地方の政治と選挙を考えるミニ講座 -6ページ目

地方の政治と選挙を考えるミニ講座

勝負の世界には、後悔も情けも同情もない。あるのは結果、それしかない。 (村山聖/将棋棋士)

猪瀬都知事が辞任することになりました。
不祥事の発覚から辞任までの経過や真相、つまり一連について、
私は報道されたもの以外の情報は持ち合わせていませんが、
気になったことがひとつあります。
それは、「擁護の声」の少なさです。



不祥事の後だけに恣意的な報道なのかもしれませんが、以下の記事のように、
都庁の中で職員に支持されていなかったという声があります。

また、前知事の辞任により急に告示された選挙でしたから、後援会もありません。
急遽設えた選挙対策本部はおそらく借り物です。
ですから、「政治家・猪瀬直樹」の根っこは実は無い。
いざというときに守ってくれ、帰る場所である後援会も、
親の役割を果たす後援会長も存在しない。
猪瀬直樹、その正体は裸の王様だったとも言えます。



史上最多の得票で当選したとはいえ、これは前任者の後継だからこそであり、
必ずしも自身だけの票ではないと、裸の王様なんだと多少なりとも自覚があれば、
こんなに寂しい辞任劇の主役になることはなかったのではないかと思います。



とは言っても猪瀬氏の場合、
後援組織がないことは成り行き上、これは仕方のないことです。
しかし、都庁で部下に支持されていないということが報道の通りならば、
副知事時代からの積み重ねであり、自業自得と言っても言い過ぎではないでしょう。
ここが選挙策士としては非常に興味のあるところです。



私が首長選を請ける場合、現職からの依頼でも新人からの依頼でも、
一番初めにすることは、現職首長が役場職員からどう思われているかを探ることです。
当たり前の話ですが、毎日顔を合わせ、仕事をしている部下から好かれ、
なおかつ仕事ができる人と認められ尊敬されていれば、この現職はほぼ安泰です。



好かれてはいても舐められていたり、小馬鹿にされていたりというケースもありますが、
こういう情報こそが隙ですね。嫌われているという場合も同様。
必ず原因、ウイークポイントが存在します。
そして策士は、依頼主が現職であればまず隙を埋める対策をしますし、
依頼主が新人であれば、隙を見極め、拡げ、露呈する対策を企てます。



役場の職員(公務員)は政治活動や選挙運動はできません。
ですから選挙協力は頼めないし、戦力にはならないと思われがちですが、
しかし、自分の上司を選ぶ選挙を黙って見ているわけがありません。
自身の出世と生活がかかっているわけですから、
大っぴらには動きませんが、自分の思惑通りの結果になるよう、
家族親族の票はがっちり固めます。
そして雑談や井戸端会議では、必ず中心人物・口コミの主になるはずです。
「市長を変えなければならない」あるいは「今、市長を変えてはならない」
どちらにせよ、役場職員の事情は誰よりも切実で願いは強大です。
この事情が意識を生み集団となり束になると、風が吹き始めます。
そしてこの風は、小さな自治体であれば瞬時に街全体を呑んでしまうほど、
強力な風でもあります。



さて、この風は議員選の場合でも吹くことがあります。
ですからそれをコントロールできれば、すなわち選挙対策でもあります。



そこでお勧めする対策が、役場職員の「こんな議員がいてくれたらなぁ」という
意識に同調することです。
単に仲良くして媚を売れと言っているわけではありません。
やる気のある職員にとって、好敵手であることが重要です。



役場の広報を見ると、いろいろな催しがあることが解ります。
イベント・講座・相談会・説明会・ボランティア…、
何でもいいから参加して、運営側の役に立っていれば、
そのうち役場の方から直に「来週のイベント、また手伝ってください」と
声がかかるようになります。
さらには意見を求められるようにもなりますし、
写真入りで広報紙に載るようなことにもなります。
役場に行き、課長級までが挨拶してくれるようになれば、
かなり近づいたと言ってもいいでしょう。
あなたのことを勝手に支援してくれる見えない後援会の気圧はかなり高まっています。
もちろん基本的な準備は別に必要ですが、あとは立候補するだけ。
温かい風に包まれるはずです。



