致ってのは大体こういうことです。
実際に起こっている出来事と自分の気持ちを客観的に捉えて
行動することです。
あのブログで私が一番伝えたかったこととは
指導者は自己一致が大切だということと、
常識を疑って思考停止せずに進化しませんか?
ということでした。
日野照正さんには届いていなかったようで、これは「残念」です。(届くかっ!(笑))
ここからはカウンセラー的、私の意見の2つ目「わからない」ことです。
中学生の彼は普段から素行の良くない少年だったのかな?
中学生の彼は何か問題は抱えていなかったのかな?
中学生の彼は何らかの障害傾向はなかったのかな?
中学生の彼の父親が「息子が悪かった」というような主旨のコメントを出していたが
この子に味方はいるのかな?
日野照正さんの今までの指導はどうだったのかな?
日野照正さんは中学生の彼と信頼関係は築けていたのかな?
日野照正さんは問題を抱えていなかったのかな?
中学生の彼は後に謝罪したようだが、本心なのかな?
思いと違うことを言わされていないかな?
日野照正さんが中学生の彼と親子のような関係だったと言ったが
親子なら殴ってもいいと思っているのかな?
日野照正さんはあの中学生が190cmくらいある、マッチョな子でも同じことしたんかな?
この出来事で中学生の彼の強烈なエネルギー、才能がこれで小さくまとまってしまわないだろうか?
教育の手段の一つに「殴る」があるのなら、指導者、先生は殴り方の勉強、練習もしなあかんのかな?
この中学生の彼の心は傷ついていないかな?
ビンタしてしまった日野照正さんは自己否定していないかな?
この講演は誰のための、何の主旨で開催されたのかな?
あの中学生が受けた事、髪の毛をつかんで引きずり降ろされた屈辱感とビンタされた痛みを日野照正さんは同じように味わうことができたのかな?
これら私の「わからない」は「わからない」なので
放っておいていい。
推測を基にした意見ほど、無意味なものはないと私は思っている。
これは当人同士の問題、
主催者と演者とお金を払ったお客さんの問題なので、部外者は、やいやい言わんでもいい。
ということで「私の問題ではない」が3つ目の意見です。
「わからない」は思考停止という意味ではなく
「いろんな可能性がある」「保留」っていうことやと私は考えています。
これが「私の問題」になった時に私は考えます。
「私の問題ではない」ことに私のそんなに多くないエネルギーを使うくらいなら
私は自分のためにそのエネルギーを使いたい。
私を必要としてくれている人のためにそのエネルギーを使いたい。
そして、私は自分が不完全であることを知っているから
この私の意見が全て正解だとは思わない。
正解なんて人それぞれやし、それでいい。
私にも私のフィルター、色眼鏡がかかっている。
そうなれば、人生の幸せは無限大!
電柱がなかったらな~と思うけど、
電柱があるから看板の電気がついてるんよね~
空がきれいと思えれば、そんでええか!(笑)