4月1日にもおなじタイトルで書いていますが、
先週、内田樹氏の講演でも言われていたので追記。
ある医大では、震災のすぐあとから、医師や看護士を
被災地に派遣したそうです。
ある期間の支援を終えて帰ってきたスタッフに、
いろいろ聞いていくと、そのひとたちは、鬱になって
いくのだとか。
大学からは、そういったひとたちにどんどん鬱症状が
でているから、「報告させたいなら、相当人選してから
聞くように(鬱にならなそうなひとを厳選してから)」
との御達しがでているそうです。
医療者は、そういう精神的な危険性について熟知している
側のにんげんのはず。
それでも、現地の惨状を「言語化」しようとすると、鬱傾向に
なってしまう。
それだけ、現場のひとに寄り添うには、時間がかかるのでしょうし、
安易にはできないこと、なんでしょうね。(安易に行ってないのに
鬱になっちゃうんだから。)
作家の例だと、ある事件が物語になって透明性がでる
(と言ってました)のに、50年ぐらいかかるんじゃないか、とも。
そう考えると、現地に行ってのボランティアスタッフって、かなり
強靭な精神力の持ち主、すごいひとたちです。
「大学の単位に被災地ボランティア」なんか、すごくいいって
思っていましたが、カリキュラム・プログラムをしっかり考えないと
なかなかに大変なことのようです。
「聞いてほしい」(被災した方・被災地に行って来た方の)ことばを、
「聞いてあげたい」(大丈夫な)ひとが、
「寄り添って聞いてもいい時」が、
早く来ますように。
(この「早く」が、むずかしいんだな)
この、最悪と思われる現実を、過去のこととして、さらに、
自分に都合のよいように、あたまの中で「書き換えていく」作業。
これを自然に行うのが「透明性」とか、「癒える」こと、
なのかもしれませんが、なにぶんにも、まだ普通の生活にも
なっていませんから。「早く」は、そうとうむずかしい。
報道番組のインタビューで(あー、これもよくないのかも)、
「あの日から時間が止まっているようだ」ってことばを、
なんども被災地の方から聞こえてきましたから。