※「法を守る」と言う当たり前が出来ないのでは仏罰が下るだろう。
対馬で盗難された仏像の所有権を巡る韓国での裁判、2審判決では1審判決とは逆に「日本の寺に所有権がある」とした。尹錫悦が考える「日韓関係改善」の一環としてこういう判決が出たのであれば「裁判所が政権を忖度した」か「政権が裁判所に圧力を掛けた」可能性が出てくる。そうであるなら近代国家として異常な事象ではあるが、韓国メディアはこれをどう報じたのだろうか?
※その意味では素直に喜べない。
やはり、と言うべきか、記事では原告の浮石寺の主張に何故理があるのか?裁判所の判決の何がおかしいのか?と言う点に言及がない。判決では問題の仏像が14世紀に朝鮮半島で製作された事、そして倭寇に略奪された可能性が高いとしたが、同時に1527年には対馬の観音寺にあった事も認めている。記事でも言及している国際法が採択されたのは1970年。例え実際にこの仏像が倭寇によって略奪されたものだとしてもそれは14世紀の話であって国際法の出来る遥か前。従って日本側が韓国に対してこれに基づいた返還要求は出来るが、韓国側が「倭寇によって略奪された」と言う理由でこの規定に基づいた返還要求は出来ない。法を熟知している筈の裁判官であれば秒で結論を出せる案件でしかなかったのだ。ハンギョレもそれは判っているのだろう。だから裁判所の判断に正面切った反論が出来ていないのである。
また、14世紀の浮石寺と現在の浮石寺が同一、もしくは継承性のあるものかどうかは疑わしい、と判断しているのもポイントである。倭寇によって襲撃されたのであれば一度消失するなどして継承の流れが途絶えた可能性がある、と言う事か。原告にとっては痛恨の判示だが、自ら「倭寇による襲撃、略奪」を主張しているのだから自分達でその同一性を立証しなくてはならない。それが出来なかったからこそこの判決なのであり、それを感情でどうこうしようなんて考える時点で法治のいろはも判っていない、と言う証明だ。これでは話にもならない。
今回の裁判所の判決は法治国家であれば当然の判決である。残念だが感情で法を越える事は出来ない。今回の判決を受けて浮石寺やそれを支援する連中はその愚かさに気付くべきである。その愚を指摘して「何故そうなのか?」を考えさせるのがメディアのあ役目でもあるのだが、事実を淡々と伝えるのみでそれが出来ていない韓国メディアはメディアとしての体をなしていない。ハンギョレの様なメディアにそれを期待するのは最初から野暮ではあるが、そこに行き着かなければわざわざ取材している意味がない。韓国人が自国を真っ当な国だと言うのであれば先ずはこういうメディアを変革させてからだ。だがそれは日本にも同様の事が言える。メディアが有害な世論や状況を作り出している好例であると言えそうだ。