映画「北朝鮮強制収容所に生まれて」を観る | 世日クラブじょーほー局

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 主人公である申東赫(シン・ドンヒョク)は、82年に北朝鮮の政治犯強制収容所で生を受けた。そう聞いてもにわかに理解できないが、彼はそこで22歳まで、政治犯として強制労働に従事させられ、鉄条網に囲まれた敷地内で外界の一切の情報から遮断された生活を送った。本作は、彼自身によるその実体験の証言と再現アニメーションによって綴られるドキュメンタリー映画。

 我々日本人にとって、北朝鮮に生まれること自体に絶望を禁じ得ないわけだが、かの国の政治犯強制収容所で生まれたとはどういうことなのか。

 彼の両親もむろん収容者であり「表彰結婚」という収容所の報奨制度によってシン・ドンヒョクはこの世に生を受けたのだ。収容所とはどういうところか。シンによれば、彼は新しく収容されてきた初老の男性とともに脱走して、生まれてはじめて鉄条網の外の北朝鮮一般国民の生活風景を見たとき「まるで天国かと思った」というほどなのである。

 収容所に人権などあろうはずはない。看守の気の向くまま、収容者は飢えと暴力と拷問にさらされ、常に死の恐怖がつきまとう。彼は6歳からここで強制労働に従事させられた。

 収容所は監視社会であり、それは親子といえども例外でなく、互いを監視しあい密告する。脱走や不穏な動きを見せれば即射殺、それと知って報告を怠ればこれまた即射殺という世界。よくこんな状況で、発狂しないなと思うなかれ。人間は環境適応能力をもっている。そういう環境であればあるほど、「生」へのむきだしの本能がスイッチオンとなり、あくなき自らの「生」への追及に全神経と全細胞が総動員される。無論代わりにわれわれが通常考える「人間性」はどこまでも没していくのみだが。

 シンは12歳のとき、母親と兄が脱走を企てていると密告し、そのために母親と兄はシンと彼の父親の目の前で公開処刑された。シン自身も過酷な拷問を受けた。そのせいで、今彼が両腕を伸ばすと、下方にぐにゃりと湾曲している。

 シンは22歳で収容所を脱走、さらにその後、奇跡的に脱北を果たして今に至る。現在32歳。今では講演依頼が引きも切らず、世界中を飛び回って自らの体験を語っている。

 先般来日もし、横田めぐみさんのご両親である横田夫妻とも会っている。収容所時代を思えば、まさに青天の霹靂だろう。その講演でのプレゼンぶりも立派なもので、とても22歳まで外界を知らずにいたなどとは思えないほどだ。もともと頭脳明晰なのだろうし、そういう能力に長けたのかもしれない。むろん彼もまだ自分と同じ苦しみの渦中にある同胞を解放したいという思いを抱いて奔走していることもあるだろうが、そうしたいからというより、収容所時代は「今」を生きることだけが全てだった状況から、目的意識を貫徹することによってしか襲いくるフラッシュバックに耐えられないこともあろう。彼は体調や精神状態も健常者のようにはいかない。刻々と変化する自分自身の内外の状況に身をゆだねるしかないのだ。

 彼の表情は、ひと目見てわかるが、常に虚ろで焦点が定まらず無表情だ。これは収容所時代の後遺症が大きいが、それだけではないように思えた。

 彼は命からがら、奇跡に伴われながら、この世の地獄から脱北してきた。そして行き着いた先は、食べ物も着るものも何もかも豊かで、高層ビルは幾重にもそびえ立ち、あらゆる種類の自動車が行き交い、飛行機で世界中どこでも飛び回れ、ITを駆使した高度に発達した情報化社会だった。

 そこで暮らす人々はどこまでも自由で、自分の人生を謳歌している。それは一見、天国と見紛うようだ。彼とて今やPCやスマホを使いこなし、車や飛行機で自由自在に移動する。自宅での食事のシーンではやたらコンビニの弁当をむしゃむしゃ食べる映像が流れたが、身の安全は大丈夫なのかと心配するほど十二分にその恩恵に浸っているようにみえる。

 しかし彼は突如こう切り出すのだ。「収容所では自殺はほとんどなかったが、どうしたことかこの豊かな韓国では毎日のように自殺が報じられる」と。また「収容所は地獄のようであったが、私たちの心は純粋だった。お金の存在さえ知らなかったが、韓国では金がなければ生きられないし、金のためならなんでもするという風潮が罷り通っており、人々は金の亡者に成り果てている」と。そしてついには「自分は脱北してから、各方面から義捐金などが集まってきたが、それを自分のために使ったことは一切ない」と宣言してしまうのだ。

 これこそ、本作に込められたもう一つの重いメッセージだろう。北朝鮮政治犯収容所には、今もなお20万人の政治犯が収容され、シンと同様、過酷極まる生活を余儀なくされている。

 彼らを一刻も早くなんとしても解放させることがまず望まれるが、では彼らを迎え入れたその後はどうなのか。彼らが平静を取り戻して見渡したその風景は、先のシン・ドンヒョクが見たその風景そのものだ。もう気づくべきだ。一見豊かで何不自由ない我々の社会は、実はシンら脱北者を心から満足させる人生哲学も、経済、政治制度も真の家族愛の姿さえ何ひとつ持ち合わせてはいないのだと。

 シンに恩着せがましく「辛かったね、大変だったね、もう大丈夫だよ」などと偉そうなことを言えた義理なのだろうか。それらの言葉はシンにとって、空疎に上滑りしていくのみだろう。シンのその表情は、堕落しきった自由世界への大いなる失望と魂の漂流者としての表れではないか。スクリーンに映し出される彼の表情は、迎え入れた側に強烈なアイロニーとなって、その胸に突き刺さってくる。我々はまた一つ課題を突き付けられたのだ。

 シン・ドンヒョクは北の強制収容所に生まれ、私は日本に生まれた。これは神のみぞ知る宿命だったが、こうしてこの作品を通じシンクロし、あるべき世界の姿に向けて手を取り合うことができる機会を与えられた。そう思わずにおれなかった。