矢野義昭著「核拡散時代に日本が生き延びる道」(勉誠出版)を読む | 世日クラブじょーほー局

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核拡散時代に日本が生き延びる道―独自の核抑止力の必要性

 

 わが国は唯一の被爆国である。広島・長崎への原爆投下によって20万以上の同胞が犠牲となった。二度とこの悲劇を繰り返してはならないとは、左右を問わない国民の共有する思いである。だが、だから「核兵器禁止条約」(国連加盟の50の国・地域が批准、今年1月発効)によって諸悪の根源である核の廃絶を目指すという政治運動に対して、わが歴代政府はじめ、核保有国および米国の同盟国はそれを批准せず、米国の核の傘による抑止力の有効性を唱える。

 

 そもそも、核戦力に対して、通常戦力では抑止力を持たない。よって、NPT体制下で、持たざる国は持てる国との同盟により、その核の傘に入ることで、抑止力を維持しているわけだ。だが、今、米国による核の傘に破れが生じてきているというのは本書だけでない、有力な識者の見立てだ。本書でもピックアップしてあるように、ロシアの重ICBM「サルマート」、HGV(極超音速滑空飛翔体)、原子力推進核巡航ミサイル、米軍を西太平洋から締め出すA2AD戦略を持つ中国のグアムに到達可能な核・非核両用弾頭移動式IRBM「DF-26」、MD突破する極超音速滑空ミサイル「DF-17」、新型多弾頭移動式ICBM「DFー41」、そして数十発の核弾頭を保有するとされる北朝鮮の射程1万3千キロの移動式ICBM「火星15」などなど、北東アジアにおける中朝露の目を見張る軍備増強および技術革新がそこにある。

 

 そこで、日本自らが核保有することで、米国による核の傘の補強を目指すというのが本書の趣旨だろう。言うまでもなく、日米安保体制から日本が独立して核武装するという話ではない。ただ、米国は自国民と同盟国のどちらを優先して守るかという問題意識も必要だ。本書でも仏の歴史人口学者エマニュエル・トッドの 「核は例外的な兵器で、これを使用する場合のリスクは極大であり、ゆえに、自国防衛以外の目的で使うことはあり得ない。中国や北朝鮮に米国本土を攻撃する能力があるかぎりは、米国が、自国の核を使って日本を護ることは絶対にありえない」(月刊「文藝春秋」2018年7月号)との指摘を紹介しているが、そもそも核の傘など存在しないとの論である。

 

 日本人は被爆国となって核アレルギーになったと言われる。ただ、月刊「正論」2021年7月号の石原慎太郎の論稿「非核の妄執を排す 真の防衛議論を」によれば、「ジョンソン()大統領の時代に佐藤(栄作)総理が日本の核保有を念願し、それについてアメリカがどれほどの協力をしてくれるかを質していた」とあるように、沖縄返還以前の国内の空気は必ずしもそうではなかったことを示す。同じ論稿で石原は、我が国ですっかりスポイルされた核論議に対し、「我が身の危険回避の手立てへの発想を金縛りにしている」と嘆いている。

 

 今現在の日本の姿は自らの核アレルギー、国際社会からの同情および英知への一方的な期待、そして何より、国防に対する米国への過信と依存によって、少なくともわが国への核攻撃は金輪際ありえないと信じる向きが多数を占めよう。その証左が核シェルター設置の状況に如実に表れている。「核シェルターと大規模な事前疎開を併用することにより、核攻撃による人的損害は100分の1程度に減殺できる」と本書で指摘されているが、その人口あたりの普及率が「スイスとイスラエルが100%、ノルウェー98%、アメリカ82%、ロシア78%、英国67%、シンガポール54%、韓国ソウル市内300%に対して、日本0.0002%」という有様。日本人てあまりにナイーブすぎる。

 

 だが、国際社会はそんなに甘くないというのは、常日ごろ骨身に沁みて実感するところではないか。ロシアが不法占拠する北方領土、韓国が不法占拠する竹島、そして、尖閣領有の既成事実化を図るべく毎日毎日、中国の艦船が接続水域および領海に侵入する状況。彼らは、何食わぬ顔で公然と嘘八百を並べ立てこれを正当化し、批判の矛先を日本に向けてくる。ことほど左様に、領土問題となれば、恥も外聞もなんのその、力ずく、ゴリ押しだけがグローバルスタンダード、せしめたモン勝ちだと知るべきだ。

