日本は、一体どのような形で世界平和に貢献できるだろうか。私たち、日本人が果たすべき役割とは何だろうか。日本的な思想が、どう世界平和に繋がっていくのか、ということを、この文章では、考えていきたい。
日本には、その歴史上、見逃し難いいくつかの特質を持っている。
まず、一つ目に、世界で唯一の被爆国であることである。1945年8月6日には、広島に、8月9日には長崎に、それぞれ原爆が投下されている。私たち日本人にとって、忘れられない日となっている。まさに、受難の歴史だ。受難した者には、それなりの報いがあるに違いない。その報いとは、一体何なのか? 戦後の目覚しい経済発展だろうか。戦後の平和の到来だろうか。
私たちは、もう一度、なぜ原爆が自分たちの国土に落とされたのだろうか、という意味を再考する所に来ている、とそう感じる。原子爆弾の威力は、とても大きなものだった。その爆発を表現する時に、もう一つの「太陽」が落ちてきた、という時がある。爆発後には、広島市の上空に、大きな大きなきのこ雲が出来たと言われる。
筆者は、長崎に赴いたことがあり、爆発と同時に時刻が止まった時計など、衝撃的で、その時の様子を想い起こさせる遺品を、たくさん目にした。自分の目で、見ることで、本当にその場にいるかのような気がした。長崎に行ったのは、中学校3年の夏で、まさしく8月9日だった。筆者の故郷である、気仙沼市が、その年から、長崎に市内の中学生幾人かを派遣すると決めたのであった。それで、まず、初年度は私の母校である気仙沼中学校から、ということであった。筆者は、その頃生徒会をやっており、副会長だったもので、その行事に参加することになったのであった。
また、筆者は、小学3年生の時に、「この子たちの夏」という、朗読劇に参加している。これは、原爆に遭った人たちの見た世界を描いている作品だ。地人会という団体が、作成している。うちの母が、もともと地元で小劇場に参加しており、その関係で、僕もその舞台に出させてもらったという形だ。筆者が、その舞台の最初のセリフを担当していた。「8月6日のあの時、」から始まる。その舞台には、筆者以外にも何人かの子供が参加していた。それぞれが、それぞれの場所での被爆経験をつぶさに語っていく。前半は、子供たち中心に、後半は、大人たちを中心に劇は進んでいく。そして、最後に「生きよう。生き抜こう。」というセリフが、何度も何度もこだまし、舞台は終わっていく。
筆者は、これに参加できて、本当に良かったと思っている。
世界の今の状況を、ここで振り返ってみよう。
現在、世界で起きている紛争の数は、だいたい26ほどになっている。その中でも、長く続いている紛争がある。それが、パレスチナ紛争だ。これは、純粋な宗教戦争というより、大国の外交による産物だと言ったほうがいい。その為、戦っているユダヤ人も、パレスチナ武装勢力もある種の被害者だと言っていい。
対立の経緯を辿ってみよう。
時は、第一次世界大戦。ある大国が、3枚舌外交をやって退けた。それは、イギリスである。
当時、オスマントルコと戦っていたイギリスは、その裏側にあるパレスチナをけしかけてオスマントルコを混乱させようとする。その見返りとしてパレスチナの独立を承認するのだが―これがフサイン・マクマホン書簡と呼ばれる「密約」だ。フサインは当時のアラブ人首長だ。
これに応じて、フサインはヒジャーズ王国を建国。ダマスカスを占領するなど、オスマントルコを揺さぶる。
しかし、一方でお金の調達のために、ユダヤ資本にも働きかける。ロスチャイルド家に「金を援助してくれたら、約束の地(パレスチナ)におけるユダヤ人国家独立を承認する」とする。バルフォア宣言というもので、「密約」だ。
そして、さらに英仏露は、「戦争終結後に西アジアを3分割」という、サイクス・ピコ協定という「密約」を締結する。
しかし、その後、ロシアが革命で崩壊。その革命において、レーニンがこの密約を暴露。そのため、サイクス・ピコ協定が表に出てしまった。それで、その後に締結されたセーヴル条約で、このサイクス・ピコ協定が通ったため、イギリスとフランスで分割することになる(ソ連は、これをすでに破棄していた)。
