BS1プレミアム「ザ・ヒューマン~投資家村上世彰”お金とは何か”を問い続ける」を見る | 世日クラブじょーほー局

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 灘高校から東大法学部へと進み、通産省入省という絵に描いたようなエリート街道。だが、99年、官僚の限界を感じたと、16年間の中央官庁勤めの地位を捨て、自らファンドを設立。「モノ言う株主」として企業に恐れられた。村上世彰その人である。

 

 当時、度々メディアに取り上げられ、ホリエモンと並ぶ時代の寵児という印象が強かったが、2006年6月5日、急転直下、ニッポン放送株をめぐるインサイダー取引容疑で逮捕。その直前の記者会見で、「皆さん、僕が嫌いになったのは、むちゃくちゃ儲けたから。カネ儲け、悪いことですか?何が悪いんだろう?」などと長広舌をぶったが、この人どんだけ被害妄想なんだと思った。犯罪行為だよって。さらに、自らが逮捕されることに対して、「役所で法律を作っていた人間がそれを犯すというのは、自分自身も自分が許せない」と。どんだけ自意識過剰なんだよと思った。事件後、村上ファンドを解散し、以後、個人投資家として今に至る。

 

 そんな村上も今年で61歳。あの眼がクリクリした童顔のボンもすっかり白髪となり、ハク付けのあごひげも真っ白。なおかつ反骨剥き出しの鋭い眼光はすっかり消え、ニコニコ顔の好々爺に。そんな彼が、IT企業ドワンゴが運営する通信制高校「N高校」の投資部の特別顧問に就任。自身が設立した財団(村上財団)から生徒50人に対して、一人当たり20万円の資金を提供し、それを元手に生徒は株を運用し、運用益は生徒のものになるという企画。村上は、株式投資を経験することを通して、生徒にお金の大切さを学んで欲しいという。

 

 ファンド時代の村上の考え方は株主資本主義と言える。当時の村上いわく「株主の意向ですべてが決められるのが良い。それが嫌なら上場やめろ」と。極端なように感じるのだが、ただ、村上が通産省時代(日本がバブルの絶頂からその崩壊の期間を含む)見てきた日本企業の姿は、「証券会社が得意先の損失を補填したり、銀行は総会屋と密接な関係を持つなどコーポレートガバナンス(企業統治)のあり方が問われていた」のも事実。もっとも村上自身当時を振り返って「やりすぎだった」とつぶやく。

 

 村上は今、シンガポールに拠点を設け東京を行き来する毎日。その中で、当時自分の何が悪かったのか、自分にこれから何ができるのか考えた。そして、たどり着いた結論が自分の資産を社会に還元することだったという。その実践が、先のN校での特別顧問の引き受けであったり,、大規模災害対応やホームレス支援に当たるNPOへの支援だった。あの事件を契機に、村上の中で覚醒するものがあったのだろう。ただ、村上が語る内容には、今も昔も「国」というワードが何度も出て来る。いちいち鼻につくのは確かだが、彼が私腹を肥やすだけの単なるカネの亡者でないことは、大卒後、民間でなく官庁、とりわけ通産省に入省したことで明らか。ここは外務省顔負けの愛国的エリートが集まることで知られる。彼なりの使命感があったろう。

 

 この番組とは別に、BS1スペシャル「欲望の資本主義2020スピンオフ スティグリッツ大いに語る」で、2001年にノーベル経済学賞を共同受賞したジョセフ・スティグリッツ(コロンビア大教授)が語った以下の内容が示唆に富む。

 

 「アメリカのビジネス・ラウンドテーブルのほとんど全員がステークホルダー(利害関係者)資本主義を採用することに最近合意した。株主資本主義が機能しなかったからです。これに関する1つの見方は企業はコミュニティだということです。人々が生産をすべく共に働くコミュニティです。コミュニティとして企業は、コミュニティの全てのメンバーの役に立たねばなりません。つまり、従業員と株主、貸付機関、それに自分たちの職場があるコミュニティや客の役にも立たねばならないのです

 

 これが村上が至った結論なのかなと。