第50回 新しい憲法をつくる国民大会が開催されました | 世日クラブじょーほー局

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 5月3日、憲法記念日に第50回となる新しい憲法をつくる国民大会が開かれました。令和となって初開催となったこともあり、盛会となりました。第一部の改憲川柳の発表に続き、第二部は、清原会長の基調講演と3名の国会議員の講話。そして第三部では、御代替わりをお祝いするということで、雅悠会による宮廷雅楽の実演が披露されました。以下、清原会長の基調講演はじめ、国会議員の講話要旨。

 

(自民党憲法改正推進本部長・下村博文氏)

 

 世界196ヵ国に憲法があるが、戦後一度も改正していないのは日本だけ。インドは103回、ドイツ62回、フランス27回、共産党一党独裁の中国でも10回、韓国も9回、それぞれ時代の変化に対応して、国家の基本法である憲法の改正、修正をして、より良いものをめざしてきた。今国会において、5月9日からようやく憲法審査会が開かれ、まずは民放連から国民投票のテレビCM規制について意見を聞くことになっている。この場で自民党は4つの改正案、すなわち①9条の改正 ②緊急事態条項 ③合区と地方自治 ④教育の充実を発表したい。国会はそもそも議論する場だ。そのことによって国民にも関心をもっていただける。国民とともに日本をより良いものにしていくその象徴が憲法改正だ。
 

 


(自民党参議院議員・中川雅治氏)
 

 いま現在、党の憲法改正推進本部副本部長を拝命している。憲法改正は衆参それぞれの総議員の3分の2以上で発議、その後、さらに国民投票の過半数の賛成を得る必要がある。その意味でまず、7月の参院選は憲法改正の道のりにとって極めて重要となる。そして国民投票については、英国においてEU離脱か残留かを問う国民投票の結果、大方の予想を覆して離脱が決まったが、その後の英国の混乱を見るにつけ、国民投票の責任の重さを痛感するところだ。

 

 憲法改正案が国民投票で否決された場合、その後の混乱を想像すれば、何としても成功させなければならない。憲法改正が政局と絡めて議論され、国論が二分され、ひいては国民が分断されるような状況は決して望ましいことではない。そのためには、国民の大部分が憲法改正についての必要性を十分に理解することが大前提だ。

 

 そもそもなぜ憲法を改正する必要があるか。まず現行憲法には制定過程の問題がある。現行憲法は連合軍の占領下において、GHQが作成した草案をもとに、その了解の範囲において制定された。ただ一方で、GHQとの交渉過程において日本国政府による検討と修正も相当制度盛り込まれており、あるいは衆議院、貴族院両院における審議過程で相当制度の修正がなされた。さらには、憲法は制定以来国民の間に定着しているということなどから、GHQが関与した事実ばかりを強調すべきではないという意見もある。だが、現行憲法は、日本国の主権が制限された中で制定され、国民の自由な意思が十分に反映されたとは言い難いことは否定し難い事実だ。

 

 次に、現行憲法はマッカーサー司令官によるGHQが原案を作り短時間で翻訳したものなので、まず形式上の欠陥がある。そして翻訳の誤りといえる箇所が何箇所もある。また内容上の欠陥もある。特に次のような問題点が指摘される。一つは元首の規定を持たないこと。二つ目は国防の規定を持たない。三つ目が緊急事態の規定を持たないこと。さらに前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」との規定があること。北朝鮮が平和を愛する諸国民と言えるだろうか。日本の安全と生存は、中国や北朝鮮、韓国といった周辺諸国の公正と信義を信頼することで確保されるだろうか。

 

 国民には、冷静に現行憲法の制定過程を紐解いてもらいたい。そのうえで、自分たちの手で新しい憲法をつくり上げていこうという国民の総意を作っていくことが大事だ。

 

(自民党憲法改正推進本部事務総長・平沢勝栄氏)
 

 改憲派とか護憲派とかいわれるが、護憲の意味が、憲法改正は一切まかりならん、指一本触れてはならないということであるなら、それは全く頓珍漢な区分けだと思う。私は憲法改正しなくていいと思っている人がいるとは思わない。

 

 護憲を主張する野党のある幹部に、憲法の第1条から8条までは天皇について書いているが、天皇制についてどう思うかと聞いたら、「民営化した方がいい」と言う。ということは憲法を改正せよということだ。そうであるなら、そのことを堂々と公の場で発言すればいいはずだ。また、憲法24条は「婚姻は両性の合意のみに基づく」とあるが、これまで、両性とは男と女と理解してきたが、最近では同性婚を求める声も高まっている。もし憲法でそれを保障するとなれば、憲法改正が必要だと思われる。だが、ある改憲反対の方にそれについて尋ねたら、今の憲法解釈でも可能だとの答えだった。しかし、いろんな意見があるではないかというと、そのためだけの憲法改正ならやってもいいという。それはあまりに勝手ではないか。

 

 また、改憲反対の方がヘイトスピーチを何とかしてくれと来た。ヘイトスピーチは「朝鮮人は日本から出ていけ」などと大声で叫ぶ行為だ。ただこれは憲法21条にある言論の自由に関わると言ったら、これは言論の自由に当たらないと。しかし、それなら「日本から米国人は出て行け」と言うのも同じことだと言ったら、相手はだんだんトーンダウンしていった。結局ヘイトスピーチ対策法を作ったが、罰則は設けなかった。そうしたら、罰則を設けなかったのはけしからんと改憲反対派から非難された。誰も今の憲法のままでいいとは思っていない。直さなければいけないと思っているはずなのだが、それを言わないで、「護憲、護憲」と叫ぶのは欺瞞と言わざるを得ない。 