一方で、パレスチナだが、かの地はイギリスの統治領となったので、上の2つの密約(バルフォア宣言とフサイン・マクマホン書簡)を、もしかしたら実現してくれるのではないかという期待をこめて、双方がパレスチナに入る。
しかし、イギリスは双方の顔色を伺いながら、どっちつかずの政策をとっていたのだが、そのうちに両者の溝は深まり、1929年に起きたアラブ人の発砲事件で、両者の亀裂は決定的になる。
さて、第二次世界大戦後の1946年に、ユダヤ人がイギリス大使館を爆破。これに対して、イギリスはどうしたかというと、「もう統治できない」といって、この問題を国連に丸投げしてしまう。
それで、その国連が出したパレスチナ分割案(半分ずつに分ける)にパレスチナが反発。理由は、人口比が1:50という割合で、圧倒的にパレスチナ人が多かったため。そして、第一次中東戦争が起こり、これはイスラエルが大勝。分割案の1.5倍も多い領地を得る。
その後、泥沼化して現在に至る。
こういうものに、ユダヤ資本やらイスラム過激派やら、アメリカ大統領選やらのどろどろしたものが絡んで、今のパレスチナ紛争になっている。
イギリスから、国を作らせてあげようと言われた、イスラエルもパレスチナ側も可哀想だ。
この問題の解決策としてあげられるのは、まず1つ目は、両者に話し合ってもらい、聖地の獲得は、どちらかに妥協してもらう、ということだ。これは、どちらの心情を汲んでも、難しいところだが、そうしてもらうのが一番周囲としては、希望するところだろう。
また、他の選択肢としては、もうユダヤ人もイスラームも区別せず、両者が混じり合って、混成の国家(エルサレムを含む)を作ってしまう、ということだ。両者の反発するのが目に見えるが、これも可能であれば、周囲の望むところであろう。
また、もう一つ別の選択肢としては、エルサレムを含む今の、イスラエルとパレスチナ自治区を、国連が統治して、その中で、ユダヤ系の人々とイスラームの人々が、自由に暮らすことができるようにするというものだ。
そうでなければ、両者が戦争をまたするようでは、埒があかない。
皆、平和的な解決を望んでいる。
この問題については、おそらくユダヤ人側がどういう態度をとるかに、かかっている。日本人として、このユダヤの人々と繋がり、彼らに何らかのメッセージを送ることが重要になってくるのではないか。パレスチナ紛争は、ユダヤ側がどう動くかにかかっている。
ここで、日本とユダヤの関係を、少し眺めてみよう。
日本は、ユダヤに愛されている。ユダヤは、日本に愛されている。第二次世界大戦の最中、杉原千畝という日本の外交官がいた。当時、彼は、リトアニアの日本領事代理をしていた。世界中のユダヤ人から、日本のシンドラーと呼ばれて尊敬の念を向けられている。
1940年7月18日、杉原は異様な雰囲気の中で目を覚ました。領事館から外を見ると、周囲をたくさんの人がとりまき、血走った目をして何かを叫んでいる。すべてがユダヤ人。ナチスの迫害から逃れるため、日本の通過ビザを求めて集まってきた人々だった。
前年には、ナチスドイツがポーランドに侵攻、イギリス、フランスがドイツに対して宣戦布告をして戦火はヨーロッパ中に拡大。ナチスはユダヤ人を捕まえて、次々と強制収容所に送り込んでいた。収容所に入れば悲惨な運命が。大量虐殺…ホロコースト。
当時のユダヤ人たちの逃げ場はたった一つ、オランダ領キュラソー島。しかし、そこに行くためには、ソ連、日本を通過する以外道はなかったのである。
このとき日本とドイツは同盟関係。ユダヤ人を助ければドイツに対する裏切り行為になる。杉原は、ビザ発行の許可を得るために、日本の外務省に電報を打つが、返事がない。何度も何度も打った結果、やっと返ってきた回答は「ノー」
「私の一存で彼らたちを救おう。そのために処罰を受けてもそれは仕方がない。人間としての信念を貫かなければ」と決心した杉原は、それから懸命にビザを書き続けた。腕が腫れ上がり、万年筆が折れても、杉原は書き続けた。