決して大げさな話ではありません。
役場職員の「こんな議員がいてくれたらなぁ」という像は、
創造力と行動力とまとめる力と責任感があり、手柄や実利を要求しない人なのです。
越権、越境、独断、単独行動が難しい公務員の不自由さをカバーでき、
恩着せがましいことを言わずに成果を出せれば、
道は勝手に開けてくるはずです。
挑戦しようとする選挙が市町村議会議員なら、駅立ちよりも演説よりも、
世のため人のためになる行動を起こすことです。



風は逆に吹くこともあります。
地方議員も、実にならない仕事ばかりを持ち帰り、職員をあごで使い、
「害」とまで評判を落とすと抹殺されます。

中には市役所改革断行を公約とし、
市役所と対立することがライフワークになる議員もいるかとは思いますが、
恐れられるならまだ良し、
軽蔑されるようであれば、逆風を起こされ、次の選挙での当選はありません。
そして軽蔑される原因はいろいろありますが、

その最大級が手柄を横取りすることだと付け加えておきます。



人は悩める存在であります。


私も最近、選挙コンサルタントなどという泡のような商売で、


果たして一生涯を貫けられるものなのだろうかと不安になり、


自己啓発や精神世界・神仏に関する本を読むことが多くなりました。





このような本を読んでいると、繰り返し著者が問うてくることが、


「あなたは何のために生まれてきたのか」


「あなたはどのような使命を持って生まれてきたのか」


というようなことを発見、自覚することが大事であるということです。





発見・自覚する方法も、著者各位表現こそ違うものの、


「自己との対話」「自分に潜むもう一人の自分に問う」等、


「答えは自分自身の中にある」という点で共通です。





私も面白いと思えるものを何冊か読んでいくうちに、


何とかもう一人の自分を捕まえることができ、


そういえば小学5年の時、中学2年の時、そして高校生の時も、


児童会・生徒会の選挙の推薦人と応援演説を


友人や後輩から頼まれたことを思い出させられました。


そして大学生になってからも、


学園祭の委員長を決める選挙の根回しを、先輩から任されたことがあります。


他にも「選挙コンサルタントこそがあなたの役割」と説明できる事象と性格を、


もう一人の自分のおかげで数多く思い出し、また自覚することになりました。


そしてようやく、この仕事こそ私の使命なのかなと、


思えるようになったわけです。





さて選挙に出ようとする皆さんにも、それぞれの使命感があるはずですし、


これまでに私は、皆さんの「使命感」を聞かせていただき、


それを演出するということを、これまでに業として担ってまいりました。





そして最近、私自身が私の使命を追求することによって、


選挙に出ようとする人、つまり私のお客さんには、


2種類の使命感があることがわかりました。


その一つは、選挙に勝つことそのものが使命と考える人。


もう一つは、選挙とは別の使命を持っていて、使命を果たすために選挙に出る人です。





後者の方がわかりにくいので説明を加えますが、


例えば今をにぎわせている徳田虎雄元代議士ですが、


彼は往時、命だけは平等だという理念のもと、


地域や貧富による医療格差を失くすため、もっともっと病院を建てようと考えました。


そこに立ちはだかるのが、医師会であり行政・政治の壁であったわけです。


そして、その壁を自らが突破するために選挙に打って出た。


つまり病院を建てることが徳田氏の使命であり、選挙はその方便であったわけです。


(いつから脱線したかは知る由もありませんが…)