 

 

(新しい憲法をつくる国民会議会長・清原淳平氏)
 

基調講演 「憲法8条『皇室財産』規定の見直しを」
 

 憲法第8条「皇室の財産授受」の条文には、「皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基づかなければならない」とある。もし皆さんが人に物を差し上げたり、人から物を受け取るという場合、いちいち国の機関の許可を得なければならないとしたらどうだろう。天皇はじめ皇族方はこの8条のために、物を受け取り、あるいは差し上げたりという時に国会の議決を要するというのだ。
 

 まず問題点の一つとして、「財産」かどうかの判断の難しさがある。「財産」を一般的な辞書で引けば、「個人または集団の所有する経済的価値があるものの総称」とあり、法学辞典では「広く有形・無形の金銭的価値を有するものの総称」とある。しかし一口に経済的価値、金銭的価値と言っても個人によって認識の差異もあって、判断は難しいだろう。
 

 地方行幸啓(天皇皇后両陛下がご一緒に外出)の場合も陛下は、財産とみなされる物品を受け取らないのが原則となっている。よく小さな花束を受け取られる場面があるが、この程度なら財産とみなされないからだ。植樹祭、体育大会、海づくり大会などに行幸、行幸啓される場合、その地方の住民が土地の名産品などを献上したいと申し出ても、宮内庁の職員がお断りするというのが通例だ。もし受け取った場合、憲法違反となる恐れがあるからだ。

 明治憲法下では、天皇・皇室は徳川家の財産を引き継いだこともあり、大きな財産があって、災害時には被災国民の救済のために使われたこともあった。現行憲法下の皇室は、下賜すべき大きな資産も有しておられず、第8条の規定によって制約されている。天皇皇后両陛下はじめ皇室の御努力は誠に涙ぐましいものがあるのだ。

 第二に、この8条の規定は、天皇、皇室に対する懲罰的規定であるのだ。この規定の背景には、日本が先の大戦に敗戦し、降伏、そして日本を占領統治したマッカーサー連合国軍最高司令官が日本国憲法を制定させた結果である。

 ただ、マッカーサーだけを非難してもしょうがないのも事実。なぜなら、日本は降伏するにあたり、天皇制だけは存続してほしい旨、連合国に嘆願した。しかし、日本と戦った戦勝国(米、英、中、豪、ソ)の政府は日本統治のため、各国政府を代表する「極東委員会」を構成し、米国を除く他の国は強硬に天皇制廃止を主張した。

 マッカーサーは、自分の日本占領統治に「極東委員会」が介入することを断った。なぜなら、マッカーサーは日本をかなり深く研究しており、もし天皇制を廃止すれば、日本は女子供まで立ち上がってくるだろう。それよりは、天皇制を残し、占領下に日本の政府、国会、裁判所を残し、自分がその上に立つ間接統治をやった方がうまくいくと考えた。このマッカーサー方式は成功したと言っていいだろう。

 ただ、極東委員会はしつこく天皇制廃止をマッカーサーに迫り、その結果、天皇制を支える貴族制を廃止、皇族も直系以外は皇籍から排除、皇室の資産を没収ないし占領下政府へ移すなどの徹底した制約を科すこととなった。その一環として新憲法にこの第8条の規定を置いた。

 昭和27年4月28日に、サンフランシスコ講和条約が発効。それにともない、日本の外交権が回復され、閉鎖されていた外国にある日本の公館(大使館、公使館、領事館)も再開された。そして、外国から、独立した日本に大使や行使や領事が派遣されてきた時に、信任状を奉呈するが、その際、一般にはそれに加えて、それらの国の名産品や高価な芸術品等を献上する。その場合、天皇陛下も相応の返礼品を差し上げなければならない。それをいちいち国会の承認を受けなければならないとすれば、手続き上大変な作業となる。

 講和条約発効当時の吉田茂内閣、および与党の自由党は、この第8条の廃止ないし改正を考えたが、保革伯仲の時代であり、憲法改正手続き要件である衆参の3分の2以上の賛成の見込みがないとして、政府はやむなく、憲法の下位にある「皇室経済法」を改正して対処した。すなわち、憲法第8条と同じ条文である皇室経済法第1条を削除して、第2条「国会の個別的議決不要の財産授受」を設け、そこに「その度ごとに国会の議決を経なくても、皇室の財産を譲り渡し、若しくは賜与することができる」という条文を置いた。

 憲法第8条の規定がおかしくても、皇室経済法があるからいいではないかと思われるかもしれないが、法制度上それは許されない。なぜならば、法体系には、「上位法・下位法の原則」がある。つまり下位の法は、上位の法に逆らえない。国の基本法である「憲法」が上位で、その下に国会がつくる「法律」があり、その下に政府が作る「政令」があり、その下に都道府県など地方自治体がつくる「条例」がある。この順序通りの上位の法の許す範囲内でしか下位の法は作れない。この原則に逆らえば法秩序は崩壊する。

 これに照らせば、皇室経済法の規定は「上位法・下位法の原則」に反して、本来、法体系からすれば、許されないことになる。したがって、この皇室経済に関する第8条はすでに有名無実化しているので、憲法改正によって削除し、あらたに皇室経済法にある規定に改めて書き直す必要があるのだ。

 


 
(雅悠会による管弦演奏)

 

(舞雅「蘭陵王」)