日本史追究所の壱  さんのエントリに小生の名前が書かれていたので、ちょっと書いてみようと(笑)

夜分遅くまた年末の忙しさで疲れ・・もあって、長くは書けませんが・・・。

1582年、織田軍、徳川軍に攻められ一気に武田氏が滅んでしまいましたが、このときに武田勝頼は小山田氏と真田氏のどちらに逃れるか・・という選択にて、最終的に小山田氏を選び、そしてその選んだ小山田氏にも裏切りにあうという悲惨な結果になったというお話ですが・・・・。

なぜ勝頼が、小山田氏を選んだのか?

すでに勝頼が織田に抵抗することが出来ないと悟り、新府城を自落させた3月3日の時点で信州へは織田軍が乱入しており、とても岩櫃の真田氏の元にたどり着くことは、物理的に不可能で、距離にすれば新府から岩櫃は80キロはあります。しかも残党狩りや落ち武者狩りも行われていたはずです。なので岩櫃まで女子供を連れて逃げるということはとても出来なかったと思います。
逃げるとすれば、東の小山田氏しかなかったのですが、裏切りに合います。

とすると仮に真田真幸から岩櫃の城へ誘われていたとしても、もっと早い段階でその準備をする必要があったはずです。

高遠城の後詰のために出陣しますが、穴山氏の裏切りを知り、2月28日に上原の陣を引き払い、新府へ帰還としています。3月3日には高遠、深志を織田軍が制圧。
とても真田氏の元へいく余裕はなかったでしょう・・・。