これが、「選挙とは別の使命を持っていて、使命を果たすために選挙に出る人。」





こういう使命感を持つ人はやはりスペシャリストに多いのが特徴です。


私が関わった選挙でも医師の方は数名いますが、


みなさんそれぞれが、現職の医師という立場でしか提言できないことを発し、


地方議会の現場で活躍されています。


そのほかには、保育や介護を専門にする人、都市計画が専門の人、


環境保全が専門の人、起業支援が専門の人、


子どものため、高齢者のため、貧しい人のため、障がいを持つ人のために


身を粉にして福祉活動・ボランティアに勤しむ人…。


こういう職業、活動の人が、やはり行政・政治の壁にぶつかると、


「じゃあ俺が議員になって、役場の常識・行政のルールを変えてやろう!」となる。





こういう出馬の仕方の場合は、最初から理解者と仲間がいます。


次に動機が明確なので、無理な演出に労力を奪われることがありません。


「会社を辞める」というようなリスクもないので、家族に反対されることも少ない。


資金の心配も少ないし、仮に足りない場合でも集めやすい…。





このように使命が選挙の他にあると、大変優位な立場から選挙が始まります。


しかしこのような使命を持てる人というのは極めて少数でもあり、


候補者の大半は前者の「選挙に勝つことそのものが使命と考える人」なのです。





私は立候補する動機について、それがいかなる理由であろうと、


崇高だとか低俗だとかを問うつもりはありません。


ただ10人中10人が、聞かれれば、


「世のため人のため、次世代のため、弱者のために私は出る」と言います。





しかし、今はこの人たち何もしていません。


今は会社が忙しくて時間がないから、あるいは仕事がなくてお金がないから、


正しくは「当選したら世のため人のため、次世代のため、弱者のために働く」


というのが、「選挙に勝つことそのものが使命と考える人」の本音と実情です。


逆に言えば当選できなかったら、何もできないし、残らない人たちなのです。





このタイプの人たちは立候補を表明した時点で既に退路を断たれています。


「選挙とは別の使命を持っていて、使命を果たすために選挙に出る人。」は


もとのさやに戻ればいいだけのことですが、


「負ければただの人以下」になるのはこの手の人たちです。


だから選挙に勝つことは「使命」などという甘っちょろいものではなく、


絶体絶命なわけです。


出ると決めたらその動機を打算的だの、利己的だのと省みてはいけません。


自分こそが正義だと、強く強く暗示にかけ、


「選挙とは別の使命を持っていて、使命を果たすために選挙に出る人。」の倍、


3倍、4倍と運動しなくてはなりません。





ここで注意しなければならないことは、


暗示をかけすぎて自惚れにならないようにすることです。





私が訪問販売のブラック会社に勤めていたとき、


土浦営業所の上に茨城支店という組織が新設され、支店長が赴任してきました。


この支店長、当時30代後半だったと思いますが、社内ではスピード出世です。


鏡を見るのが大好きな、実に自己愛の強い男で、


「俺は選ばれて生まれてきた男だ」と、酔うとお決まりのセリフがありました。


その支店長よりも私の方が先に会社を辞めましたが、


この支店長は土浦という風俗街のカモに転落し、会社を追われたそうです。





「俺は選ばれて生まれてきた男だ」とそこまで自分を愛せるのは、凄いことです。


しかし、それを放言してはやっぱりダメです。


私の経験からも、候補者は戦いの真っ最中の苦しいときに限って、


「私は政治家になるために生まれてきた人物だと思うのです。」と言ってみたり、


「私は持っていますから大丈夫です。」なんてことを言い出します。





これは普段ちやほやされている人が、選挙の狂騒の中で、


「動きが足りない」とか「気配りが足りない」と、周囲から非難を受けたときの症状です。


自分に都合の悪い評判に耳をふさぐ行為ですから、


