9月18日(日)世界日報最終面の「五輪招致で一つになろう」という全3段のメッセージ広告が掲載された。真の家庭運動推進協議会は同志の団体であり、常日頃の活動には敬意を表するものだが、今回ちょっと論旨が腑に落ちなかった。
1964年の東京オリンピックは、重要な意義があったと思います。しかし当方は、個人的には、今回の東京への五輪招致には反対だ。その前にやることが山とあると思われるから。東京一極集中の緩和や、首都機能分散をはじめ、今そこにある危機である首都直下型地震や東海地震などにむけた対策など。また前にも紹介した藤井聡京大教授が提示しておられるような都市工学論的観点からの様々な施策(「公共事業が日本を救う」など参照されたい)。
東京への五輪招致推進理由は、閉塞感に包まれた今の「日本に元気を取り戻す」、「夢を再び」などといった情緒論が先行して、2回目開催の必然性がクリアでない。
石原都知事は、オリンピック招致に何かに取り憑かれたように遮二無二、突き進んでおられるが、前回の招致に皇太子殿下を担ぎ上げて、旗印になってもらえるよう宮内庁に強行姿勢で迫ったのは、なんともえげつなかった。言葉は悪いが、それは皇太子殿下に営業回りをしていただくということに他ならない。これは不敬といえまいか。石前氏の前のめりの姿勢にどうも不安がよぎる。
当該広告のメッセージは五輪招致の課題が2つあると。「一つは大会の意義づけです。」として、「テーマが『震災からの復興』になるようですが、オリンピックと被災地を結びつけてより説得力のある形にすることが必要でしょう。」って胡散臭い。取ってつけたエクスキューズに聞こえる。前回立候補地の福岡など地方での開催というならまだわかる。「震災からの復興」というなら、多少無理しても東北開催を主張すべきと思う。
「もう一つの課題は、私たちの熱意です。」と。「2016年五輪の招致に東京が失敗した要因の一つはこの熱意が足りなかったことです。」は、招致委員会の分析をそのまま引いていると思われる。そして「自分の身のまわりのことだけに関心を持つ一方、社会全体で何か取り組むことに消極的になっている人が多くなっていることがわかります」という。要は、自分勝手に遊び惚けるくらいなら、東京オリンピック招致に協力せよ、ということか。なるほど、当方も日々の生活のやりくりにあくせくし、視野が公の方まで至らないのは自覚する。しかし支持率が低いのは、本当に国民の熱意の欠如のせいなのか。積極的に反対してる人もいる。何より、‘反対する者は非国民’的なキナ臭さを感じる。
ともかくも、16年の招致合戦で、東京は敗れたという厳然たる事実を直視すべきだ。現に100億円の血税が投入された。真摯な反省こそが必要だが、その反省も分析も全くないままに、石原氏は20年の招致に手を上げた。「諦めません。勝つまでは」ということなのか。甲子園をめざす球児じゃないんだから。
家庭の正常化、青少年の健全育成とオリンピック招致をリンクするのはどうも首をかしげる。
以下の指摘も参考までに付記する
「100億円以上の税金を無駄にしたという批判以上に、築地・勝どき・晴海といった東京都にとって重要な土地をオリンピック用地という理由で今まで有効活用できない状態にしておいたことが罪深いことだと思うからです。
これほど、同地域の大きな発展の可能性を阻害するようなことをしておいて、その責任を一切取らないというのは問題でしょう。
(中略)
オリンピックのようなイベントで一時的に盛り上げるのではなく、日々『人・企業・情報』が集まってくるような、毎日を活性化するような街づくりを考えることが、今の東京に必要なことだからです。
このような状況で、なぜ東京にとって重要な土地を無駄にしたという事実をマスコミが糾弾しないのか? 私は非常に残念です。おそらく殆どのマスコミは電通への配慮から、表立ってオリンピック招致への反対意見を述べにくいのだと思います。電波に大きな影響力を持つ電通とあらゆる利権構造が背景に見え隠れしているからです。」(大前研一ブログ:ニュースの視点)