党改革を主張した党員を除名する共産党の異常性 | 大放言・毒を吐くブログ アメーバ版

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※器の小さな奴だ。

現役共産党員でありながら党首公選制の導入を主張した党員に対して共産党はこの人物を除名する事にしたらしい。「分派は作らない」と言う党規約違反と言う事らしいが、こんな真似をする政党が「多様性」を言うのだから噴飯ものである。


※共産党とはそういうもの。

共産党のこの対応は異常であるとしか言い様はない。自民党でも立憲民主党でも党執行部の方針に異論を唱えただけで除名などにはならない。岸田政権でも岸田首相の方針に対して閣僚から異論反論が出た事はあったが、だからと言ってそれを理由に更迭なんて事になったら世論の批判は免れないし、共産党は「言論の自由」「思想信条の自由」を理由にその判断を批判するのは間違いないだろう。だが自分達の内部に関しては異論を唱えただけで除名なのだから共産党内には「言論の自由」も「思想信条の自由」もないと言うよりない。

そもそも共産党が言う「民主集中制」では党首は少数の幹部によって選ばれるが、その幹部と言うのは党首が任命する。つまり自分のイエスマンしか周囲に居ないのだから、対抗馬が出てくる余地は最初からない。志位和夫が20年以上も党首のままでいられる理由だ。…しかもどれだけ選挙で負け続けても。要するに一度共産党のトップになれば本人の気が済むまでその地位は安泰なのである。「民主」なんて言葉とは微塵たりとも縁がない。看板詐欺も甚だしい。

※と、言う位共産党では党首の意向だけが全て。

仮にまず党内で異論を唱える、としても共産党は上意下達が徹底されており、普通の会社で新人平社員が社長に直接何らかの提案をしてそれが認められるより確実に異論は握り潰される。それが判っているからこそこの人物は敢えて世間に公言して問題提起する事にしたのだろう。従って共産党が自身に何らかの処分を加えてくるであろう事は想定内の筈である。

そういう意味では共産党は恐らくこの人物の注文通りの対応をしたのだろう。当然「異論反論を唱えただけで除名」と言う対応の異常性は世間に知れ渡る。そういう共産党の実態が明らかになれば当然国民の支持は今以上に失われる。共産党にとって党規約は絶対の内容なのだろうが、杓子定規的に自分達の正義を貫くだけが能ではない。しかも共産党は同性婚を「多様性」と言う観点から許容する姿勢だが、共産党の理屈で言えば同性婚と言うのは国の最高法規である憲法で「結婚は両性によってなされる」と明記されている以上、一般論でどんなに正論でも、現状に即していても「異論反論」に過ぎず、許容されるものではない、と言う事になる。そういう訳で共産党は「多様性」を主張するなら先ずは自分達の内部で「多様性」を認める改革をしてからにしてはどうか?

※共産党のレベルとはその程度。

こんな体たらくの政党が「健全な野党」である筈がない。共産党はこの提案を「党規約違反の異論反論」として片付けるつもりだが、やっている事の実態は単に党規約を盾にした「言論封殺」でしかない。共産党の言う「民主集中制」とやらがそもそも執行部に都合良いシステムであり、異論反論が許される様には出来ていない。共産党執行部の連中には「それが当然」なのであり、それ故にこういう「民主国家では当然」の事を理解出来ていない。また同時に自分達のやっている事を基準にしか考える事が出来ないからこの人物が何故世間に知れ渡る形でそういう主張をしたのか、と言う意味や自分達にとって「当たり前」の対応をする事で国民がそれをどう思うのか?と言う点に考えが至っていない。その時点で政権担当はおろか、政治そのものを行う能力が根本的に欠如しているのである。支那共産党の様に武力で弾圧するなら話は別だが、そういう事が出来ない日本では共産党が政権を盗ろうものなら「悪夢の民主党政権」以上の悪夢になる事は確実である。従って政治に関わらせる事自体が根底から間違っているのである。

※共産党にはそういう事実を突き付けるのが国民の責務。

志位和夫はこの件についてコメントを求められた時、「赤旗の論説が全て」として自らの考えを公言しなかった。赤旗の論説など共産党執行部の代弁でしかないのだからそれで「何を言わんや」ではあるが、そうであっても自らの言葉で語るのが政治家の、それも政党の党首たる者として当然の対応である。そもそもコイツはこの件に限らず他の政党なら党首の責任問題になる様な事態でも自分の責任に言及した事は皆無である。明確に民意に「NO」を突き付けられてもそうなのだから「責任を取る」と言う発想そのものが欠如しているのだろう。そんな政党が他党に「責任云々」を言う資格などない。岸田政権や自民党のやる事なす事全てが正しいとは言わない。それに対する異論反論はあって当然であるが、自分達の中でそれが出来ない仕組みの共産党だけはその資格はない。他者を批判する前に共産党は先ず自分達のやり方を改めるべきである。