​用務員は天職だ!

というのは、それまでの周りの環境も相まってそう感じていたことで、そもそも"仕事"をしたくない私にとっては、病気休暇で休職するということは願ったり叶ったりの出来事だった。


それでも休職に入った当時、こんなかたちで休むということに罪悪感を覚え、みんなが一生懸命働いているのに自分は働いていないことやお金のこと、この先復帰することができるのか、もし辞めても新しい仕事に就けなかったら…などその時考えても仕方のない、この先の、特に良くないことばかり考えては不安になって自己嫌悪に陥る日々を過ごしていた。


8月、1ヶ月の休職が終わる前にもう一度心療内科を受診し、病院の先生と仕事に戻るか休職期間を延長するかという話をするとき、休んだことでますますその新しい相方に会いたくなくなったことや、まだ休めるなら休みたいという自分の心の甘えによって、休職期間を12月まで延長した。


休んでいることに慣れてしまった私は、毎日を気ままに過ごしていた。

母の仕事が休みのときは一緒に出かけたり、買い物に行ったりした。家にいるときも、好きな時間に起きて楽器を弾いたり、ゲームをして過ごしていた。

そうやって、休職し始めのころに比べて気持ちも穏やかに過ごすようになっていたが、夜になると不安になって落ち込んだりイライラすることは多かった。

そんな時には、病院でもらった薬を飲んでやり過ごしていた。

しかし、時折指示された用量より少し多めの薬を飲んだり、指定された時間より短いスパンで服用することで朦朧とすることもあった。

更に、ネガティブなことを考えすぎて、勝手に落ち込んで勝手に孤独を感じ、カッターで腕を切ることもあった。


私のそんな状況を知った知人たちは心配して、わざわざ時間を作ってカフェやご飯に誘ってくれ、話を聞いてくれたりもした。

そして大丈夫とか、私がこの状態になったことに関して、あなたは悪くないよなど励ましの言葉をかけてくれたりもした。もちろん、時間を作ってくれたことや話を聞いて優しい言葉をかけてくれたことに対して感謝の気持ちはあったが、その言葉は何ひとつ私の心に響かなかった。


当時の私は、私がこの世界で1番辛くて可哀想だと思っていた。


そんな状況でも、楽器のレッスンだけは続けていた。

しかし、それほど音楽が好きで、楽器を弾くことが好きだったのに、なんだか気晴らしにもならず虚しくなったり、意欲が湧かずに惰性でレッスンに行くような気持ちになったり、とにかく本気やる気もなくし、まるで生きた屍のような状態になっていて、レッスンの時にその先生にも自分の現状を話し、相談するようになっていた。