映画「かぞくいろーRAILWAYS わたしたちの出発ー」を観る | 世日クラブじょーほー局

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 「家族」…当方は子供のころから、ことさら意識したことはないように思う。なぜなら、あまりにも当たり前だから。そういう意味で、あらためて今日まで恵まれてきたのだとつくづく思う。本作は、その当たり前のことが叶わず、もがき苦しみながら、必死にその当たり前の姿にたどり着こうとする人々の物語。

 

 鹿児島県の上川内駅と熊本の八代駅を結ぶローカル線「肥薩おれんじ鉄道」。そのロケーションは東シナ海を望む美しい海岸線沿いにほぼ位置する。なおディーゼルで走る気動車であり、車両は一両のみ。

 

 肥薩おれんじ鉄道のベテラン運転士である奥薗節夫(國村隼)のもとに、突如押しかけてきた奥薗晶(有村架純)と10歳になるその息子の駿也(歸山竜成)。お互い面識はなかったが、晶にとって節夫は亡くなった夫、修平(青木崇高)の父、すなわち義父だったのだ。くも膜下出血によって突然世を去った修平。何度も節夫に電話し、その都度留守電にメッセージを吹き込んだ晶だったが、妻に先立たれてから一人暮らしで、留守電などついぞ気にも留めなかった節夫。晶はほかに頼るところがなく、仕方なく、東京から押しかけるかたちとなってしまったのだ。

 

 ここから、3人での生活が始まる。亡くなった修平は子供のころ、父の跡を継いで運転士になりたいと願ったが叶わなかった。その影響もあって駿也は大の鉄道好きだ。そこで駿也は、これからの仕事探しに悩む晶に、おれんじ鉄道の運転士になればいいと勧める。当初、一笑に付した晶だったが、駿也の願いにこたえようと一念発起し、運転士を目指すことに。

 

 実は駿也は晶の実の子ではなく、修平の連れ子で、亡くなった前妻との間にもうけた一粒種だったのだ。実の母を亡くし、父の再婚により新しい母である晶を迎えたのもつかの間、今度は父を失い、若い継母と二人残された駿也。表面上は気丈にふるまっているが、内面は非常に複雑で不安定。そこへきて、右も左もわからない鹿児島の地に転校を余儀なくされてはなおさらのことだった。だが、晶とてこれまで家族の愛を知らずに生きてきた人間だった。

 

 やがて小学校で駿也が起こしたある”事件”をきっかけとして、歯車が狂いはじめ、晶と駿也の間には修復し難い亀裂が…。そんなガラス細工のような母子を説教するでもなく、弱さも未熟さもただ受け止めて、温かく見守る節夫。彼らは幾多の試練を乗り越え、再び家族の絆を取り戻せるのか…。

 

 本作について、主演の有村架純は「いろんな形の家族があることを感じてもらえたら嬉しい」と、國村隼は「家族というのは血のつながりではなく役割だと思う」と夫々述べている(本作パンフレットより)。ただ、家族の多様化というときに、欧米のように事実婚や婚外子が過半をしめ、まして同性婚まで認めてしまうようなことを想定するわけではないだろう。当方の考えは、「DNA至上主義は唯物主義と同根」という点では國村と一致する。なぜなら、当方の身近には実子に恵まれなかったが、出産適齢期をかなり過ぎてからなお、養子をとって立派に育てている家庭を一組、二組というのでなく、両手で効かないくらい知っているからだ。

 

 本作では、桜庭ななみ扮する駿也の担任教師、佐々木の不倫による懐妊も描かれている。人間の弱さという現実だろう。だが「誰にも望まれない出産」だと否定的だった彼女が徐々に変わっていくのだ。

 

 人間とは弱いもの。不遇をかこい、悲しみを背負って生きる人たちならなおさらのこと。それでも「当たり前」の姿を求めて、お互い優しさを持ち寄り、必死に努力する姿こそ貴い。本作はそんな愚直で不器用な人たちの真摯なドラマ。 

 

 國村隼はとってもいい。本当の鹿児島の男に思えた。そしてまた一人、天才子役現る。歸山竜成だ。目が青木崇高にそっくりに見えるのはさらにドキッとした。板尾創路の鹿児島弁はちょっとイタかった。

 

(出演)

有村架純、國村準、青木崇高、歸山竜成、桜庭みなみ、木下ほうか、筒井真理子、板尾創路、ほか

(監督)吉田康弘