水曜日になり他の話を書こうと思ってましたが、急遽ポイントブランクの引退が決まりました。

 

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No.C-20 ポイントブランク(牡8歳 浦和・平山厩舎) 引退

 

5/23 ミッドウェイF

23日にミッドウェイFへ放牧に出ました。「先週は良い結果を出すことができず、本当に申し訳ありませんでした。レース後の状態ですが、続けて使ってきた分だけ少し堪えた様子は見せていますね。心身ともにリセットする期間は必要ですので、ミッドウェイFでしっかり立て直しを図れればと思います。念のため厩舎でレントゲン検査を行い、脚元に異常がないことは確認していますが、時間が経過して表面化することもありますので、ミッドウェイFで再度チェックを行った上で問題ないようであればメニューを進めてもらうつもりです」(平山師)

 

5/29 ミッドウェイF

ウォーキングマシンでの調整を行っています。「先週、ミッドウェイFへ移動してきています。到着後にレントゲン、並びにエコー検査を実施しましたが大きな所見は見当たりませんでした。しかし、時間が経って以前骨折した左前副管骨のあたりに熱を帯びてきたので、再度エコー検査を行いました。その結果、昨年末に骨折した箇所の骨が繋靭帯にダメージを与えていることが分かりました。競走能力に影響のない箇所ではありますが、おそらく骨折した部位がレースや調教を消化していく中で動くなどして負荷がかかってきたのではと思われます。歩様等に大きな問題はありませんが、年齢や手術を行うか否か、休養期間等をジャッジしていただくため、近日中に北海道へ移動させた上でNFの獣医師に診断を仰ぐ予定です」(ミッドウェイF担当者)近日中にNF早来へ移動する予定です。

 

6/3 NF早来

3日にNF早来へ向けて移動しました。

 

6/6 引退

「こちらに到着した後は体調が安定するのを待って、再度のエコー検査を行いました。歩様には見せていないのですが、触診すると反応があり、エコーの像でも繋靭帯にダメージを負っていることが確認できます。獣医師の見解では良化にはそれなりの時間がかかることはもちろん、実戦に復帰したとしてもそうレース数は使えない可能性が大とのことでした。地方移籍後の成績からも何とか復帰させたいという考えはありましたが、大きなリスクを負っていることに間違いはなく、年齢等を考慮した上で残念ではありますが、ここで引退の判断をしようということになりました。力になれず本当に申し訳ありません」(早来担当者)「何とかしたいという考えで北海道へお返しすることになりましたが、検査結果は極めて厳しいもので現役の続行を断念するという形になりました。力不足でこのような結果となってしまい、非常に残念でなりません。仮にもう少し若ければ休養期間を挟むという考えもあったようですが、8歳という年齢やここまでの頑張りから、ここで判断するというお話です。重賞でもと感じさせる馬でしたが、それを現実のものとすることができず悔しい限りです。本当に申し訳ありませんでした」(平山師)2歳夏にデビューを果たし、中央在籍時にはOPクラスまで上り詰めました。最上位クラスではなかなか勝ち切ることができなかったため、心機一転、浦和・平山真希厩舎へ転厩。移籍2戦目となった船橋競馬(陽春賞・ダ1600m)では好位から抜け出しを図る横綱相撲でOP競走に勝利しました。重賞でもと期待させる存在になりましたが、前走後の精密検査で判明した繋靭帯へのダメージは想像以上に大きく、仮に休養を挟んだとしても再発の可能性が高いということです。何とか復帰を目指したいという考えがあり、北海道でNF獣医によるチェックを行いましたが、8歳という年齢や休養期間を鑑み、平山真希調教師と協議を行った結果、ここで現役続行を断念し、競走馬登録を抹消することとなりました。会員の皆様にはまことに残念なことと存じますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。なお、本馬に出資されている会員の方へは追って書面を持ちましてご案内いたします。

 

 

前走後は特に問題ないという報告だったので、少し時間かけて涼しくなってから復帰出来ればと思ってましたが。先週の報告で繋靭帯をやってしまったということで、引退は避けられないだろうなと感じてはおりました。

浦和に転出したってのもあるんですけど、やはりポイントブランクには小回りの圧倒的先行有利な競馬場でのレースは、結果厳しかったというのはありまして。最後のレースが川崎になりましたが、割り切って船橋と大井だけ使ってたらという思いもあります。もちろん普段の調教がダートコースばかりですから、その負担に耐えられなかったってのが一番大きかったとは思いますが。

ブランクが若い頃から、この馬を出来るなら種馬にしたいと書いてきましたし、それだけの血統的価値はありますんでね。交流重賞1つでも勝てれば、日高のどこかで拾ってくれるかもしれないと淡い期待を抱いてましたが、それも叶わず引退となりました。8歳馬ですが、2~4歳時はまともにレース使ってませんでしたし、100%で仕上がれば一線級と競馬しても恥ずかしくないと思ってましたんで、とにかく残念ではありますが。

何よりもブランクを復活させるために松下調教師が頑張ってくれましたし、平山調教師も船橋で一つ勝たせてくれましたので、両調教師には感謝しかないですね。ブランクには出来れば乗馬で引き取ってもらって、チャンスがあったら一度跨ってみたいと思いますんで、この後の余生を大事にしてもらえたらありがたいです。本当にお疲れさまでした。