過度な自惚れは、他人の指摘を受ける機会をみすみす逃し、


戦いの途中で仲間を失うという、最悪の事態を招く恐れもあります。





さあ、あなたの使命はなんでしょうか。


何をやるために、どのような使命を持って生まれてきたのでしょうか。


政治家になることこそわが使命と考えるならば、


まず、何でもいいから徹底的に人様に役立つ何かを始めることも、


目標到達への一つの方法だと思います。


もし時間があるならば、


「選挙とは別の使命を持っていて、使命を果たすために選挙に出る人。」からの


立候補を検討してみてはどうかと思います。


1年半ほど前の話ですが、とある講演会に出かけました。

都心で行われたその講演会は、地方議員・政治家を目指す人・行政職の人等が対象で、

特に地方自治に関する有識者数名が、講師を務めるものでした。

客席が演台に向けて固定されたホールでの開催でしたので、

私は最後部の席を陣取り、聞くに徹することにしました。



ちなみに私は、会議室等の平らな席でのこの手の催しが苦手です。

講師と目が合い意見を求められたり、自己紹介をしたりするのがとても億劫なのです。

その後の意見交換会・名刺交換会などもパスするクチです。

講演後、自治体を民営に…というテーマで語った講師と話したいと思ったのですが、

特にこの講演会の参加者は若い人が多く、私には肩身が狭い感じがしたので、

その日も、その講師の著作を買い求めて、会場を後にしました。

ちなみに参加者は20代と30代で7割、40代が2割、残り1割がそれ以上、

男性が8割、女性2割というところです。



家に帰って家内が「どうだった」と聞いてきました。

講演の内容を話しても何の土産話にもならないと思ったので、

「さすが政治を目指すような若者たちだ、男も女も凛として、

颯爽とした美男美女ばかりだったねぇ。」と、答えました。

実際私は最後部の席から、おそらく学歴も高く、人気の著名な会社に勤めている、

上昇志向の強い、現代の若者たちを観察していました。



続いて家内が、「さと」という名の大きなメスのくさがめに向かって、

「いいどな、さとたん。東京にはいい男がいっぱいだと。」と茨城弁で言ったので、

私も「んだよ、堀潤みたいないい男がいっぱいいたわ。」と

さとの甲羅を撫でながら合わせました。



と言ったところで、本当に男たちは堀潤みたいなのばっかりだったなぁと、

あらためて回想しました。

スリムなスーツまたはワイシャツ、そして何というのだろうか、

モヒカン? あの鶏頭のようなヘアースタイル。そして先のとがった靴。

一昔前だったら、そのままV字型のギターを持ってステージに上がれそうな恰好が、

昨今の若きビジネスマンの定番なんですね。



でも私は、これを非難するつもりはまったくありません。

私の20代にだって流行があり、ビジネスマン典型の像がありましたからね。



そこで今回は、選挙における服装について考えてみたいと思うのですが、

選挙に出ようという人は、いい意味で流行に左右されず、

悪い意味では頑固な人が多いと、私は感じるところがあります。



例えば、ネクタイの勝負カラーや柄にはとことんこだわるくせに、

コーディネートを全く考えないという、田舎の老議員がいます。

また、「人間、ベルトと靴と財布と時計は一流のものをもつべきだ」なんて、

座右の銘がありながら、スーツの上下が別々なのを知っていて着てくるなど、

一本ネジが足りないのが多いのも、この世界の特徴かもしれません。



そして若い人の場合でも、不思議と着るものにあまりこだわらない人が多い。



それはきっと、服=仕事の道具 という意識が薄いからではないかと思います。

例えばエリートと呼ばれるサラリーマンでは、スーツとネクタイと靴は仕事の道具です。

顧客の目もあるとは思いますが、職場の上司や異性のへの意識もあるでしょう。

つまり着るものについて、単に好みではなく処世の意図があるわけです。



では、政治家の場合、服=仕事の道具 にあらずということになるのでしょうか?