杉原千畝は、ユダヤ人へのビザ発給により、約6千人もの尊い命をナチスドイツの迫害から救った外交官だが、ごく一般の環境と家庭の中で育った普通の人だった。その普通の人が、自国の文化を愛しながらも、他国の人と共感できる国際人としての資質を持ち、ユダヤ人大虐殺が行われた第二次世界大戦という特異な環境の中で、人間として偉大な行為を行ったのだ。
1900年1月1日、八百津町で誕生。小さい頃からおとなしくて優しい性格。それでいて、一度自分で決めたことは必ずやり通すという熱血漢―ミスター・スギハラ。
ユダヤの人たちはこの名前を決して忘れることはないだろう。
このことから、ユダヤの人々は、親日家が多いようだ。
日本とユダヤの結束が、今後の世界を占うと言っても過言ではない。
筆者の考えだが、もしユダヤの「選民思想」を、全世界の人々全てに広げられたら、世界はよっぽど変わるのに、と思う。「選民思想」は、多少傲慢にもとれる考え方だが、もし、今生きている人々が、世界全体を対象に「選民思想」を適用したら、とっても意味のあることなのではないか。
つまり、われわれ全てが「選ばれた民」であると。最初から、人間は選ばれて、この世に飛び出てきている。どの人も、昔、精子だったころ、我さきにと、卵子をめがけて競争したのである。この世に、生まれてくることさえ奇跡であると。そういう認識を持てば、大分人々の生き方は変わるだろう。われわれ、全てが選ばれた民であるとすると、それは、詰まる所、コスモポリタニズムにも成り得るんじゃないか、と思われるが。そうだとしても、「選民思想」を、そのまま押し広げてそうする、と言えば、ユダヤの人にも、少しは受け入れられ易くなるのではないかと思うので、そうしてみた。また、そういった考え方が、やはり新しいコスモポリタニズムになるんじゃないかと、思うのである。
日本も、昔、原爆を2発も落とされ、その悲劇は、否応なしに、われわれ日本人のDNAに刻み付けられている。それを、選ばれた民である、と解釈するのならば、われわれにも、これから為すべきことが、いろいろあると、思えるようになるのではないか。太陽をシンボルとする国に、もう一つの太陽が落とされた、そんな不可解な事件が、紛れもなく、この国に起こっているのである。まだ、その記憶は、消え去っていない。
歴史とは、ただ、昔にこんなことがあった、と記述されて、伝えられて、ただそれだけで終わるものではない。その昔に起きた出来事によって、今、私たちがどう生かされているのか、そこまで深く認識してこそ、それは歴史として、存在することができる。歴史とは、意味だ。われわれが、今生きる意味を、歴史は与えてくれるのである。
筆者は、苦悩とは、意味の母だと、思っている。人間は、苦悩することで、結果、人生の意味をそこに見出すことができる。よって、何の苦悩もないほど、味気ない人生はない、とまで思う。そう、まさに、日本とは、まさしく、歴史における苦悩によって、現代を生き続ける意味を得られてきたのではないだろうか。
どんな喜びの前にも、必ず、悲劇が用意されている。そう、受け取ることが出来たのならば、われわれに希望の光が差してくるのが見えるだろう。
遠い昔、ユダヤの人々も、たくさんの苦難を抱えてきた。国を作ったと思ったら、分裂。そして、分裂した、ユダ王国と、イスラエル王国も、ともに周囲の国に滅ぼされる。また、エジプトに奴隷として、連れて行かれてしまったり。「バビロン捕囚」も有名だ。そうして、自分の国を作りたい、作りたい、と願って、長い間、歴史の陰に埋もれてきたのである。
受難の歴史だ。そういう重い、感情が、われわれには心の底にこびりついているのである。受難があるからこそ、わかることもある。ニーチェが言う、超人もこのカテゴリーに入ってくるのではないだろうか。どんな、苦悩をも意味あるものに変えてしまう。もちろん、ニーチェは、復讐心から起こす行動は、ダメ、と非難しているが、それでも、なにくそ魂とも呼べる、そんな、負けん気の強さが、われわれ日本人とユダヤ人の特質として、あるのではないか。
受難の民が、いかに今後の世の中を生きていくのか、ということが、キーになってくると思えてならない。
そして、その狭い選民思想が、いずれ全世界を統べるまでに成長することを願って已まない。
さて、他にも日本の特質と言えるものはなんだろうか?
