さて、明日は、(、というか、もう今日ですが、、、)St.Patrick's DayというIrishのお祭りみたいなのがあります。
アメリカで2番目に大きいSt.Patrick's Dayのパレードが私のいるとこで行われます。
なんと、選挙運動のため、ヒラリークリントンもパレードに参加するそうです。
実は、なんのお祭りか私もいまいち、わかってませんが、
とにかく、緑色のものを身に着けることと、朝から、みんな飲んだくれるってことだけしかわかりません。
この日には、バーやパブで緑色のビールなどが飲めたりします。
私も朝9時から、友達の家でパーティーです。
何人かは、朝7時から飲み始めるそうですが、、。
飲むために、早起きする。という努力のばかばかしさがすごいです。
私もできれば、朝早くから参加したいですが、今、すでに4時で、今まで飲んでたので、さすがに眠いです。
さらに、朝から晩まで飲むために、寝ておかないと、、、
パレードは12時くらいからなので、みんな、友達の家で飲んだあと、街に繰り出して、バーをはしごするらしいです。
パレードをみるんだかなんだか、、私は、酔っ払うの確実ながらも写真を撮るためにカメラを持参します。
(友達には、カメラを持っていくべきじゃないってとめられましたが、、、。なんせ、道行く人みんなが酔っ払いで、すごい混むイベントなので。)
さて、どうなることやら、、、、少し、心配、、、。今も酔ってるし、、、、。
アメリカにもp「ウコンの力」とかあればいいのに、、、。
今日、卒業後のことを色々考えて、気づいた。
もうずいぶん、長い間、私は「普通」になろうと頑張ってたってことに。
「普通」コンプレックスみたいなのがあった気がする。
本当は、自分になることが一番大事なのに、自分になろうとしながら、
普通っていうものに憧れみたいなものを抱いてた。

「普通さー、、、」「それ、普通やらないよ。」日常の中で、普通って言葉はよく使われる。
私は、生まれてきた時に、日本という国で、すでに普通じゃないポジションで生まれてきたから、
何が普通かわからなくて、返って強く、普通でいようと頑張っていた気がする。
でも、振り返ると今までの人生で、普通、みんなやるんだろうなーと思って、
やったこととか普通じゃなかったり、自分がやろうとかやりたいと思って、やったりしてたら、
どんどん「普通の人生」とかけ離れたみたいだ。

でも、人生の中で、普通のことって、すごく大事だと思ってる。
普通であたりまえと思われてることにいつも感謝していたいし、
普通のことができる人を尊敬する。自分ができてないからかもしれないけど、、。
例えば、毎日、毎日、朝起きて、ちゃんと仕事に行く人、
毎日毎日、朝ごはんを作るお母さん、
毎日、店を開けてくれてる八百屋さんや、スーパーの人、
とにかく、そういうことが普通に毎日できるってすごいと思う。ありがたいと思う。
当たり前じゃないと思う。普通じゃないと思う。
でも、普通と言われるから、そういう当たり前のこと、普通のことができない自分にコンプレックスを感じる。

アメリカで留学生の就職活動のためのジョブフェアとかがあって、就職活動ってものをしてみようとしたけど、
右も左もわからなくて、そういう日本の団体活動には長らく無縁だったことに気づいた。
そして、友達にに聞いてみようと思って、考えてみたら、私の友達で、就職活動をしてた人ってそんなにいないことに気づいた。自分で、店持ったり、フリーランスになったり、マッサージ師になったり、、。
一緒にジョブフェアに行ったこっちで会った年下の日本人留学生の方が、よく知ってた。
そもそも、その日本人留学生の子がいなかったら、就職活動をするっていう考えさえなかったし。

だから、卒業後、あれをやろう、これをやろうと思ってても、
でも、普通に会社に入って、働いたりしといた方がいいかな。とか普通に働いてみたいな。とか、
そういうことを思ったりする。でも、そうすると、やりたいことをやる時間とか時期とかかみ合わなくなってくる。

旅行とか留学をたくさんして、この世界には色んな人やいろんな人生があって、
どれも普通じゃないその人だけの人生なんだなーっていうのもわかってきたし、
もう、開き直って、覚悟を決めて、自分になるしかないんだろうなー。
昔は、なんでも知りたい。世の中のこと、全部知りたい!とか思って、好奇心全開だったけど、(好奇心は、今もかなり強い方かな。)世の中、知らなくてもいいことがあるって最近、少し思う。
周りの年上の人とかがよく言ってたけど、、。ほんとだなーって、、。
知らなくても困らなかったっていうこととか、逆に知って、困ることとか。
別に、知らなければ傷つかなくて済んだのに、、。とかいう類のものじゃなくて、、

自分の経験の例でいうと、
アメリカ来て、英語使い出して、しばらくは、普通に話してたのに、スピーチのクラスで、
先生が、、「むやみに、--like, とか、You knowとか使わないように。会話で、みんなよくやるけど、聞こえはよくない。」って言ってて、へー、みんな使うのかーって注意して周り見てたら、結構、みんな使う。んで、なんか自分までいつのまにか使うようになってた。知らなければ、使うようにならなかったかも。
日本語の、ていうかー、とか みたいなーとかと同じくらい聞こえが悪いかもしれない。

他にも、高校卒業後に入った大学で、やたら、私が、最上級生と仲良くなってたのを、
よくつるんでた一個上の上級生グループの子達が気に入らなかったらしく、ハブにされたとき、
なんでシカトされてるのかわからなくて、グループ内の一番仲良かった子に聞いたら、
「お前、ねたまれてんだよ。」って言われて、、妬みってものがわからなくてすごくショックを受けた。
妬みって何?うらやましいとかはわかるけど、いいなあーと思ったら、友達になりたいと思うじゃん?シカトってなんだ?
もう本当に、自分の中に妬むって感情が(その概念自体が)なかったから、すごくびっくりして理解に苦しんだ。
でも、それで、そうかーそういうのがあるのかーって思ってから、自分の中にも妬みってものがインプットされて、
そのあとから、それが、自分にも起こるようになった。(基本、自分大好き人間だから、そんなに多くはないけど)
でも、その感覚や概念を知らなかったら、人を妬むことを今でも知らないままだったと思う。

自分の理解を超えるありえないくらい嫌な行動をとる人を知ると、怒りと共に、そんな人がこの世に存在するんだってことも許せないけど、知っちゃうから、一度、知ると後戻りできないみたいなことってあるよね。

そういう意味で、知らなくていいこともあるんだなーと思う。
今は、ネットで情報が氾濫している時だから、例えば、闇サイトなんて存在をしらなければ、探そうともしないだろうし、、。ニュースになって、余計有名になって、自殺サイトを探して自殺するきっかけが増えたり、、。
知らなくて良いことって、知ろうとして知ったんじゃないことも多いのかも。
正義が必ずしも勝つわけじゃないとかね。悲しい事実なときもある。
知った後にどう消化するかが大事なんだろうなー。大事なことを守れるように強くありたいな。