決してそんなことはないはずです。もともと人気商売なのですから、

容姿を整えることは、政治家・選挙に出る人の重要な務めですよね。

私はネクタイだけがアンバランスにド派手だろうが、スーツの上下が違おうが、

何期も連続当選している大先輩に説法を述べるつもりはありませんが、

これから初めて選挙に臨むという人は、

ぜひ着るものには気を遣ってもらいたいと思います。



その時のポイントが流行です。

流行とは意識の移ろいであり、決して固定されているものではありません。

私はわざわざ1年半前の話を持ち出して堀潤氏を登場させましたが、

もし講演会が最近の話だったら、

私が見る若者みんなが半沢直樹みたいに見えたかもしれません。



私は67年前にメルマガで、「ポスターの写真にネクタイは必須」と書きましたが、

昨今こんなにクールビズが定着するとは全くの意外でした。

ポスターの写真にネクタイは未だに常識ではあるけれど、

特に夏の選挙では、必須と言えるほどのものではなくなりました。

また、平成4年、私が永田町で参院議員の秘書だったころ、

中村喜四郎代議士が逮捕され、その逮捕される模様がテレビニュースに流れました。

私はあの時、喜四郎先生ほどの人でもスーツのネクタイを外しただけで、

こうまで「落ちぶれた」印象になるんだと驚きましたが、

今ではスーツにノーネクタイはなに不自然ではない格好です。



要は「像」は時代とともに変わるということです。

そしてその時代を象徴する像は、人々の意識によって創られているわけです。

ですから流行や時代のヒーローは、

みんなの意識が創り上げたものであり、

それを真似るということは、もっとも簡単な民意との同調の手段であると思うのです。



さらに私は、真似るのであればテレビの局アナがいちばんいいと思います。

「視聴者に失礼なく、不愉快を与えることなく」と、演出のプロ達が作った姿ですから、

これが突拍子もないとか、垢抜けないという印象を与えることはまずありません。



そして、選挙を戦いとおす定番のスーツ・シャツ・ネクタイの組み合わせと、

ここ一番という時の組み合わせを決めておくと、とても楽です。



あと選挙中の服飾で注意しなくてはいけないことを一つ。

それは、ラフな時ほど気を付けるということです。



皆さんも経験あると思いますが、

例えば会社の上司や、学校の先生、つまり年上・目上の人で

多少憧れを持って見ていた人の私服姿に幻滅したこと…。



政治活動を始めてしばらく経ち、印刷物等の効果で名が知られてくると、

もう、リーフレットの表紙のイメージが支持者には刷り込まれています。

ですから、Tシャツに短パンだとか、無精ヒゲだとか、

パチンコの客のようなジャージだとか、ラフすぎる姿での外出はご法度です。

シャツの裾をズボンに入れるか入れないか、

ポロシャツの第一ボタンを留めるか留めないか、

こんな程度のことでも評判になりますから、

私の知り合いの議員には、

選挙中はラフの装いもあらかじめこれと決めている人がいます。



選挙はある意味イメージ作りです。

何種類ものビラを何回も撒き、駅に立ち、街宣車に乗り、

みんなで一生懸命、有権者にイメージを伝えているわけです。

せっかくここまで頑張っているのですから、

頓珍漢な格好して今までの努力を不意にするのはやめましょう。


簡単なことです。

流行を参考にこれと決めた服を買い、

外出のたびにキチンと着こなしていればいいだけのことです。


インターネットの普及が進み、そして選挙運動も解禁となり、

今から政治を目指す人にとって、ネット対策は必須のものとなりつつあります。

特に若手の場合は、もう既にネットを上手に行使しており、

手の込んだ、そしてまめに更新ができている素晴らしいサイトを披露しています。

デザインも斬新で、一見申し分なさそうに見えるのですが…。



…が、しかし、「ライバルに差をつけよう」という意図がどんどん鮮明になり、

演出の度が過ぎているものがとても多くなってきているなと、昨今私は感じます。



秋は、運動会・文化祭・敬老会・農作物の収穫…と、行事目白押しで、

選挙に立とうとする人にとっては、パフォーマンスの機会に恵まれた時期です。

