「美智子さま 凛とした素敵な和装59年の歩み」(宝島社)を読む | 世日クラブじょーほー局

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美智子さま 凛とした素敵な和装 59年の歩み

 

 平成の御代も残り1年を切った。来年の今ごろは新天皇が即位され、新元号となっている。思えば2年前の8月8日、誰も予想しなかった天皇陛下の御退位を示唆するメッセージがあった。しかもそれが事前に”生前退位”としてNHKのスクープのかたちで報じられ、その報に接せられた皇后陛下はショックを受けたと吐露された。

 

 天皇陛下が語られたその内容は、われわれ国民にとっても衝撃的だった。80歳を超えられてなお全身全霊で国民統合の象徴を体現されようとなさる御姿勢に感銘するとともに、そのお務めを縮小することを良しとされず、かつまた摂政による代行にも否定的であられることに悩まざるをえなかったのだ。

 

 政府は、憲法第4条第1項「天皇は…国政に関する機能を有しない」との整合性に腐心し、あくまで大多数の国民の声を聞くというかたちで、その代表たる国会が、「天皇の公務の負担軽減に関する有識者会議」による議論を経て、今上陛下一代限りの御退位を認めるとする「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を制定。なおかつこの法律は皇室典範と一体を成すものであるとの附則を新設した。憲法第2条は、皇位継承は皇室典範の定めるところによるとあるも、典範は退位を認めていないからだ。

 

 御即位から31年目にして、光格天皇以来、実に200年ぶりとなる存命中における天皇の退位を果たされる陛下のご心中はいかばかりか。ただ陛下の皇太子時代から、そのお側には必ず美智子皇后陛下がいらして、お支えになっておられた。老齢になられても仲睦まじいお二人の姿は、理想の夫婦であり、理想の日本の父母と表現して差支えないはずだ。

 

 ところで、やや旧聞に属するが、読売新聞の4月30日付、特別面の連載「平成時代」に曽野綾子さんが寄稿されていた。それによれば、なんと天皇皇后両陛下は年に数回、三浦半島にある曽野さんの別荘をご訪問されるのだそう。皇后陛下が聖心女子大で曽野さんの3級下ということが関係あるようだ。今年2月のご訪問時には、曽野家で一番おいしいものをということで、三浦大根の葉っぱを炒めた料理を両陛下にお出ししたのだそう。

 この寄稿の中で一番印象的だったのが、2007年の記者会見で皇后陛下が、「身分を隠して1日過ごすなら」と問われ、「神田や神保町の古本屋で立ち読みをしてみたい」とお答えになったということ。なんとも素朴だが、両陛下はじめ、皇族方はそれほど私生活が制限されているのだ。

 そしてここからがミソなのだが、曽野さんはぜひともそのお手伝いがしたいとして、書店関係者や警察の協力を得て、渋谷の書店で1時間だけその願いを実現して差し上げたというのだ。曽野さんも恐るべしだが、何より当方は皇后陛下にこそ、日本の母の姿があるとあらためて感じずにはおれなかった。

 

 さて、本書は美智子皇后陛下のファッションに焦点をあてる企画だが、その中でも和装(着物)をフィーチャー。今上陛下とのご結婚以前の秘蔵写真から今日のお姿にいたるまで、実に多種多彩かつ気品ある着物ばかりで、それを春、夏、秋、冬の季節ごとにカテゴライズして紹介している。むろん、その時々のシチュエーションもキャプションによってよくわかるようになっている。皇后陛下は公式の場はもちろん、海外で皇室外交を展開される際など、やはり日本の伝統衣装である着物をお召しになる機会が多いように見受けるが、そのチョイスはご自身でなされているとのこと。

 

 なお、皇后陛下は洋装においても、ニューヨークに本部を置く、国際ベストドレスド投票委員会から、昭和60年と昭和63年にベストドレッサー賞を受賞しておられる。昭和51年から平成24年まで36年間、美智子皇后陛下の専属デザイナーを務めた植田いつ子氏は、皇后陛下は日本の伝統的な美意識への造詣がことのほか深いとのことで、それゆえに氏のデザイナーとしての活動にも和装の技術は大いに生かされてきたという。

 

 日本の母を体現される皇后陛下のお着物姿を通じ、昭和時代から平成の御代まで59年間を顧みる一冊。わが宝。