東京子育て日記

東京子育て日記

2人目が生まれ、小1の壁にぶつかり、子育てとは、、と考える日々。
私は子育てではなく人育てをしないといけないのではないか?とたどり着いてブログも再スタート。
勉強がてらメモがてら。


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私は現在同居中。

旦那の父が亡くなって、ボロボロだった旦那の実家に一人住む義母が心配だったのだが、3人もいるはずの姉が誰一人同居しようとしない。

まぁそのときのひと悶着はまた今度書くとして。

旦那も義母もわたしにとってはもとは他人。
家族に言われてもなんとも思わないこともこの二人に言われると(というかほぼ義母)腹が立つことこの上ない。

まず耳が遠いので声がでかい。
わたしの文句を堂々と自分の部屋で姉との長電話で話しているが、わたしには丸聞こえ。

そしていっぽ部屋をでると上品で優しい義母ですよって顔してわたしの子育てにしゃしゃってくる。

在宅勤務が増えたわたしに重くのし掛かるストレスの大半はこれです。

なのでどうかコロナが早く終息しますように!
子が二人、私の遺伝子(それも引き継いでほしくないとこ)をしっかりと引き継いだことにより、私は色々考えなければならなかった。

私は幸いにも大人になるまで大きな発作を起こすこともなく、就職、結婚、(しなくてもいい離婚)、再婚、出産とライフイベントを終えていた。

しかし子どもたちは持病を持ったまま、このライフイベントと遭遇することになる(だろう)

就職はその時の市場によっても変わってくるだろうが、まずもって持病があることは不利に働く可能性がある。
そして一番危惧しているのは結婚。

この病気は遺伝する。

相手が、相手の親が、それを知った時。
反対されるんだろうな。
そんなことないよ、なんて当事者には絶対言えない言葉だ。

世間と戦う、もしくは共存するには知識と考える力が必要だと思った。

泣いていても何も解決しない。
子どもたちの未来は私が守るのではなく、子どもたち自身で切り開いてもらうしかない。

私が前を向かなければ何も始まらない。
息子が生後半年を過ぎた頃、娘の主治医より遺伝子検査の話があった。

どうしますか。

色々悩みはしたものの、夫の希望もあり検査に踏み切った。

娘の時とはかなり違い、なんとも緊張感のない検体採取だった。
おー泣いてる泣いてる、と娘と2人で見守った。
夫は見ていられなかったようだった。
でも泣いても可愛い。

男の子ってホント可愛い。
いや、2人目だから余裕があるのか。
それとも娘と6歳も差があるから久しぶりの赤ちゃんで変なテンションになっているのか。

3ヶ月後、検査結果を聞きに行った。
私と同じ遺伝子変異が認められたとのこと。

告知の直後は泣いてしまった。

だってね。どう考えても、周りからなんと言われても、やっぱりこればっかりはどうしようもなく私のせいだから。私の遺伝子のせいだからね。
本当にごめんね。子どもたちよ。ほんとごめん。

泣いた私の顔を見て、息子は笑った。
娘はかなり繊細で気難しく、赤ちゃんの頃も外ではほとんど笑わなかった。
可愛いわね、と笑顔で声をかけられても固まった表情でいることが多く、本当に慎重で繊細な子だった。
しかし息子は本当によく笑う子だった。毎日毎日それはそれは何が楽しいのかと思うほどによく笑う子だった。

その笑顔が、私に言っているような気がした。

大丈夫。僕はそんなに弱くない。

一応ジャンルは教育。

今までの記事には一切教育に触れるような記述はないのですが、なぜ私が教育(延いてはお受験)を真剣に考えるようになったのか、というところまで書くために必要なことだと感じたので書いてます。

子育て、でもよかったのですが。

まぁジャンルは何となくです。これから変えるかもしれませんしね。
一度大きな発作を起こしていたのと、子が最後まで逆子だったこともあり、今回の出産は帝王切開となった。

心拍は姉ほどではないが、やはり少し弱めだった。心臓のスクリーニングなど色々な検査をしてもらったが、健康で元気だということ以外は何もわからなかった。

そりゃそうよ。遺伝子検査しないとわかんないでしょ。

でも、躊躇した。

病気の確定診断がつけば、今後この子はずっと持病持ちとして扱われる。
今後、進学、就職、結婚とライフイベント毎にケチがついて回ったら、、、。
正直そんなことがふと頭をよぎった。

しかし姉同様いつかは検査をしなければ、とも思っていた。

そうして無事に2700gの元気な男の子が産まれてきてくれた。

お姉ちゃんは産まれた瞬間から夫似だったが、この子は少し私に似ている。
色の白い、力強い目をした男の子だった。