東京MXTVで、土曜日の朝にオンエア中の西部邁の「西部ゼミナール」に安倍元首相が、4週にわたって出演し、その持論を聞く内容をやっていました。1週目が、安全保障や憲法改正の問題、2週目が経済問題でした。
第1週目で印象深かったのは、尖閣問題について、米国のアーミテージ国務副長官の時代に安倍氏が、もし尖閣諸島で、中国に実効支配される事態が出来し、日本の施政権が及ばなくなった場合でも、安保条約第5条の適用となるか?の問いに、アーミテージは、「そうだ」と答えるも、大前提として、まず日本が命がけで、それを守るということがなければならないと断じたとのこと。当然至極の話しだが、安倍氏も抑止力として、米国に安保適用の保障の言質を取ることは有用としながら、自らの国土、しかも住民もいない無人島を守るに、アメリカありきとは、情けない。そのくらい自分たちでやれないのかと嘆いていた。法制上の不備が、国防政策を縛っているのもさることながら、とどのつまりは、憲法問題に帰着するのであり、「戦後レジームからの脱却」を再びという趣旨で、この点に関しては、全く同感だった。
日本は、戦後66年日米安保に胡坐をかいてきたといえる。無論、日米安保は、堅持すべきで、さらにそれを深化させるというのは、反対はしないが、専守防衛で、集団的自衛権も行使できない状況で、真の同盟国たるか?
アメリカは、アフガン戦争やイラク戦争、その後の駐留によって、自国の若い兵士を千人単位の犠牲を払っていますね。無論石油の利権など国益をかけた戦いであることは間違いないが、中東の安定、ひいては世界のために資するとして始めた戦争です。そういう立場で、無論アメリカとて望みはしないが、自らの犠牲を厭わない。翻って日本は、PKO部隊も出すようになってはいるが、犠牲者は一人も出さないという鉄則で、臨んでいる。湾岸戦争では130億ドルだけ拠出して、出兵を避け、醜態をさらしたが、これこそ戦後日本の在りようを端的に示した例だ。
もし、尖閣その他のわが領土で、一旦緩急あって、安保条約に基き米軍が乗り出し、血が流れる状況が出来しても、日本は憲法の制約上、拱手傍観と結果的になってしまった場合、米国は世論を中心として、タダではおかないはずだ。
米国は、財税逼迫の折、今後10年間で、4,500億ドル(34兆円)の国防費を削減するとしている。そしてニ正面戦略は非現実的だとして、アジアにシフトするという。しかし中東のイランやシリアなど現在進行形の問題にしろ、アフガン、イラクにしろ、米のコミットなしとは考えにくい。
一方中国は、ますます覇権主義を強めており、対艦弾道ミサイルによる米空母の接近阻止戦略、国産空母保有、第5世代戦闘機「殲20」の配備など今後、アメリカとかなり拮抗するか、それ以上のスーパーパワーとなってきたとき、日本の頭越しに両国が手打ちするということはないだろうか。(無論内政問題を常に抱える中国がこのまま推移するとは思えないが)数年前、人民解放軍の高官が、太平洋の米中による二分割統治を提案し、米側に言下に拒否されたということがあったが、リアクションを見たのだろうが、ホンネだろう。先だっても中国は世界一の保有高を誇る米国債の売却ほのめかし、米国を牽制している。かつて安倍氏は、拉致問題で一歩も引かず、核問題を優先するアメリカをはじめとする他の5カ国との足並みの乱れの中、再三の要請にも関わらず、ついに米による北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除によって、梯子を外され、実質的な政権の致命傷となったのではなかったか。
日本は、今そこにある危機を深刻に受け止めて、主権国家として、自立自存の立場で、最低限自分の国は自分で守るというスタートラインに立つべきだ。それにはまず東京裁判史観からの脱却と、自らの手になる憲法を制定し、かつまた国際政治のリアリズムとわが国の国力に照らして、当然の帰結として、核保有があり得べきなのである。
第二回目の対談は、経済問題だったが、これは総じて歯切れが悪かった。西部氏とゲストの西田昌司氏は、いずれ劣らぬアンチ小泉の論客とあって、安倍氏もタジタジの場面もあったが、しかし、デフレ脱却が最優先課題との認識で、増税論に与みしないというのはよかった。
さて、「戦後レジームからの脱却」を掲げて登場した安倍政権は、教育基本法改正、防衛庁の省への昇格、いわゆる教育三法、国民投票法の成立など、戦後内閣において特筆すべき仕事をやってのけました。これは大いに評価すべきだ。しかし、安倍氏自ら小泉政権の中枢にあって、郵政民営化はじめ、いらぬ新自由主義的政策を次々とすすめ、リーマンショックへ至るお先棒を担ぎ、国内政治にあっては、自民党分裂から、小党乱立による政治の一大混乱を招き、経済に関しては、デフレスパイラルを加速させた。わけても、がっかりだったのが、安倍氏が幹事長当時、郵政選挙の演説で、「今や、ラブレターもメールで出す時代」などと叫び、日本の奥ゆかしい手紙文化を暗に貶めてまで、郵政民営化を正当化し、ホントに保守なのかと思わせたこと。そして政権担当後は、幾分漸進主義に転じたものの、概して小泉路線の継承者であり続けた。また、その政権運営は稚拙を極め、最後は見るも無残な失脚劇だった。さらに言えば、今日の野田政権にいたるまで短命政権の先鞭を付けたのも安倍氏である。まさに功罪あい半ばする。
安倍氏は、今月の文藝春秋誌上で、「民主党に皇室典範改正は任せられない」と題し、民主党の女性宮家の議論に警鐘を鳴らしておいでだ。その労は多とするが、小泉政権下で、皇室典範に関する有識者会議が、長子優先・女性、女系天皇容認・女性宮家設立などの内容の報告書を出した時の主管大臣たる福田康夫官房長官を補佐する官房副長官の任にあった往時、「こんな重大な問題を拙速で決めていいのだろうか」と思いつつも政府としては作業を進めざるを得なかったのだそう。その後、秋篠宮紀子妃殿下のご懐妊が明らかになって、報告書は棚上げとなるが、「後々冷や汗を拭う思い」をしたなどと言い訳がましいというか、情けないことを言っておられ、大丈夫かなと思ってしまった。
それはともかく、失脚から4年以上たち、人間としても、政治家としても成長されたのは間違いなかろう。健康状態もこの40年間で、一番調子がいいとのこと。保守派からは、次期総理の呼び声も高く、当方も期待するにやぶさかでないが、前述の如く、まだ信用がおけない。安倍氏は再び政権をうかがわんと欲すれば、自らの功罪の罪の部分の禊としてまず、以下の言葉を拳拳服膺すべきだ。
「小泉後継という安倍氏の悲劇は、安倍氏が信奉する保守主義の思想と小泉構造改革路線が、本来的に相容れない、むしろ小泉構造改革路線こそが、安倍氏が守ろうとしている文字通り『美しい国』を荒廃させ、日本の歴史や伝統、慣習をいたずらに破壊に導きかねないものだったということです。」〔八木秀次氏「日本を弑する人々」(共著)PHP〕
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