それは、日本は、万世一系の天皇が支配している、ということだ。
これは、世界にも類を見ないことらしい。他の国では、大体、革命が起こって、誰か別の人が、その国のトップになるなどして、昔からずっと続いてきた王朝は、ないらしい。
日本は、最古の国とも言われる。
日本には、芯のようなものが通っているとも言える。強い、強い、軸だ。と同時に、曖昧な軸だ。
私は、この皇室のような存在ほど、強く、しなやかなものはないと考える。この、系譜は太古より続いてきた。そして、現在に至るまで、途中、実際の皇から、国民の象徴へと変わり、続いている。この、国民の象徴というものに変わったというのが、いかにも日本らしい。戦後に、GHQの指示でそうなるも、なんとも、しだれやなぎの様な変貌ではないだろうか。形は、変えても、天皇制を無くさなかったことは、良いことだったと思える。
いずれ、天皇制は、また、復古するのかどうか、それは、まだ曖昧なままにしておこう、というところか。
日本という国の特質、また、他に挙げるとすれば、それは、対外的には無宗教だということだろうか。これは、すさまじい。
筆者は、無宗教こそ、一番強いと考えている。すがるものが、なくても、今を楽しんで生きられるのだから、とても、強いとさえ思える。また、いずれ宗教が必要な時が迫ったとしても、その時に、グッと力強く吸い込めるのだから、それまた、都合が良い。まあそこの所は、養老孟司の言葉を借りれば、「無宗教という思想」らしい。無宗教には、無宗教なりの力があるということだ。日本は、どこか未完成な、まだ成長過程である、という姿を表していることに他ならないと思う。日本が、今、無宗教なのは、まだ、色んなことを学ぶ姿勢がある、そして、いずれ自分を支える、未来の進んだ宗教観を醸成しようという目論見がある、と私はそう睨んでいる。まだ、成長過程なのだ。ニーチェの言う「力への意志」のようなパワーが、そこには感じられる。より良くなろう、より強くなろう、とする純粋なパワーを、そこに見たい。
また、ニーチェの言葉で「ニヒリズム」にも通じるものがある、と見て取りたい。日本は、無宗教で、今、まさに、生きる意味を見出しにくい状況に来ていると、思う。意味の喪失だ。しかし、ニーチェは言う、もともと、生きることに「意味」はないのだ、と。そうだとするならば、私たちは、自分たちで意味をそこに付与しなければならない、ということだ。意味を、これから好きに付けられるのだから、占めたものだ。私たちは、まだ水を吸っていないスポンジのようなものだ。意味の喪失ほど、凄まじいエネルギーはない。何かを、得ようとして、勢いよく事物に立ち向かっていくからだ。何もないところに、意味が流れ込んでいくことほど、衝撃的なことはない。ならば、入れよう偉大な意味を。
この宗教的に未完成な状態を、また、私たちは、デカルト的な懐疑の実験ともいうことができるだろう。少しずつ、国内に、色々な宗教のエッセンスを取り込み、これが、私たちの生活に役立つか、大切なものになりうるかどうか、または、不要なものとなるか、少しずつ時代を重ねながら、それが本物かどうかを吟味する姿勢が、そこにはある。まずは、あらゆるものを疑って、最後の最後に残る真理を見る。そういう姿勢は、なるべくギリギリまでとると、成果を多く得ることになるのではないか。そういう風に、デカルト的な懐疑が実践されると、大変意味のあることになるのではないかと思う。
また、日本という国の特質として挙げることができるものは、これではないだろうか。
日本人は、自分よりも大きな存在に対して、自分自身を捧げることができるということである。
日本は、図らずも、第二次世界大戦の時に、その特徴を存分に発揮した。
例えば、カミカゼと恐れられた、あの特攻隊の事例ひとつとってもそうである。
もちろん、劣勢だったことも理由にはあるが、それでも、なかなか難しいことである。これは負の側面であるが、これが善なることに全精力を傾けられたら、どんなに素晴らしいことになっただろうか、ということである。日本人には、ある集団のために個人を犠牲にする、ということを厭わない遺伝子があるように思える。
