宝島社の不思議な広告に勇気付けられる | 世日クラブじょーほー局

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 本年1月6日付、読売新聞に掲載された宝島社の見開き広告。”売らんかな”が幅を効かすはずの数多の広告の中で、これほど異彩を放つものもない。そのメッセージにいわく、

 

君たちは腹が立たないのか。

音漏れしているやつ。傘の持ち方なっていないやつ。

スマホ見ながら自転車乗るやつ。

まず、いちゃもんつけるやつ。なんでも隠そうとするやつ。

すぐ嘘つくやつ。すぐ戦争しようとするやつ。

この社会の息苦しさは、決してあなたのせいではない。

いきすぎた忍耐は、美徳でもなんでもないから。

理不尽にはきちんと怒ろう。不条理には声をあげよう。

怒りを笑うな。怒りとはエネルギーだ。

前例を打ち破り何かを生み出すためのパワーだ。

怒ることから世界は進む。

今年こそ。正しく怒ろう日本人。

 

 手放しでは同意はできないのだが、よく言ってくれたと留飲を下げたのも確か。これにつけ加えさせてもらえば、赤信号平然と渡るやつ。歩きスマホするやつ。

 

 仕事柄バイクを使うが、こいつら(老若男女、職業年齢を問わない)は平然と赤信号を渡って、「バイクがよけろ」という態度である。警察も点数にならない歩行者は見て見ぬふり。道交法はあってなきがごとし。最悪はこれを見慣れてしまうと、ふとした油断で、ちゃんと青信号を渡っている人も違反者と間違えて、怒鳴りつけてしまうこと。あるいはこっちが見間違えたかと勘違いし、危うく後ろから追突されそうになったことは一度や二度ではない。やつらは自分さえ事故に遭わなければあとは知ったこっちゃないというわけだろうが、そのことによって、多くのヒヤリ・ハット、ひいては実際に事故が引き起こされているだろうことは想像に難くない。あおり運転ばかりがクローズアップされるが、もっと身近に地雷原はあるのだ。それだけじゃない、自転車は言うまでもなく、めちゃくちゃ。”〇ーバーイーツ”なんて、信号守っているところを見たことがない。これも警察はスルー。

 

 歩きスマホは、歩行者の8割がしているという感覚。これだけトラブルや事故が問題となっても、どこ吹く風。この機械は人間のエゴを助長する働きをする。スマホさえ持っていなければ至って普通だったのに、持った途端、他人の迷惑を顧みないビヘイビアに変貌する。そして自分が事故の当事者となり痛い目に遭うまで止めない。スマホを使っているように見えて、実は使われているのが実態であり、生活にけじめというものがなくなった。平たく言って中毒なんだよ。

 

 これから5Gだ、ARだVRだ、シンギュラリティだとさらなる進化によってAIをせっせと太らせるのに反比例して、人間性は劣化していく。2月1日付読売の文化欄に、「スマホ脳」の著者であるスウェーデンの精神科医、アンデシュ・ハンセン氏がスマホに関して、「未成年など一部の人には、アルコールやギャンブルと同じように、使用や広告の制限が必要」と語っているが、読売は紙新聞を維持したい下心がミエミエではあっても、真実には違いない。にもかかわらず政府自らデジタル化推進に拍車をかけ、教科書までデジタル化すると意気込む。バカの一つ覚えとはこのこと。「紙の教科書の廃止が学力低下をもたらすのは、ほぼ決定的」(斎藤孝氏、読売1月12日付「語る」)。手触り、におい、折り目、手あか、落書き…新聞や本もそうだが、デジタル化で代替できないものが重要な役目を果たしていることが、我々は感覚としてわかっている。現代人は大切なものを確実に失おうとしている…否、失った。

 

 とまれ、この広告掲載には1億ほどかかっていよう。思い付きのパフォーマンスにしては高額すぎる。当方は最近日本人がどんどん嫌いになってきているところに、思いを共有できる人たちがいるんだと力を与えられた。

 

 ただ、この叫ぶ”フルチン小僧”は何者!?