清水ともみ著「命がけの証言」(WAC)を読む | 世日クラブじょーほー局

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命がけの証言

 

 ウイグル人やカザフ人が中共当局により受けた凄まじい人権弾圧。エスノサイドともジェノサイドとも表現される。当方もこれまで、かなりの情報を耳で聞き、活字で読んできたつもりだが、本書のようにマンガでビジュアル的に表現されると伝わり方が格段に違い、鬼気迫るものがある。清水さんのヘタウマ(失敬)というか、独特のタッチもこの念を後押しする。

 

 NHKBSがヒトラーやナチスの蛮行をこれでもかと特集でやってくれる。これはこれで勉強になり、助かる。世界の映画界も必ずと言っていいほど、年に数本、それらの関係の作品が公開される。ニーズがあるのだろう。これらはどれも歴史の教訓として、二度とヒトラーを生み出し、ナチスを台頭させてはならないと結論づける。結構なことだ。

 

 だが、本書はこれが歴史の教訓などではなく、現在進行形で、国連の常任理事国かつGDP世界第二位の国で、白昼堂々行われていることを明かすものだ。どうしたことか、ヒトラーとナチスについて懇切丁寧に伝えてくれるメディアが、今そこにあるリアルなこの問題には一切口をつぐみ、「報道しない自由」だといわんばかりだ。そういうメディアに限って、安倍政権やトランプ政権には手厳しく写ったのは偶然か。

 

 清水さんは本書冒頭の楊海英氏との対談で、テレビ朝日の小松靖アナがワイドショーで発言した「ウイグル問題は我々メディアも非常に扱いにくい問題で、中国当局のチェックも入りますし、だから我々報道機関でも、ウイグル自治区のニュースを扱うのはタブーとされています」を紹介しているが、これが実態だろう。

 

 一番印象的だった第二章「『ウイグル族』と呼ばないでください」の在日ウイグル人女性の証言。ウイグルのとある農村で子供が行方不明になる事件がたびたびあったと。数か月後、突如戻ってきた子供の腎臓が片方なかった。眼球や臓器のない遺体で見つかった子もいた。行方不明者は減るどころか増え続けている。中国の都市部には臓器移植専門病院があり、中にはご丁寧にイスラム教徒用にハラル臓器(酒、豚肉の不摂取)専門病院もあるのだと。彼女は弟が強制収容所に連れて行かれたため、彼を救うため、証言ビデオを作成したが、そのことで当局に「国家転覆罪」に問われ、以後、家族との連絡は途絶えた。家族がどうなったかは情報がない。

 

 その彼女が「今の日本は昔のウイグルと似ている」という。ウイグルでは当初、友好的なそぶりで入ってきた中国人たちをそのまま受け入れたと。だが、それは人口侵略のためのパフォーマンスでしかなかった。やがて時を経て、彼らが数で圧倒した時には手遅れで、同化が進むとともに、中国人の臓器移植の培養生物にまでさせられたのだ。どうか、この日本がそうならないようにと彼女。また、彼女は中国製品は絶対に買わないという。ありとあらゆる商品が中国国内において、ウイグル人たちの奴隷のような強制労働によってつくられた可能性があるからだと。

 

 彼女の警告を我々は深刻に受け止めるべきだろう。そして、自分の国を守るということがいかに重要で疎かにしてならないかを思い知るべきだ。国とは領域、国民、主権のことで、当たり前だが、どれひとつも片時も気を抜かず死守しなければならない。ウイグル、内モンゴル、チベットと我が国は中国と地続きか海を隔てているかの決定的な違いはあるが、国を守る国民の気概とそれを体現する国防力において、他山の石としなければならない。

 

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というおとぎ話のような前文を持つ憲法を戦後70年以上、後生大事に崇め奉り、その成れの果てとして、国防力と経済力を担うマンパワーの減少社会に突入していくわが国の行方は暗雲が漂う。ウイグル人女性の警告が杞憂であることを願う。

 

 本書で証言した人たちは、実名で名乗り出ている。もし故国に帰れば、即逮捕され、拷問はては死刑が確実に待っている。あってはならないが、日本にいてさえ恐怖する事案がつきまとうと言うのだ。まさに「命がけの証言」だ。自由世界にあって、なおかつ隣国に位置する我々は、彼ら彼女らの思いに応える義務があろう。ただ何の立場も力もない自分に何ができるかと…。見聞きしたことを拡散すること、そこからスタートである。清水さんも本書の完成は「私には何の力もありませんが、せめてリツイートします」という読者の力の結晶だと記している。

 

 我々に罪があるとすれば、この現実を知ろうとしないこと、そして見て見ぬふりすること。そのスタンスは巡り巡って自分に降りかかることも承知のこと。