声が出ない日々は、想像以上に生活の形が変わる
声帯結節になってから、喋ろうとすると咳が止まらない日が続いてる。
最初はただの喉の違和感だと思ってたけど、医師に「なるべく喋らないで」と言われてから、
日常のあらゆる瞬間が少しずつ制限されていくのを感じた。

声ってそんなに使ってる?と思っていたけど、
実際に使えなくなると 生活の7割が声に頼ってた ことを痛感する。
周囲の反応は心配と誤解が同時に来る
静かにしていると、どうしても風邪だと思われる。
声が出ない理由をいちいち説明するのも大変で、
誤解されないように最初にメッセージで伝えておくことが増えた。
逆に、ちゃんと話せないことで距離を置かれるシーンもある。
悪気はないのは分かってるんだけど、
「喋れない」というだけでこんなにコミュニケーションが変わるんだと実感した。

でも、事情を知っている人は想像以上に優しくて、
ゆっくり会話のテンポを合わせてくれたり、LINEで代わりに話してくれたり。
その優しさに何度も救われた。
喋れないからこそ、言葉を選ぶようになった
声が使えないぶん、
LINEやメモアプリで言葉を伝えることが増えた。
そのたびに思うのが、
「普段、どれだけ何となく喋っていたんだろう」ということ。
文章で書くとなると、
必要以上に優しく書いてしまう時もあるし、
逆に冷たく見えてないかなと気を遣いすぎてしまう時もある。
今まで無意識にやっていた会話が、
こんなにもバランスの上に成り立っていたんだなと気づかされた。
工夫しないと、本当に誰とも会話できない
実際にやってよかった工夫はこんな感じ👇
- ジェスチャーを大きめに使う
- メモアプリをすぐ開ける位置に置く
- 相手に先に「声が出ないので筆談になります」と伝える
- 会話が必要そうな場所では先に簡単な説明文を用意しておく
これがあるだけで、無駄な体力をかなり使わずに済んだ。
そして、一番大きいのは
「相手に先に事情を共有する」こと。
先に知ってもらえるだけで、空気が全然変わる。
声が戻ったら、一言一言をもっと丁寧にしたい
喋れない生活は不便だし、正直しんどい。
でも、その中で
人との距離の取り方とか
言葉の重さとか
無意識だった部分がたくさん浮き上がった。
声が戻ったら、
きっと前より優しい喋り方ができる気がする。
今は無理せず治療に集中しつつ、
必要な時だけ言葉を選んで伝えていく生活を続けていこうと思う。