もちろん、戦時中でなくとも、戦後の復興の過程に対しても、それは言えることである。日本という国のために、たくさん働く。一度、就職したら、一生その会社のために働く。そういうことを、当たり前にやってのける民族であるのだ。
また、筆者は、この特質を、この物語にも見ることができる。それは、「銀河鉄道の夜」という宮沢賢治の書いた作品にである。
この話の中で、さそり座の誕生の話が出てくる。
「ある日、サソリが腹を空かせたイタチに追われて、必死に逃げた末に井戸のなかに落ちてし まった。そのとき、サソリは自分が今まで小さな虫たちをたくさん殺してきたことを悔やみながら、神様にこう祈った。『井戸の中でこんなふうに溺れ死んでしまうのだったら。イタチに自分の身を食べさせてあげればよかった。そうすればイタチも一日生き延びることができたはずだ。どうか神様、今までさんざん虫たちの命を奪ってきた私ですが、この次は、まことの幸いのために私のからだをお使いください』と。そして、サソリは神によって天に召され、闇を照らすための星になった……」
これこそ、まさしく、自分を誰かのために奉仕するということの、エピソードではないだろうか。
滅私奉公とも言える、この行為は、星になるほど美しい行為に違いない。もちろん、サソリはそう願っただけで、実際そうはしなかったものの、そう思うということも、また行為のうちに含まれる大事な作業なのだろう。
筆者は、最近、自分にとっての本当のよろこびとは、誰か自分以外のもののために、この力を尽くすことにあるのだろうと思っている。そして、その究極の形が、誰かに食べられるということなのだ、と。
それは、夏目漱石の言う「則天去私」という言葉にも表れているのだと言えよう。
ということで、次に挙げる日本人の特質は、夏目漱石に関わるものとしよう。
日本人は、明治期以降、東洋に西洋に、無残に引き裂かれた状態になったと言えよう。その状態を、見事に先取りして体現していたのが、当時の漱石であるのではないだろうか。彼は、漢籍にも通じており、また英語も話せたという。しかし、彼がロンドンに行った時、その環境に馴染めず、ノイローゼになったという話は、あまりにも有名である。それは、今、日本人が経験している苦悩の、まさしく先取りであったとも言える。漱石は、その後も、長い間、病魔に悩まされる生涯を送ったという。その通り、明治期のみならず、戦後も、そして今も、日本人は西洋と東洋の狭間を揺れ動く、葛藤を抱えた人々と捉えることができるだろう。
はっきり言って、精神分裂病的である。日本人は、精神病にかかりやすい人種であるらしい。また、戦後は、右、左、という点でも葛藤を続けてきた。今、ネトウヨなんて言葉も再興してきているが、おそらく、右、左、両方の考え方を折衷して考えられたら、精神面には好影響を与えるだろう。右翼だけが正しいわけじゃない、そして、左翼だけが正しいわけじゃない。ある程度自分の国に誇りを持って、変えるべきところは変えていくという姿勢が重要なんじゃないか。
そして、こうも言うことが出来るのではないだおろうか。葛藤を経た後の統合は、きっともっと素晴らしい状態をもたらしてくれるのではないだろうか。
筆者は、燦然と光り輝くような日本の未来と世界平和を信じて、この文章を終えたい。
日本には、その歴史上、見逃し難いいくつかの特質を持っている。
まず、一つ目に、世界で唯一の被爆国であることである。1945年8月6日には、広島に、8月9日には長崎に、それぞれ原爆が投下されている。私たち日本人にとって、忘れられない日となっている。まさに、受難の歴史だ。受難した者には、それなりの報いがあるに違いない。その報いとは、一体何なのか? 戦後の目覚しい経済発展だろうか。戦後の平和の到来だろうか。
