黄文雄著「世界が憧れる 天皇がいる日本」(徳間書店)を読む | 世日クラブじょーほー局

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世界が憧れる 天皇のいる日本 (一般書)/徳間書店

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 有史以来、国家の興亡盛衰は世の常で、その足跡こそ人類歴史ともいえる。わが国もその悠久なる歴史を通じ、幾多の試練を経て、こんにちの姿がある。しかし政体はどんなに変わろうとも、国体は変わることがなかった。すなわち天皇を戴く君主国家である。今上陛下まで125代にわたる天皇家は世界最古の王朝であり、今年は皇紀2674年を数える。

 黄河文明の発祥地である中国は、ことあるごとにその「5千年の歴史」を誇るが、実態は易姓革命によって、王朝の交代が繰り返され、そのたび歴史は断絶してきたのであり、なおかつ元や清など異民族により支配された時代さえあった。今日の中華人民共和国は、1949年に建国され、65年ほどの歴史しかない。建国の父である毛沢東が言ったように、銃口から生まれた共産党の一党独裁政権は、絶えずその正当性を人民の前に明らかにする必要があり、反日や対外膨張主義に血道をあげるのもその一環だ。

 一方、天皇の正当性は、初代神武帝のDNAを受け継いでいることにつきる。だから、信長や家康がどれだけ権勢を揮っても、天皇にとって代わることはできなかったのだ。

 黄氏は、「中韓は、『反日』を国是国策とする一方で、そのじつ日本の天皇の存在に憧れ、天皇の権威を借りようと必死だ」とし、その典型例として、中国の元外務大臣、銭其琛の回顧録の記述をあげている。

 89年の天安門事件以降、中国へ科された西側による経済制裁の緩和を意図して、天皇訪中を利用したというものだ。銭其琛はその中で、「天皇訪中の意義は日中関係の範囲を超えていた」と明かしている。中国とすれば「(天皇という)このクラスの国賓を招くことができれば、友好を他の国に印象付けることができるだけでなく、招待が可能であるという能力(治安や利便性も含め)を他国にも誇示できる」(黄氏)と踏んだ。

 まんまと中共にしてやられた形だが、時の日本の政権は宮沢喜一内閣であり、その官房長官は、チャイナスクール出身の加藤紘一氏だった。かくして中国の目論見どおり、西側の制裁は、なし崩し的に緩和されていくようになった。

 また「韓国は天皇を『日王』と呼びかえる一方で、金大中大統領時代から天皇訪韓を要望し続けている」(黄氏)という。嫌いなら無視すればよさそうなものをそうできないわけだ。

 さて日本の歴史を振り返る上で、明治維新ほどエポックメーキングな出来事はない。

 黄氏は、「明治維新は外圧を受ける中で国内の団結が求められたとき、佐幕派も討幕派も敵対し得ない、天皇を中心とした国を造らなくてはならないと痛感した上での『尊王攘夷』だった。そこで内戦の危機を最小限に抑えるために、大政奉還、江戸城無血開城、廃藩置県という国の大事が無血のまま行われ、国民のエネルギーを結集し、さまざな国難を乗り越えて近代化を断行できた」と解説。

 そしてここが明治維新の特異な点だが、黄氏は、
大政奉還した徳川慶喜は公爵まで列せられ、徳川家達は貴族院議長を務め、五稜郭で最後まで官軍に矢を向けた榎本武揚は海軍卿、同じく大鳥圭介は駐清国公使になっている。徳川慶喜の孫は高松宮妃となり、京都守護職の松平容保の孫も秩父宮妃になった。

 そして本来朝敵だった徳川家の家臣たちは新政府の行政機構の中枢を担い、引き続き国政を支えていった」などの史実を上げ、「これは中華世界では絶対ありえないことである」と断言。そして、朝鮮において甲申事変を起こした金玉均が上海で暗殺され、その後八つ裂きにされたことや、蒋経国を批判的に書いた台湾系アメリカ人の江南がサンフランシスコで、台湾からの刺客に暗殺されたことをその例としてあげている。

 黄氏は、「日本文化のうちもっともユニークな点は何かと問われれば、『万世一系』の天皇と平和の社会的しくみだと私は躊躇なく答える。これだけは人類史のどこにもない、あり得ない。『万邦無比』のユニークな日本文化である」という。

 さらにもう一つ日本の特徴として「和」の原理を上げる。「和の原理は仏教的な衆生の思想と神道的な共生の思想を習合によって生まれた自然の摂理と社会のしくみであり、そこから日本人の自然や社会環境に対する対応力が生まれてきたのである」と。なるほど日本人として得心のいくものだ。

 それにしても、日本人の劣化が止まらない。あらゆる論点があるが、現下の日本は、足元から崩れ落ちる様相を呈している。

 日本が誇るべき「和」の原理は、時として大きな落とし穴となる可能性も秘めている。7月15日付世界日報「メディアウオッチ」欄、「『ソドミズム』と呼ばれた性関係・LGBT容認記事垂れ流す大手紙」において増記代司氏は、旧約聖書にあるソドムとゴモラという町が淫行にふけったため、神の怒りに触れ、滅ぼされたという記述をもとに、伝統的なキリスト教社会では「不自然な肉欲」とりわけ同性愛をソドミズムと呼んで禁じたことを指摘。その上で、朝日をはじめ読売、産経がLGBT(レズ・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)に対して人権問題として肯定的に取り上げた記事を紹介している。

 なおテレビメディアでは、NHKのEテレが専門番組を作り、LGBT啓蒙に努めているし、民放は洞ヶ峠で、否定的見解は一切みかけない。増氏は、かかる新聞メディアの状況をもって、日本の道徳的危機は深刻だと記事を結んだが、融通無碍の思想の無さが節操の無さを生むのだ。万古不易にして守るべきものを欲望にまかせて失う愚をやめよ。はたしてこの国を救う思想体系はありや?