社会保険労務士の妹尾です。
この連休中に、別役実さんの『別役実 舞台を遊ぶ』(白水社)を読みました。
別役実さんは、日本の不条理劇を切り拓いた劇作家です。
生前に一度だけお目に掛かったことがありますが、当時私は20代。別役さんは雲の上のような存在で、遠くからその姿を見ているだけでした。
あれから随分と時間が経ちました。
この年になって改めて別役さんの著書を読むと、当時の自分には分からなかったことが、少しだけ見えてきたような気がします。
別役さんは、生前、人間というものを、社会や他者との関係の中で、無意識あるいは意識的に「何らかの役割=型」を演じながら生きている存在として仰っていました。
私たちは家庭では親として、職場では上司や部下として、地域ではまた別の立場として振る舞っています。
その意味では、誰もが日常の中ですでに「演じている」と言えます。
別役さんが書かれたこの本は、演劇の専門家だけに向けたものではありません。
一般教養として演劇に触れてみたい人、あるいは一度自分でも演劇を経験してみたい人に向けて、「演劇とは何なのか」をとても分かりやすく言語化した本だと感じました。
私は阪神大震災後、帰郷し、地元でアマチュアで劇団を立ち上げました。
ですが、演劇をしていると、「演劇をするのであれば、なぜプロを目指さないのですか」と言われたことがあります。
そのたびに、少し不思議に思っていました。
草野球をしている人に「なぜプロ野球選手を目指さないのか」と聞く人はあまりいません。ママさんバレーを楽しんでいる人にも、「プロにならないのか」とは普通は聞きません。
ところが演劇となると、なぜか「やる以上はプロを目指すもの」という目線で見られることがあります。
なぜでしょう。
私は20代のとき、仕事をしながら(本業をもちながら)演劇を楽しむ人を知っていたので、演劇だって、野球やバレーと同じように、もっと当たり前に楽しんでよいのではないかと思っていました。
そのことを、この本の中で別役実さんが見事に言葉にしてくれています。
本の帯には、「演劇は見るものではなく、するものである」とあります。
舞台に立ち、舞台を作ることで非日常の世界から現実を見る体験は、素晴らしいと思います。
上手いか下手か、プロかアマチュアかではなく、当たり前のように演劇を楽しむ。
20代の頃には遠くから見ていることしかできなかった別役実さん。
その言葉に、今になって少しだけ近づけたような気がしています。