 

 遠くない将来、韓半島は統一国家が樹立されよう。そこには核爆弾とミサイルが存在し、ウラン鉱山があり、ウラン濃縮・プルトニウム抽出の技術、それぞれの核分裂物質の備蓄があるが、民族統一のアイデンティティは反日しかない。歴史戦で負ければ、またぞろ日本軍国主義の未清算による妄動を断つなどと難癖つけてこれら反日国家が核のボタンに手を掛けることがあり得ないわけがない。

 

 2014年のロシアによるクリミア併合とウクライナ東部への介入の際、核使用の準備ができていたとプーチン大統領はのちに語ったが、「ロシアにとって、核兵器はあくまでも”使用”する兵器である」(中川八洋著「日本核武装の選択」徳間書店、2004年10月刊)とはむべなるかな。

 さらにおさえておくべきは、中国におけるウイグル人への人権弾圧について、6月22日の国連人権理事会において、日本や米欧、豪州など44カ国が、「深い懸念」を示す共同声明を出したのに対して、中国を擁護する国はロシアなど64カ国に上り、数の上では日米欧を圧倒した(読売6月28日付「スキャナー」より)。これが何とも腹黒い国際社会の現実である。

 

 ところで、昨年10月に起きた、アゼルバイジャンとアルメニアとのナゴルノカラバフ自治州をめぐる戦闘において、アゼルバイジャン軍による自律型AI兵器の本格的な投射により、戦争の新たな形態の幕開けとなったとされ、これからの戦争のハードルを一気に下げたと分析されている(NHK SP 2030 未来への分岐点(5)「AI戦争 果てなき恐怖」より)。これが核使用の誘因とまでなるのかはわからないが各国の軍事情勢において、重大なファクターとなることに変わりはない。

 

 矢野氏は、日本のあるべき核武装に対して、「最小限抑止」という概念を紹介。これは、「どんな大国に対しても耐えられない損害を与えられる核報復力」で、その核戦力の水準は「水爆を主体として200~300発を保有し、対都市攻撃で数千万人の損害を与えられる」ものとする。そして今現在の仏英の状況について、「仏英はそれぞれ主力と全力がSSBN(戦略原潜)」。そして、「残存性の高いかつ相手国のMD(ミサイル防衛)システムの弱点から奇襲できるSSBNを常時哨戒させておくという、英仏の『最小限抑止』態勢は合理的選択」と評価。

 

 実際、我が国が核戦力として保持すべき水準について矢野氏は、「最小限抑止レベルの水爆を主に3百発程度という、現在のフランス並みの戦力水準が望ましい」として、SSBNの保有を提言している。加えて、その製造および運用コストは1~2兆円かつ核爆弾の製造にかかる期間は数日から数か月という専門家の見積もりを紹介。何よりわが国が核保有する正当性について、「日本自らが核保有に踏み切ることは、日本の主権に属することであり、NPTにおいても、保証された合法的権利」との見解を披露。

 

 ただ、中川八洋は前掲書で「SLBM(<=潜水艦発射弾道ミサイル>を搭載したSSBN)など日本にとって時代錯誤である。そんなものは扱いが非効率に過ぎ、コストもかかりすぎる。展開する海域もない」と痛烈に非難し、核トマホークを提言しているが、核保有の手段について何がベストチョイスかは素人にはよくわからない。要は、日本が核恫喝を受けた場合、わが首相が、「『やれるものならやってみろ、我々はちゃんと対応策を持っている』と言えるかどうか」(矢野氏講演から)。それこそ英知を振り絞って議論を戦わせてくれ。

 

 いずれにしても「核武装こそは日本人全体の精神を高雅にしその魂を美しくし、日本に“真正の国家”というものを取り戻す作用がある」(中川前掲書)。ただ、それもこれも「それを実現するか否かは、一に日本国民自らの決断にかかっている」(矢野)。当然ながら。

 

 

日本核武装の選択