ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ著「竹林はるか遠く」(ハート出版)を読む | 世日クラブじょーほー局

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竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記/ハート出版

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 終戦間際、満州にほど近い朝鮮半島の付け根に位置する羅南の地で、母、兄・淑世(ひでよ)(18歳)、姉・好(こう)(16歳)とともに暮らしていた擁子(11歳)。父親は、満鉄に勤め、頻繁に家に帰ってくるという具合だった。ある日、擁子ら家族のもとに、「ソ連軍が上陸し、あなた方を捜しにくる」との報せが届く。その日、生憎、淑世は軍需工場に働きに出ていていなかった。思いもよらぬ事態に最初、狼狽したが、母と好と擁子の三人は、父と兄に書置きを残し、決然と逃避行を試みる。長く辛い道のりの始まりだった。

 羅南駅から出発した赤十字の傷病兵輸送列車内で擁子らが見たものは…。祖国日本を目指す人で溢れかえる京城駅、釜山駅で日本人婦女子に何が起きたのか…。朝鮮半島を脱出するまでの間、母娘三人の行く手にはあまりに壮絶で、筆舌に尽くし難い苦難が待ち受けていた。
 
 これまで、あまり語られなかった朝鮮半島からの引き揚げ者の境遇とは、どういうものだったのか。この一つの家族が辿った体験が、その実態を凝縮して余りあるだろう。戦時には、銃後を守るべき婦女子が、かくも苛烈な艱難辛苦を強いられながらも、逞しく凛々しく生きてく姿に涙を禁じ得ない。とともに、今の自分が恥ずかしくなってしまうのだ。

 さて擁子らは、苦心惨憺の挙句、奇跡的に祖国の地を踏む。さりとて家族3人、今を生き延びることに精一杯で、食うにも事欠くホームレス状態。にもかかわらず、擁子の母親は、「教養ある人になるため」と言って、娘二人を学校へ通わせるのに何のためらいもない。いやはや頭が下がる。当初、学校を嫌がった擁子だったが、やがて、クラスの子らにその格好を「ぼろっ切れ人形」と憎まれ口を叩かれても、成績で打ち負かすんだと切歯扼腕し、有言実行を果たす。

 本書は、1986年にアメリカで刊行され、その後、20年にわたり、当地の中学校の教材に用いられたそうだ。しかし、2006年にボストン近辺に住む在米二世韓国人たちによって、「日本人を被害者にし、長年の日帝侵略が朝鮮人民に対して被害、犠牲、苦痛を与えた歴史を正確に書いていない」「強姦についても写実的に書いており、中学生の読むのにふさわしい本ではない」などと難癖をつけて、本書を教材から外す運動を展開。しまいには、ボストン駐在韓国領事も加わって、この動きが世界中に広まった由。

 「あとがき」でヨーコさんは本書について、「個人や民族を傷つけるためのものではなく、この物語を通して戦争の真っ只中に巻き込まれたときの生活、悲しみ、苦しさを世の中に伝え、平和を願うためのもの」だと吐露する。読めばはっきりするが、まったくおっしゃる通り。しかし奴さんらは、自ら仕立てたストーリーにそぐわない“不都合な真実”は、十八番のレッテル貼りから始まって、揚げ足取り、論点ずらし、個人攻撃などなどあらゆる策謀と手練手管の限りを尽くし葬り去らんとする。今般の「安保法制」に対するそれが二重写しになるではないか。
 
 敢えて言う。本書は、戦後70年を迎えるわが国民必読書であると。