当然、各人は行事の現場に向かい、地元の人々との交流に勤しむわけですが、

最近ではその模様を写真や動画に記録し、ネット上に公開し、

行事を二次的に利用することまでが、

政治家・政治を目指す人にとっての必須行為になろうとしています。



若い市議会議員のブログなんかを見ていると、

他のみんなは必死の形相、一生懸命に綱引きに興じているのに、

議員本人一人だけがカメラを意識した顔で、写真中央に収まっていたりします。

運動会の主人公は誰なんだろうかと、一言ボヤきたくなります。



私と同世代の方はわかっていただけると思いますが、

「わざとらしい」とか、「目立とう精神」とか、「くさい演技・芝居」は、

子どものころから人に嫌われる行為の代表格でした。

もっと言えば、手柄は人に譲るというくらい控えめの、思慮深い生き方の方が粋であり、

潔く正しいという美徳を教わってきていると思います。


にもかかわらず、「ネットを使いこなしている」と自負のある地方議員のそれは、

自慢話と作った笑顔の写真のオンパレードで、

トップページだけで「ごちそうさま」と言いたくなるものが、本当に多い…。



もともと選挙という難事を経てまで政治家になろうとする人は、

自己顕示欲が強く、度胸も据わっていますが、

何と言っても自己愛が他人よりも格段に強いのが特徴です。

この「自己愛が他人より強い」ことは、当人も気付いていない場合が多く、

そのことを誰かが指摘してあげないと、

「自慢話と自画自賛のオンパレード」という、記事になってしまうわけです。



私が関わった選挙を省みても、

ブログのアクセスが増え、応援のコメントなんかが付き始めると、

候補者は記事を書くことが楽しくなり、サイトは盛り上がるのですが、

候補者は「もっと盛り上げよう」とサービス過多となり、

芸能人のファンサイトのように、

ファン以外の人が読んだのでは、全く面白くない記事が上がるようになります。



ここで整理しておかなくてはいけないことは、サイトの目的ですね。



このことは以前、拙者のブログ 小さな選挙のネット対策  でも書いたことですが、

地方議員に出ようとする人のサイトというのは、

看板やビラやポスターなどを見て、●●さんに興味を持った人が訪れ、

「もう少し詳しく●●さんについて知りたい」という目的を適え、

最終的には、その来訪者から一票をいただくことが本来の目的です。



この一連を例えるとネットショッピングが適しているかと思います。



私が例えば、道州制について勉強しようとネットで書物を探す。

いくつか私の興味を満足させられそうなものが見つかるが、まだ買う決心はできない。

そこで参考にするのが書評、お客様の声ですね。

為になったか否かという評価に加え、どんな人が評価をしたのかが気になるところです。

自分の知的レベルよりはるか上の人が書いているようであれば、

買うに躊躇するし、逆の場合も不十分な感じが否めなく買うには至らない。

結局、自分と似た知的レベルと志向を持った人が、

高い評価をつけていると、それが買う際の決め手になります。

そうです。本でなくともネットショップでは「お客様の声」が充実しているから、

現品を見なくても私たちは買う決心ができるわけです。



テリー伊藤さんは、20年も前に書いた「お笑い北朝鮮」という本で、

『金正日は決して自画自賛はしない。側近やあるいは一般市民の名を借りて、

「さすがは将軍様」という寓話・感動話を、これでもかこれでもかと言わせ書かせ、

ついには神格化する…。』と、将軍閣下の演出の仕方を評価しました。

これを一般人に試食させ「美味い」と言わせるCM、「奥様ラーマ商法」だと、

面白おかしく書いていました。

私も、選挙が「人の評判を売る」ということが本質であるが故、

「他人に褒めさせる」という広報手段は、有効であると考えます。



そこで私は、最近関わった市議選である対策をしました。

元々この人のブログは成り立ちから「後援会のブログ」という形式で、

後援会幹部の誰でもが自由に書き込めるルールになっていたので、

選挙も近づいたある日、候補者本人の書き込みを原則禁止にしました。

コメントの返信のみ本人担当にし、

記事や政治・選挙の活動報告は後援会の皆さんに書いてもらいました。



