H3打ち上げ中止に関する共同通信記者の傲慢 | 大放言・毒を吐くブログ アメーバ版

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※残念な結果だった…

日本の次期主力ロケット「H3」の打ち上げが17日に行われたが、結果は「打ち上げ中止」となってしまった。原因は

「システムが何らかの異常を検知してシステムが『補助ブースターSRB-3』への着火信号を送出しなかったこと」

だと判明、それを説明するJAXAの会見で共同通信記者の暴言が問題となっている。この件では「真実は調べるのではなく自分が作る」とでも言うべきマスゴミの傲慢さが良く出ていると言える。


※共同通信がやろうとしていた事。

結果としてロケットは打ち上がらなかった。そういう意味では「打ち上げ失敗」と見る事も出来そうだが、JAXAの定義では打ち上げたものの、コントロール不能に陥って何処かに落下するとか、予定した軌道に乗らなかったと言うのが「失敗」であり、今回の様にシステムが何らかの異常を検知してシステムが停止するのは「中止」と言う事らしい。

だが、記事でのやり取りの文字起こしを見れば明らかな様に質問で共同通信記者は「打ち上がらなかったら『失敗』」と言う決め付けを押し付けて質問し、最後に「世間ではそれを失敗と言う」と暴言まで吐いた。これを世間では「マスゴミの傲慢」「印象操作」と言う。

※それが現実。

共同通信記者の傲慢な物言いにJAXAは冷静に「大人の対応」をしていただけにこの記者の異常性がより際立つ。ネットではこの記者の実名、顔写真は出回っているが、このブログでは慈悲で言及は避けておく。興味のある方は調べれば直ぐに判るであろうから。

※そもそもコースも難解なものだった。

当然ながらロケットの打ち上げには一般では判らない高度な専門知識が要求される。例えば打ち上げコース。ロケットは通常、東に向けて打ち上げるのが定石だ。地球の自転の向きに合わせる事で楽に打ち上げる事が可能になるからだ。だが今回の予定コースは南西。地球の自転の向きとはほぼ直角になる。これだけで打ち上げ難易度は大幅に跳ね上がる。しかし、今回のH3打ち上げは「打ち上げ直前にシステムが何らかの異常を検知して停止」だった。ロケットが打ち上がったものの、直後にコントロール不能に陥って地上に落下しようものなら多大な被害が出るのは容易に想像出来る。そうなれば勿論責任は重大だし、ロケット一機打ち上げるのに多大な費用がかかる。それに加えて出した被害の賠償、となると宇宙開発は大きく停滞する事になる。そういう事態を避ける為に数々の安全対策が盛り込まれている。「フェールセーフシステム」と言うのがそれだ。

今回それが機能した為にロケットは打ち上がる事はなかった。そういう意味で開発時点で想定されていたトラブルとも言え、その意味ではJAXAはロケットのコントロールを失った訳ではなかった。だから「中止」なのであり、コントロール不能に陥ってしまう「失敗」とは一線を画すと言う説明には合理性がある。

だが共同通信記者には「打ち上がって予定通りなら成功」「それ以外は失敗」と言う単純な思考しかなかったのだろう。そういう単純な思考で質問するのは専門知識のない立場では致し方ない部分はあり、質問で「中止」と「失敗」の違いやJAXAのそれぞれの定義について質問する事自体は間違いだとまでは言えない。質問に対してJAXAも丁寧に回答しているが、問題はその後。JAXAの説明など「何処吹く風」と言った体で自分の見解を押し付け、そのまま記事にした事が問題なのである。

記者が報道で伝えるべき「真実」とは「記者の個人的見解」ではない。こういう真似をするから「マスゴミ」と罵られるのだが、この記者はそれが未だに理解出来ていない様だ。また「事実」と「真実」は似て非なるもの。「打ち上がらなかった」のは「事実」だが想定外の事態に陥ってコントロール不能になったのではなく「予め組み込んでおいた安全対策が作動してシステムが自動停止した」と言うのが「真実」である。記者の見解が「真実」ではないのだ。

※共同通信がやるべき事。

この記者には「自分達が報道するのだから自分達の言っている事が真実」と言う思想でもあるのだろう。世間ではそれを「マスゴミの傲慢」「真実の捏造歪曲」と言う。以前ならこういう真似をしても世間を騙すのは容易だったのだろうが、この様に質問の言い回しが正確に文字起こしされて一般人も知る事が出来る様な時代ではその手口は最早通用しない。この記者はそういう時代の変化を理解していないか、付いて行けていないか?どちらにしても「真実を伝える」と言う報道の本質からの観点では無用な人物だと言えるだろう。また共同通信はその性質上、影響力が大きいだけにその振る舞いは尚更慎重さが必要なのだが、この記者はそれも判らないらしい。こういう輩に取材させない、会社として世間にケジメを付けなければ共同通信はいずれ世間からの信頼を失う。記者の個人的な問題だけではない。この件は共同通信の「報道機関としての良心」も試されているのである。