年代 慶長5年(1600)7月19日~
場所 京都市伏見区桃山町
徳川家康が会津の上杉景勝を攻撃するのを見計らって挙兵した石田三成は、
7月18日に鳥居元忠が守る伏見城に開城要求を叩き付けたが、拒否され、
翌19日に伏見城の合戦が始まった。
西軍は、宇喜多秀家、小早川秀秋、島津維新、毛利秀元、鍋島勝茂、長宗我部盛親、小西行長、総勢約4万。
一方篭城軍は1800程度。
10日間懸命に攻め上げるも、落城の気配を見せなかったが、石田三成が29日に到着し、翌30日総攻撃を開始。
松の丸が炎上し、その火が名古屋丸にも飛び火。
また、篭城側に裏切りが出て城壁を壊し、それに乗じて鍋島勢がなだれ込んだ。
落城は時間の問題となり、天守にいた元忠のもとに敵兵が押し寄せてきて、雑賀重朝が槍を構えたところで、元忠は自刃。
8月1日の午後3時、伏見城は落城した。
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