さて、選挙というものは何が奏功したかという因果の特定はできませんが、

その後援会の人たちが書く候補者評は、義務ではなく、

本心から候補者が好きだから、勝たせたいから、市議会に必要な人物だから…。

という気持ちが素直に出ており、結果嫌味なく候補者を宣伝できました。

ラーマのCMに出てくる奥様方のように、

あるいはネットショップの「お客様の書評」のように客観が商品説明をリアルにし、

通りすがりの訪問者をこちらに取り込んでくれたのではないかと、

私には納得できる実感があります。



さあ、冷静に客観的に考えてみましょう。

「■■地区の運動会に行きました。皆さんと一緒に汗をかきました。」

「今朝は6時から●●駅でビラを配りました。あいにくの雨でした。」

こんな記事のなにが面白いんでしょうか、どこに価値があるのでしょうか。

サイトに訪れる人は、政策ビラやリーフレットを見て、

もっとあなたのことを知りたいと思って来ているはずです。



その「もっと」とは何でしょうか。

選挙候補者に向けられる興味は、一般的に趣味や私生活を覗くものではありません。

書評で気になることが「どんな志向の人種がこの本を読んだか」であるように、

あなたが社会でどういう位置にいるか、

あなたがどういうコミュニティーに属しているかが知りたいわけです。

さらには、黒いウワサがないかということが知りたい。

そしてあなたが周りからどう思われているのか、

周囲ときちっと共存共栄ができている人物であるかどうかが知りたいのです。



ですから、もともと不粋な行為の代名詞である、自己中心的な自画自賛・自慢話は、

羅列したところでプラスの効果はありません。

大事なことはあなたの周囲にどういう社会が拡がっているかということです。



そこで候補者がブログ等の記事を書くときのコツですが、

記事の中に多くの人物を登場させることです。

その上で自分の位置を示すというのが、もっとも有権者の興味を満足させる方法です。

前述の通り、正体を公表している第三者に自分を評価してもらうのも、

自画自賛よりは効果があります。



手記や私記も、ダメとは言いませんがそればかりにならないよう、

読み手の需要を第一に考えて、サイトを構築するように心がけましょう。



川上哲治さんが亡くなりました。

川上さんが巨人の監督を退かれたのは昭和49年ですから、40年生まれの私にとっては、

川上さんのユニフォーム姿というのは、ほとんど馴染みがありません。

しかし「巨人の星」という不朽の名作漫画の登場人物として、師には思い入れがあります。

大人物を称する言葉に「雲の上の人」というのがありますが、

その呼称に相応しい方であったと思います。



私にとって巨人の星という漫画は、少年時代から現在に至るまで、

ずいぶん人生訓を受けた大事な書物であり、未だに全巻を手の届く場所に置いてあります。



その中に主人公の星飛雄馬がその川上監督に背き、二軍行きを命令され、

少年時代に父・一徹から受けたしごき、教えを回想するシーンがあるのですが、

今回は、私も何度も読み返したその部分を紹介します。



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『小学校5年生の冬…、毎朝10kmのランニングが日課だった。

行く手の道が3本に分かれる。その真ん中が父ちゃんの決めたいつものコースだった。

ところがその真ん中の道は工事中で通れなかった。

右の道は近道、左の道は遠回りで、俺はつい、右の道を選んだ…。



近道の終点に父ちゃんがいた…。



ものも言わずに殴りとばされた。鼻血に染まりぶっ倒れても、なお蹴りまくられた。

(父ちゃんが)鬼に見えた。そして鬼は叫んだ。

「飛雄馬よ。なぜ遠回りを選ばん。つらい苦しい遠回りを選んでこそ成長がある。

これから人生においても野球においても、行く手に障害があるときは遠回りを選べ。

二度と近道を選んでみぃ! そのとき限り、この星一徹の子ではないと思えっ!」』

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さあ、川上哲治が打撃の神様なら、星一徹はスパルタ教育の神様。さすがです。

