映画「罪の声」を観る | 世日クラブじょーほー局

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 京都で、亡き父から引き継いだテーラーを営む曽根俊也(星野源)。ある日、押し入れの奥にしまわれた裁縫箱から、古ぼけた手帳とカセットテープを発見する。手帳は英語の文字で埋め尽くされており、その中に「GINGA(ギンガ)」「MANDO(マンドウ)」の文字が見えた。父親が英語を嗜んでいた覚えはなく、いぶかる俊也。カセットテープも聞いてみた。INDEXに「1984」とだけ書かれたそのテープから流れてきたのは、幼少期の自分の声だと分かった。だが、棒読みで、誰かに指図するような内容に面食らう。

 

 ネットで、「ギンガ」「マンドウ」を検索してみると、今から35年前に世情を騒がせ、戦後最大の未解決事件と言われた「ギンガ・萬堂(ギン萬)事件」がヒット。そして、その関連音声データからは、カセットに吹き込まれたのと同じ自分の声が聞こえてきた。あっけにとられ、周章狼狽する俊也。ただ音声データはもう2つあり、それぞれ少女と男児の声だった。俊也は妻に気づかれぬよう、手帳の持ち主からリサーチし始める。

 

 大手紙、大日新聞の記者である阿久津英士(小栗旬)はさしたる矜持もなく、映画評などを担当しながら文化部でくすぶっていた。そこへ社会部による未解決事件を追う企画が持ち上がり、引き抜かれることに。社会部が嫌で文化部に移っていた阿久津。最初、文句たらたらだったのだが、やがてこの「ギン萬事件」に深くのめり込んでいく。

 

 その日、俊也のテーラーに見知らぬトレンチコート姿の若い男が訪ねてきた。差し出された名刺には、大日新聞の阿久津とあり、「ギン萬事件」について聞きたいと言う。どうやって嗅ぎつけたのか、話すことなど何もないと色をなして追い返そうとする俊也に、真実を明らかにすることに意義があると食い下がる阿久津。もっともそのセリフは、社会部デスクからの受け売りだったが。その場はスゴスゴと引き下がった阿久津。だが、ほどなくして二人は、共に事件の真相を追うことになる…。

 

 本作のモチーフは言うまでもなく、1984年に起きた「グリコ・森永事件」。日本初の劇場型犯罪と言われ、江崎グリコ社長誘拐から始まり、同社および森永製菓など数社の食品会社に対する脅迫、青酸ソーダ入り菓子がスーパーに置かれるなどした。犯人グループは「かい人21面相」を名乗り、マスコミや警察に、人をおちょくったような関西弁の脅迫文や挑戦状が頻繁に送りつけられた。捜査員が目撃したという犯人の一人と思しき「キツネ目の男」の似顔絵が、連日マスコミを賑わせた。事件は1年5カ月にも及んだが、犯人側からの一方的な終息宣言で幕を下ろす。結局、犯人は誰一人逮捕されず、2000年2月に時効を迎えた。一連の事件は、警察の縄張り争いなどによる失態やマスコミのセンセーショナリズムを浮き彫りにもした。

 

 劇中、阿久津が、犯人グループは1円も手にできず、誰も殺されていない事件をほじくり返す意味があるのかといぶかるシーンがあるが、当方も同様にこれまでそれほど気に留めてこなかった。だが、犯人側の終息宣言は、事件担当の県警本部長の焼身自殺を受けてのことだったようだし、狙われた食品会社は商品が店から撤去され、株価は急落し、社員やその家族また関連企業は身の危険に怯え、被った実害は筆舌に尽くしがたいものだったわけで、これだけでも言語道断の許すべからざる事件だったのだ。

 

 本作はもとよりフィクションだが、犯人グループの背景を、元過激派、マル暴、元警察官、仕手筋らと描く。無論、金が目的だったことが大きいのだが、過激派が絡んでいるように、大企業に対する、もっと言えば国家に対する復讐という側面も含んでいた。その中で、俊也以外の二人の声の主が人生を翻弄されていく。

 

 本作を観てつくづく思う。いかなる理由によっても犯罪に手を染めることがあってはならない。たとえ、抗しがたいシチュエーションやほんの出来心であっても。そのツケはいずれ必ず払わされることになる。悔やんでも悔やんでも悔やみきれず、地を叩いて痛哭し、自分を呪う日が来るのだ。そして、人生万事塞翁が馬。人生の別れ道はわからないもの。何が幸いし、禍いするか。俊也は運よく人生がうまく行った。だが、もう二人の声の主は…。

 

 この映画を機に、真実が明らかにされる日が来ることを願う。

 

 PS.梶芽衣子のキャスティングには正直びっくりするとともに、うれしくなっちゃいました。

 

(出演)

小栗旬、星野源、松重豊、古舘寛治、市川実日子、梶芽衣子、宇崎竜童、宇野祥平、篠原ゆき子、火野正平、阿部亮平、阿部純子、ほか

(監督)土井裕泰