徹子さんの戦後70年の想い | 世日クラブじょーほー局

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 読売新聞3月26日付解説欄、シリーズ「戦後70年を想う」に黒柳徹子さんが登場してました。てっきり反戦基調のお話かと思いきや…なかなかどうして。

私は東京大空襲の後に疎開し、父は終戦後4年目にシベリア抑留から帰ってきた。戦後70年で思うのはね、家族をなくし、何もかもなくした方たちが、誰も弁償してくれず、こんなに不条理なことがあるかって思うのに、皆だまって生きてきてること。東日本大震災もそうですけど、恨みたい気持ちはいっぱいあるだろうに、泣き叫びもせず、親切にしてもらったことに感謝して。そういう人たちって偉いなあと思うんです。そういう70年でもあったことを、私たちは忘れちゃいけないんじゃないかなって。死にものぐるいで生きてきた人たちがいることを、今の若い人たちがわかるといいのになあと思いますよね

 日本人は、言い訳しない(潔い)ことを美徳とするメンタリティを持っている。言い訳は卑怯者のすることだと。武士道に由来しようが、これが日本人の強さの源泉にあると思う。我々の先輩たちは、戦争に負けたという一点において、言い訳しないと誓った。(むろん例外的な人はいた。敗戦利得者と呼ばれる人たちが典型)

 東京裁判は勝者による一方的な復讐劇そのもので、むろんその正当性など認められるものではない。しかし、戦犯となった人たちは粛々とその判決を受け入れた。一般国民にしても、苦しみも悲しみも恨みつらみも言いたいことは山ほどあっても、それをグッと飲み込んで、それぞれの立場で切歯扼腕し、焼け野原から立ち上がった。それが奇跡的な戦後復興の土台となり、高度経済成長を実現し、今日の世界屈指の先進国家(GDP世界第三位など)の姿がある。むろん幸運もあった。朝鮮特需もその筆頭だろう。しかし言い訳や他人のせいするメンタリティだったならこうはならなかった。断じて。

 ではなぜ日本人は戦後塗炭の苦しみにあえいでもなお、かようなメンタリティを持ちえたか…それは天皇のお姿だったろう。通常、戦争に負ければその国のトップは亡命したり、自己保身のためのあらゆる策を弄するだろう。しかし天皇陛下に対して、そういう心配を抱いた国民は皆無だったはずだ。マッカーサーは違ったが…。天皇と国民の紐帯関係は、仁徳天皇の「民のかまど」の故事に象徴されるように父母と子である。

 戦後70年を経て、いまだわが国に対して、恨み節全開の国家が存在する。「すべて日本が悪い。謝罪せよ」と。むろん日本とてそれを全否定するつもりもないが、しかし近年、経済面である程度見栄えがするとしても、そのメンタリティでは、一流国家は到底無理だと言わざるを得ない。ご参考までに。

 さて徹子さんは、国連のユニセフ親善大使を30年務めておられ、これまでに世界各国の貧しい子供たちを訪ねてこられた。

 「最貧国のハイチでは、小学生ぐらいの女の子が6グールド(42円)で売春していた。エイズ怖くないのって聞いたら『エイズになっても何年かは生きられる。私の家は明日食べるものがないの』って。インドでは、死にかけている男の子が『あなたの幸せを願っています』と言ってくれた。私たちは死ぬ時に、そんなことまで言えるだろうか。想像もできない体験をして、それでも難民キャンプで自殺した子は一人もいない。純粋な心と生きようとする強さ、それが人本来の姿なんです

 そして、こんにち世界でも有数の恵まれた国、日本の子どもたちへ徹子さんから一言。

自分のことだけじゃなくて、もうちょっと人間に関心持ってね

 普段、飄々として、誰にも物怖じせず、あけすけで、才能というべき早口と笑顔で圧倒する徹子さん。しかし実際は、その胸中にある重苦しく複雑な心情をグッと飲み込んで、明るくつとめておられるのだろう。彼女こそ日本人のお手本ではないのかといえば大袈裟か。とまれ玉葱おばさん恐るべし。

 彼女がホストを務める「徹子の部屋」(テレビ朝日系)は40年目に突入し、ギネス記録も持つ。さらにこの5月で1万回を迎えるという。ところでこの人いったい何歳なん?

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