前回の続きです。
学校用務員として始動
用務員って何をするの?学校で働くってどんな感じ?様々な不安を抱えながら初出勤。
実際は、私が小学生のころに担任を持ってもらった先生や先生になった同級生がいて、校長先生や教頭先生も優しい。
なにより、2人1組で動く用務員の相方となる人が素敵な人で、毎日仕事に行くことが楽しいとさえ思うほどの恵まれた環境だった。
仕事と趣味の両立
新年度、異動があり、私の相方の用務員さんも変わったが、その方も素敵な人だった。その次の年度、今度は私がパートタイムの採用からフルタイムの採用に変わるために異動することになった。
初めての異動で、また新たな不安を抱えながら新しい学校へ足を踏み入れた。
実際新しい学校へ行ってみると、今までの環境以上に恵まれた環境だった。なぜなら、相方の用務員さんがこれまで出会ってきた人の中で1番と言っても過言ではないほど気の合う人だったからだ。
そしてフルタイムでの仕事にも慣れてきたころ、それまで家で置物と化していた楽器のレッスンにも通いはじめて、公私ともに充実した日々を送っていた。
用務員は天職だ
異動してから1年が経ち、楽器のレッスンにも通いはじめて公私ともに充実した日々を過ごす中で、次第にこの生活が続くといいなと思いはじめていた。
相方の用務員さんは用務員としての経験も豊富で、特に剪定や花のお世話についてよく教えてくれた。
毎日一緒に草抜きをしたり、落ち葉掃きをしたり、給食の用意をしたり…こうして働くうちに、こんなに楽しく、心をすり減らすこともなく、毎日気持ちよく働けるのなら、用務員は私にとって天職で、ここにたどり着くために今まで色んな寄り道をしたんだと思っていた。
別れと出会い
異動してから4年目の3月、とうとう相方に異動の話がきた。その時すでに8年勤めていて、さすがに異動だろうという話もしていたので「やっぱりか」という気持ちと寂しい気持ちがあった。
相方の異動の連絡があった数時間後、新しい相方の名前が告げられた。
そして、その人物を知っている教職員から心配の声や連絡が私の元に届く。
"そんなにやばい人なのか?"
そう思い、どんな人物なのか話を聞くと、
"一緒に働く用務員はもれなく、耐えられなくなって辞めてしまう"
"泣かされる人もたくさんいた"
"ろくに仕事もせずにお喋りばかりしている"
などなど…良い話がひとつも出てこなかった。
だけど、私が実害を受けたわけでもないので、あまり深く考えずに普通に接しようと思った。
実際、翌日にその人が挨拶にきたときには、確かによく喋る人だと思ったが、みんなが言うほど悪い人という印象はなかった。
徐々に現れる噂の片鱗
新しい相方を迎えての新年度がはじまる。
この時の私は異動してから5年目を迎え、この学校での業務は何不自由なくこなせるようになっていた。
新しい相方とも最初のうちは何事もなく平穏に過ごしており、「みんな大げさだな」と思っていた。
しかしある日、私が何気なく放った"絶対"という単語ひとつで20分攻められ続けるという事件が起きた。
適応障害という診断と休職
この小さな出来事がきっかけで、私はその人のターゲットになり、日々悪気のない悪意を受けることで私のメンタルは少しずつ削られていった。
朝起きることが辛いとか車のアクセルが踏めないとか、意図せず涙が出るようになるとか…これまでにも辛くてしんどいことはあったものの、こんな状態になることは初めてで、自分の心身はどうしてしまったのかという戸惑いを抱え、家族から心療内科の受診を勧められるようになった。
しかし、病院に行き何か診断を受けて休職することになった時のお金のことや仕事に復帰できるのか、職場では私がその人と一緒に仕事をすることがないように配慮してもらっているにも関わらず更に迷惑をかけてしまうのかといった心配事もあり、なかなか一歩踏み出すことができなかった。
それでも、このままの状態で働くということが苦痛だったので、今まで考えていなかった"休む"という選択肢を得るために心療内科を受診することに決めた。そこで適応障害と診断を受け、まずは1ヶ月の休職をすることになった。