私たちは、もう一度、なぜ原爆が自分たちの国土に落とされたのだろうか、という意味を再考する所に来ている、とそう感じる。原子爆弾の威力は、とても大きなものだった。その爆発を表現する時に、もう一つの「太陽」が落ちてきた、という時がある。爆発後には、広島市の上空に、大きな大きなきのこ雲が出来たと言われる。
筆者は、長崎に赴いたことがあり、爆発と同時に時刻が止まった時計など、衝撃的で、その時の様子を想い起こさせる遺品を、たくさん目にした。自分の目で、見ることで、本当にその場にいるかのような気がした。長崎に行ったのは、中学校3年の夏で、まさしく8月9日だった。筆者の故郷である、気仙沼市が、その年から、長崎に市内の中学生幾人かを派遣すると決めたのであった。それで、まず、初年度は私の母校である気仙沼中学校から、ということであった。筆者は、その頃生徒会をやっており、副会長だったもので、その行事に参加することになったのであった。
また、筆者は、小学3年生の時に、「この子たちの夏」という、朗読劇に参加している。これは、原爆に遭った人たちの見た世界を描いている作品だ。地人会という団体が、作成している。うちの母が、もともと地元で小劇場に参加しており、その関係で、僕もその舞台に出させてもらったという形だ。筆者が、その舞台の最初のセリフを担当していた。「8月6日のあの時、」から始まる。その舞台には、筆者以外にも何人かの子供が参加していた。それぞれが、それぞれの場所での被爆経験をつぶさに語っていく。前半は、子供たち中心に、後半は、大人たちを中心に劇は進んでいく。そして、最後に「生きよう。生き抜こう。」というセリフが、何度も何度もこだまし、舞台は終わっていく。
筆者は、これに参加できて、本当に良かったと思っている。
世界の今の状況を、ここで振り返ってみよう。
現在、世界で起きている紛争の数は、だいたい26ほどになっている。その中でも、長く続いている紛争がある。それが、パレスチナ紛争だ。これは、純粋な宗教戦争というより、大国の外交による産物だと言ったほうがいい。その為、戦っているユダヤ人も、パレスチナ武装勢力もある種の被害者だと言っていい。
対立の経緯を辿ってみよう。
時は、第一次世界大戦。ある大国が、3枚舌外交をやって退けた。それは、イギリスである。
当時、オスマントルコと戦っていたイギリスは、その裏側にあるパレスチナをけしかけてオスマントルコを混乱させようとする。その見返りとしてパレスチナの独立を承認するのだが―これがフサイン・マクマホン書簡と呼ばれる「密約」だ。フサインは当時のアラブ人首長だ。
これに応じて、フサインはヒジャーズ王国を建国。ダマスカスを占領するなど、オスマントルコを揺さぶる。
しかし、一方でお金の調達のために、ユダヤ資本にも働きかける。ロスチャイルド家に「金を援助してくれたら、約束の地(パレスチナ)におけるユダヤ人国家独立を承認する」とする。バルフォア宣言というもので、「密約」だ。
そして、さらに英仏露は、「戦争終結後に西アジアを3分割」という、サイクス・ピコ協定という「密約」を締結する。
しかし、その後、ロシアが革命で崩壊。その革命において、レーニンがこの密約を暴露。そのため、サイクス・ピコ協定が表に出てしまった。それで、その後に締結されたセーヴル条約で、このサイクス・ピコ協定が通ったため、イギリスとフランスで分割することになる(ソ連は、これをすでに破棄していた)。
一方で、パレスチナだが、かの地はイギリスの統治領となったので、上の2つの密約(バルフォア宣言とフサイン・マクマホン書簡)を、もしかしたら実現してくれるのではないかという期待をこめて、双方がパレスチナに入る。
しかし、イギリスは双方の顔色を伺いながら、どっちつかずの政策をとっていたのだが、そのうちに両者の溝は深まり、1929年に起きたアラブ人の発砲事件で、両者の亀裂は決定的になる。
さて、第二次世界大戦後の1946年に、ユダヤ人がイギリス大使館を爆破。これに対して、イギリスはどうしたかというと、「もう統治できない」といって、この問題を国連に丸投げしてしまう。
