ハンギョレの異常で韓国の悪い所を凝縮した記事 | 大放言・毒を吐くブログ アメーバ版

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※答えは「即時無条件返還」一択。

韓国メディアのハンギョレ実にバカな主張をしている。今に始まった事ではないのだが、今回のそれは今までのそれに輪をかけた愚劣さだ。テーマは例の「対馬の盗難仏像」に関してなのだが、このバカな記事が韓国と言う国の愚劣さを全て表現していると言っても過言ではない様だ。


※ハンギョレの主張は詭弁にも値しないのだが。

この件について軽くお浚いしておくと、問題の仏像は14世紀に朝鮮半島で製作された物である事は間違いない。どういう経緯なのかは不明だが、1527年には日本の対馬の寺にあったと言う記録があり、そこからこの寺院が保有していた。しかし2012年にこの仏像は盗難の被害に遭った。犯人は韓国人の窃盗グループで、韓国で売り捌こうとしていたらしいが、その前に摘発され、韓国政府が保管する事になった。そこで韓国の浮石寺なる寺が「仏像は倭寇に略奪されたもの」として所有権確認の訴えを起こし、1審ではその主張が認められたが、2審では「所有権は対馬の寺にある」として浮石寺の主張を退けた。そして浮石寺は上告した。と、言うのが大まかな話の流れである。

国際法では持ち込まれた文化財が盗品であった場合、「即座に元の所有国に返還」と定められている。浮石寺主張の真贋に関わらず韓国政府は即時無条件でこの仏像を返還すべきなのは明白なのだが、そこは韓国。「日本から盗んだ代物」と言う一点で「当たり前の対応」が出来ないのだ。

※韓国では法治は機能しない。

だから司法も「法に基づいて判断」と言う当たり前の事が出来ない。1審で浮石寺の主張を認める判決が出たのはその実例だ。繰り返すが「文化財が盗品であった場合即座に元の所有国に返還」が国際法の規定であり、韓国の法律では国際法は国内法と同等に効力を有するにも関わらず、である。

2審で当たり前の判決が出ただけまだマシだが、それでも「仏像が日本にあるのは倭寇の略奪の結果」と推定している点では裁判所として機能していない。そう言い出した浮石寺でさえそれを立証する事は出来ず、学界でも「そういう蓋然性はあるが証拠はない」と言う見解が支配的であるのに、である。しかもその蓋然性と言うのは「14世紀に朝鮮半島西岸にも倭寇の襲来があった」と言う点のみであり、浮石寺に倭寇の襲来によって仏像等が略奪されたと言う記録が残っている訳ではない。この寺は14世紀には存在していたらしいが、現在の浮石寺と継続性があるかどうか?については裁判所は「十分に立証されている」とは認めなかった。継続性があればそういう伝承や記録があってもおかしくはなく、結局浮石寺の主張と言うのは状況証拠だけしか根拠と言えるものはなく、裏付けはないに等しい。

※韓国はこう突き放すべき。

さて、そんな事態を受けてのハンギョレの記事だが、

<日本に莫大な文化財略奪を受けてきた韓国人の立場としては、略奪の心証がある名品を渡すことが気持ちとしては容認できない面が明らかにある。>

とか言い出した。こういうのを「妄言」と言う。そもそも日本が朝鮮半島の文化財を略奪した、と言う主張こそ出鱈目であり、朝鮮半島統治の際に日本が朝鮮半島の宝物を整理、管理していた事は歴史的事実である。韓国の国宝に付いていた番号もそれがベースだったりするのだが。記事を読めば「文化財が盗品であった場合、即座に元の所有国に返還」と言う国際法の規定はハンギョレでも十分に認識している。法の規定に従う以外選択の余地がない問題に「心情的」理由は意味を為さない。それが理解出来ないから「韓国は情が法を越える」と揶揄されるのだが、その意味を未だに理解していない様だ。しかも「仏像が倭寇に略奪された」と言うのは状況証拠でしかなく、客観的な証拠はない。「心証」ではなく「決め付け」でしかないのだが、それで法を無視した対応が当然、と考えるその思考そのものが異常なのである。これが韓国の「社会の公器」の実態なのだろう。だから民度も日本とは比較にならないのである。

また、

<高裁も今回の判決で浮石寺側の引渡し請求を棄却し、これとは別に「政府が文化財保護のための国際法的理念と文化財還収に関する協約などの趣旨を考慮し、仏像の返還問題を扱う必要がある」>

と判決が要求している事も明らかにしている。勿論そこには「心情」など入る余地は最初からない。それでも「情が法を越える」事に正当性があると言うのであればその根拠を明確にして初めて「反論」として成り立つのだが、ハンギョレの記事にそういう要素は皆無だ。コイツ等、言論機関のクセに言論の何たるかも理解していない、と言う事だ。

そして

<結局、両国政府と文化財専門家、宗教家たちが私心のない対話を通じて、仏像を発願した高麗人たちの縁と共生の心を生かす解決策を模索するしかない。>

と、「対話で解決」と言う意味を完全に吐き違えている。この件に限らず日韓で現在問題となっている事案は「未解決のまま解決策も皆無」と言う類のものではない。悉く解決策は「国際法や両国の合意」と言った形で明確になっている。それを遵守するのかしないのか?と言う次元の話でしかなく、日本はそれに則った解決を主張しているが、韓国が「情」を持ち出して事態を混乱、複雑化させているだけなのだ。情で法を越えられるなら「法治」の意味がなくなるのだが、それが理解出来ないから韓国は何時になっても日本を越える事は出来ないのだ。


そしてハンギョレに限らず、韓国メディアは何故か自国民が仏像盗難の犯人だと認めていてもその行為を非難する文言は皆無である。窃盗は日本は勿論韓国でも犯罪行為そのものであり、それを犯した人間を先ず非難すべきなのだが、そこを恥じる様子はおろか、批判する事さえしない。ハンギョレの様な左に傾いた異常思考のメディアはもとより保守系でさえ「日本から盗んだ分には心情的には無罪」とでも思っているのだろうか?どうやら「反日無罪」がメディアの深層心理にある模様だ。ここから脱却出来ないのでは韓国人から「対日」に限らず差別意識が消える事はないだろう。


そういう意味ではこの記事は「韓国の悪い所」を凝縮した仕上げになっていると言える。それを認識して書いたならこの記者も大したものだが、実際には無知蒙昧の愚劣根性丸出し書いただけだろう。恐らく14世紀にこの仏像を製作した朝鮮人には現在の「反日」なんて思想は皆無だっただろう。少なくともこの仏像に現在の韓国で当たり前の「反日」思想など微塵も込められてはいない筈だ。仏像に込められた精神云々を言うなら韓国人は一度この仏像の製作者がどんな思いでこの仏像を製作したのか?そして現在の自分達を見て製作者がどう思うのか考えてみてはどうか?如何に韓国がカネやモノの豊かな国になっても心がこれだけ貧しければ製作者も恐らく嘆いている事だろう。韓国人は「清貧」と言う意味をまずは考えるべきである。