一票の重み | 地方の政治と選挙を考えるミニ講座

地方の政治と選挙を考えるミニ講座

勝負の世界には、後悔も情けも同情もない。あるのは結果、それしかない。 (村山聖/将棋棋士)

今回はちょっとスピリチュアルな話から入ります。

 

皆さんは輪廻転生だとか、前世の存在って信じていますか?

私は、「在る」と考えた方が様々なことが腑に落ちるので信じていますし、

自分の前世は何者であったか、

できることなら解明したいと思っています。

 

 

この辺の話題に詳しい人や、

実際に前世の記憶を持っている人たちの話を繋ぎ合わせると、

どうやら私たちは母親の胎内に入る前に、

今世で生きる使命や課題をある程度決めて、

国・家・両親を選んで生まれてくるらしい…。

 

 

桜井識子さんという、元はブロガーだった方で、

やがて多数の著作を世に送り出すに至った方がいらっしゃいますが、

この方は前世の記憶をお持ちで霊能者を自認されております。

そして今世に生まれてくる前の記憶を次のように書かれています。

 

(略)~生まれる前の記憶は、ほんの一瞬だけあります。

私は大きな紙か何か (大きさはこたつの天板より一回り大きめです) を、

広げています。

正座をした姿勢で前傾になり、その紙を覗き込んでいます。

私の横には、2人、人がいます。

”いる” ということは確実なのですが、姿は思い出せません。

もちろん、誰なのかもわかりません。

私はその2人と、これから生まれる人生について、計画をたてています。

この瞬間だけが、鮮明に記憶にあります。

 

 

私にはこのような記憶はありませんが、

この記事を初めて読んだときは「あぁやっぱりな…。」という感慨があふれました。

なぜ「あぁやっぱりな…。」なのかはよくわからないのですが、

確かに「あぁやっぱりな…。」と、心の深いところで感じました。

 

 

桜井識子さんが今世に生まれる前に人生を一緒に計画した二人が、

守護霊なのか神なのかはわかりませんが、

大きな信用を得る人、

大きな仕事をする人、

大きな愛情や恩恵を周囲に与えられる人というのは、

人生を一緒に計画した二人のような見えない者との信頼関係が良好で、

見えない者から見守られ、応援されている人じゃないかなと思えるのです。

 

選挙・政治という争いの世界で生きているせいもあるかもしれませんが、

目に見えない者の力や影響を、私は否定できません。

さらに、選挙に出て当選し、政治を仕事にするというプロセスも同様に…。

つまり政治家を世に送り出し、その人が政治家としてまっとうに成長するためには、

見守り、伴走する賢人の支えが重要なのではないかと思います。

 

 

ごく一般的な地方議員選挙にこれから挑戦しようという場合、

先ず整えなくてはならないのが陣形です。

信用が厚い人に後援会長をお願いするというのは、

連帯保証人を決めるのと同じくらい難しいものです。

さらに選挙そのものを手伝ってくれる人材を確保するというのも、

己の人徳が試される試練です。

陣形を整えるということは決して簡単なことではありません。

 

私たちが生まれる前もひょっとしたら、

格上の経験をした魂や神様に対し、

「今度こそ世のために尽くし、充実した人生を送ります!」と懇願して、

何とか肉体と生命を与えられているのかもしれません。

 

どうにか後援会が形になったら、

いよいよ支持を訴えに活動を開始するわけですが、

基本的には有権者一人一人に語りかけては声を聞き、

時には後援会長や支援者の信用や人脈を借りながら、

一票ずつを積み重ねるように支持者を増やしていきます。

その地道な過程において候補者は、

有権者からの負託を背負わされ「それらしく」成長するのではないかと思います。

 

私も55歳なので相談に見える方は年下の方が多く、

なかには「小生意気な奴だな」って感じの相談者もいるのですが、

コツコツと戸別訪問を重ねるうちには、

だんだん、人の話を聞くことや、相槌を打つのが上手になってきます。

人柄も短期間で落ち着いて来るのがわかります。

有権者に育てられているわけです。

 

 

選挙とは、候補者から見れば支持者を争奪する戦いですが、

有権者から見れば、候補者に対して負託をする機会でもあり、

候補者を教育、試験する場でもあります。

参政権を行使するということは、投票する、あるいは立候補するだけではなく、

選挙運動(落選運動も含む)やリコールに深く積極的に関わる、加わるという、

行使の仕方もあるわけです。

 

 

ところが私たちは、

「一票が平等に与えられている」我が国の普通選挙制をもって

民主主義が完成されていると思い込んでいないでしょうか。

行政は棄権せず投票に行くことばかりを促していますが、

候補者に対して負託、教育、試験する場と機会として

選挙を大いに活用すべきではないかと思いますし、

そのための制度改革の必要があると私は考えております。

 

 

ただいま都知事選挙真っ盛りですが、

立憲民主党の須藤元気さんという昨年比例区で初当選したばかりの参院議員が、

宇都宮健児氏を推す党の方針に反発し、

離党するとかしないとかで騒いでおり、

党でも対応に苦慮しているようです。

 

須藤氏だけではありませんが、

公認を軽々と差し出してしまう選挙の立ち上がりは、

往々にして「後援会を形にする」という過程を省いています。

つまり、須藤氏の身勝手を指摘できる目付け役がいないということです。

 

党紀を汚したり、SNSで失敗したり、小金の扱いで失敗したり、

不倫したり、酒で人に迷惑かけたり、

政治的なミスというより人としてアウトな問題を起こす人って、

大概、「後援会を形にする」という過程を省いて当選した人たちです。

党勢(風)に乗っかってあれよという間にバッジをつけた人こそ、

目付け役がいないせいか、実に幼稚な事件を起こします。

須藤氏だって自身が政治家なんだから、

上層と対立したなら政治的に理詰めで対決すべきです。

涙なんか流して駄々こねて、見ている方が恥ずかしい…。

 

 

さて、肝心の都知事選の方も、

地に足をつけた地道な戦いに挑んでいる候補者が一人もいません。

都道府県知事選の運動期間は17日間です。

人口1400万人に迫る都知事選も、人口55万人の鳥取県も同じ扱いです。

このように人口(有権者数)・自治体の規模に関係なく

選挙のやり方を一律に定めていて、

例外がないというのも公選法の欠点に数えられます。

 

 

選挙に苦労すると一票の重みを肌身で感じられますが、

運命のいたずらで選挙に勝ってしまった人にはその重みが理解できない…。

どうやらそういう傾向はあります。

ですから有権者としては、

候補者をよく観察して比較することも大切ですが、

理想的には、なるべく深く選挙運動に関わる、加わる、そして負託する…。

 

選挙が主権者である国民の重要行事に位置づけられるようになり、

私たちの主権を具現化し、政治家を監視できるようなしくみがなされれば、

世の中面白くなるのではないかと思います。