佐々涼子著「エンジェル フライト」(集英社)を読む | 世日クラブじょーほー局

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エンジェルフライト 国際霊柩送還士/集英社

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 「死」は非日常の事象であり、禁忌の領域。これが一般的な感覚だろうか。しかし、確実に毎日誰かが死んでおり、世界を見渡せば、その数は尋常ならざるものがある。そして、いずれ自分にもそのお鉢がまわってくる。それは明日かもしれず、何十年後かもしれない。ただ、そんなこと考えても始まらないし、“命短シ恋セヨ乙女”じゃないけど、どうせいずれ死ぬのなら、酒池肉林の果てに…。目いっぱいこの人生を謳歌しようよって!? しかしながら、日本でもこれから益々少子高齢化が加速し、それは多死社会を形成する。否応なく「死」は日常化し、好むとも好まざるとも現実に向き合わざるを得なくなる状況がやってくる。それは幸か不幸か?

 「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」というが、少なくとも遺族との素晴らしい思い出を残さなければならないだろう。そして、その思い出とともに、残された者はこれから、故人の分まで懸命に生きていくのだ。その意味で人生を出鱈目に生きられようか。下手すれば、日々のその一挙手一投足が慎重であるべきではないのか。どれだけ栄耀栄華を誇った人生であっても、荼毘に付された後に残るのは、見るも虚しい亡骸のみ。

 さて本書は、国際霊柩送還の専門会社である「エアハースインターナショナル」の知られざる仕事ぶりを密着取材し紹介するルポだ。国際霊柩送還とは、同社の創業者である山科昌美氏が確立した概念のようだ。要するに外国で亡くなった邦人を日本に送還し、日本で亡くなった外国人を故国に送り返す。その際、エンバーミング(防腐処理)や遺体修復によって生前と変わらないような姿にしてあげて、故人と遺族の最後の絆を取り結ぶ重要な使命を人知れず果たしている人たちが存在するのだ。

 本書を読んで感じることは、家族を看取り、そして家族に看取られ旅立つことがいかに幸せかということ。世界に目を向ければ、いまだ内戦状態にある国があり、難民であったり、極度の貧困地帯などそういうことが非常に難しいことが想像される。また戦時中は言うに及ばす、3・11東日本大震災による津波被害で、遺体がいまだ発見されない犠牲者は多数にのぼる。看取り、看取られることは、当然ではない。また事件や事故などの遭遇により遺体の損傷が激しい場合があるし、まして外国でそうなった場合は輪をかけて大変になる。

 本書でこういうエピソードが紹介されている。外国で転落死した夫を現地で本人確認した妻が、そのひどく損傷した姿に「親族に対面させることなどできるはずがない」とあきらめていたが、エアハース社の担当者の手によって修復された棺の遺体を見て、「ありがとうございます。…あの人です。…ありがとう…」と柩にとりついて泣いた。そして夫を親族に対面させ、みな大泣きしたのだという。

 次の日には骨にしてしまう遺体をエアハースの担当者は全身全霊を込めて修復作業にあたる。それも一見、目の届かない細部にも手を抜くことはない。無論、それで故人が蘇生するわけでもない。しかし著者である佐々氏は、その合理的とは思えない行為にこそ「人間を人間たらしめる感情」を見出す。

 「おわりに」で佐々氏は、亡くなった人から我々が託されるであろう宿題として、二つをあげる。一つは、「命を終えてしまったその人の分まで人生を生きぬくこと」。もう一つが、「その人との別れを悲しみぬくこと」だと。そして、「国際霊柩送還の仕事とは、遺族がきちんと亡くなった人に向き合って存分に泣くことができるように、最後にたった一度の『さよなら』を言うための機会を用意する仕事」だとする。

 また、「今震災を経験して、弔いというものが、人間にとっては本質的に必要なのだと私たちは理屈を超えて気づきつつある」という。実は当方は、本書を読み終えない途中で身内を亡くし、その葬儀に参列し、遺骨を拾ってきた。故人を思えば、悲しみは勿論のことだったが、葬儀の間中、本書の言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡った。それほど本書は人の琴線に触れる内容と筆致で書かれている。

 佐々氏は、本書を執筆する以前に「日本で亡くなった外国人の遺体はどうなるのだろう」「そのことがずっと気になっていた」という。普通そんなこと気にする人いるのかよと訝しく思ったのだが、本書を読み進めるうちに、彼女を我知らずそこまでつき動かしたのは、遺族の「痛み」を分かち合うことにより、彼女自身も救われなければならない運命というべきものだったと知るであろう。