ここで星一徹のスパルタぶりを否定すると物語にならなくなりますが、

飛雄馬が近道を選んだ本当の理由は何でしょうか。

単に、自分に甘かったという言葉で片付けられるものなのでしょうか。



この話はもともと作り話ですから、誰がどう解釈してもいいのですが、

私はこのランニングそのものが「課されたもの」であることが近道の理由だと思います。



選挙の現場でも、例えば候補者の動きが鈍く、日々の活動が遅れ気味の場合、

私の立場からは、「一日100件訪問せよ」というようなノルマを課します。

しかし候補者が、渋々このノルマをこなしているようでは、成果にはなりません。

候補者の報告を聞けばすぐわかることですが、

渋々やっている場合は「とりあえず100件訪問しました」と、大概そう言います。

そうです、「とりあえず」と…。

まだ日も高いのに、とりあえずの人は100件訪問したらその日の活動は終わりです。



逆に自分の意思で動いている場合は、

一か所で話し込んで「頑張ったんだけど70件しかできませんでした」とか、

「今日は足が軽くて、150件以上は行けました。」というような報告。

あるいは、「こんな質問されたんですけど」「当選もしていないのに陳情を受けました」

というような報告を夜遅くか、翌朝にくれます。

その報告には訪問中の手応えや珍事等、日々のそれぞれの動きが見えるものです。



一徹親父からの視点では、

飛雄馬が自身のためにではなく、「父ちゃん、とりあえず走ってきたぜ」と、

ランニングの目的を理解していないことに、まず腹が立ったのではないでしょうか。



そしてもう一つ、この話から学べることは、「運動量」を積み重ねることの重要さです。



この社会は「いかに小さな力で大きな効果を産むか」、

つまり「効率」という観念に支配されていると思います。

なるべく小さな力で、大きな成果を産むことが良しとされています。

ですから現代社会では目的地に近い道を選ぶことがスタンダードですよね。



書店に行き、自己啓発や人生指南の書を見て回わっても、

必ずと言っていいほどタイトルにあるのが、

「一週間で」とか「三日で」という速成を表題にするものです。

受験用の参考書も、「楽々マスター」だとか「半年で司法書士合格」等、

短期・省力で結果を出すことをうたう書物がとても多い。

ですから、私のようなコンサルタントにも、

手間暇かけずに選挙に勝つという、戦略やサービスを期待して訪ねてくる方も多く、

話がまとまらないこともあります。



お金をなるべく使わない方法や、短時間で陣形を整える方法。

つまり、今あるものだけでどれだけのことができるかという相談であれば

当会の目指すところであり、親身に相談に乗れるのですが、

努力や運動量を最小限にという考えには賛同できません。



ここに3種類の政策ビラがあったとして、

これを一回の訪問に3種類を持って行ったのでは、本来の使い方ではありません。

3種類のビラがあるということは、3回訪問できる口実ができたと考えるのが、

選挙では正しい考え方です。

一人の有権者、一軒の家、一つの地区に、できれば何回も何回も、

他の候補者の誰よりも多く、訪問するなりビラを落とすことが、

特に候補者数が数十人に及ぶ、市区町村議会議員選挙では大切なことです。

たかがビラ一枚ですが、その一枚になるべく多くの汗をしみこませることが、

一枚の価値を高める方法です。

新聞折り込みよりもポスティング、ポスティングよりもあいさつ訪問…と、

「効率が悪く手間がかかる」配布方法のほうが、効くわけです。



「とりあえず」の人は、公務員や会社員、つまり給与所得者出身の人に多い。

おそらく仕事を創ることよりも、与えられた経験の方がまさっているからでしょう。

しかし個別訪問一日100軒を与えても、それが効率が悪いと見るや、

「もっと他に戦略はないのか」という様ことを言い出します。



以前にも書いたことですが、市区町村議員の選挙に本来戦略などはなくていいんです。

運動量と気合が他を圧倒していれば、勝機にたどり着きます。

その運動量と気合を形に表わすのが演出であり、

広報の仕方をコントロールするのが戦略ですから、

一にも二にも、候補者の運動量がものを言うわけです。



選挙では「いかに小さな力で大きな効果を産むか」という観念は邪魔です。

遠回りした分は、決して無駄にはなりません。

ですから他の誰よりも汗をかき、

まず、運動量で負けないようにしてください。