それで、その国連が出したパレスチナ分割案(半分ずつに分ける)にパレスチナが反発。理由は、人口比が1:50という割合で、圧倒的にパレスチナ人が多かったため。そして、第一次中東戦争が起こり、これはイスラエルが大勝。分割案の1.5倍も多い領地を得る。
その後、泥沼化して現在に至る。
こういうものに、ユダヤ資本やらイスラム過激派やら、アメリカ大統領選やらのどろどろしたものが絡んで、今のパレスチナ紛争になっている。
イギリスから、国を作らせてあげようと言われた、イスラエルもパレスチナ側も可哀想だ。
この問題の解決策としてあげられるのは、まず1つ目は、両者に話し合ってもらい、聖地の獲得は、どちらかに妥協してもらう、ということだ。これは、どちらの心情を汲んでも、難しいところだが、そうしてもらうのが一番周囲としては、希望するところだろう。
また、他の選択肢としては、もうユダヤ人もイスラームも区別せず、両者が混じり合って、混成の国家(エルサレムを含む)を作ってしまう、ということだ。両者の反発するのが目に見えるが、これも可能であれば、周囲の望むところであろう。
また、もう一つ別の選択肢としては、エルサレムを含む今の、イスラエルとパレスチナ自治区を、国連が統治して、その中で、ユダヤ系の人々とイスラームの人々が、自由に暮らすことができるようにするというものだ。
そうでなければ、両者が戦争をまたするようでは、埒があかない。
皆、平和的な解決を望んでいる。
この問題については、おそらくユダヤ人側がどういう態度をとるかに、かかっている。日本人として、このユダヤの人々と繋がり、彼らに何らかのメッセージを送ることが重要になってくるのではないか。パレスチナ紛争は、ユダヤ側がどう動くかにかかっている。
ここで、日本とユダヤの関係を、少し眺めてみよう。
日本は、ユダヤに愛されている。ユダヤは、日本に愛されている。第二次世界大戦の最中、杉原千畝という日本の外交官がいた。当時、彼は、リトアニアの日本領事代理をしていた。世界中のユダヤ人から、日本のシンドラーと呼ばれて尊敬の念を向けられている。
1940年7月18日、杉原は異様な雰囲気の中で目を覚ました。領事館から外を見ると、周囲をたくさんの人がとりまき、血走った目をして何かを叫んでいる。すべてがユダヤ人。ナチスの迫害から逃れるため、日本の通過ビザを求めて集まってきた人々だった。
前年には、ナチスドイツがポーランドに侵攻、イギリス、フランスがドイツに対して宣戦布告をして戦火はヨーロッパ中に拡大。ナチスはユダヤ人を捕まえて、次々と強制収容所に送り込んでいた。収容所に入れば悲惨な運命が。大量虐殺…ホロコースト。
当時のユダヤ人たちの逃げ場はたった一つ、オランダ領キュラソー島。しかし、そこに行くためには、ソ連、日本を通過する以外道はなかったのである。
このとき日本とドイツは同盟関係。ユダヤ人を助ければドイツに対する裏切り行為になる。杉原は、ビザ発行の許可を得るために、日本の外務省に電報を打つが、返事がない。何度も何度も打った結果、やっと返ってきた回答は「ノー」
「私の一存で彼らたちを救おう。そのために処罰を受けてもそれは仕方がない。人間としての信念を貫かなければ」と決心した杉原は、それから懸命にビザを書き続けた。腕が腫れ上がり、万年筆が折れても、杉原は書き続けた。
杉原千畝は、ユダヤ人へのビザ発給により、約6千人もの尊い命をナチスドイツの迫害から救った外交官だが、ごく一般の環境と家庭の中で育った普通の人だった。その普通の人が、自国の文化を愛しながらも、他国の人と共感できる国際人としての資質を持ち、ユダヤ人大虐殺が行われた第二次世界大戦という特異な環境の中で、人間として偉大な行為を行ったのだ。
1900年1月1日、八百津町で誕生。小さい頃からおとなしくて優しい性格。それでいて、一度自分で決めたことは必ずやり通すという熱血漢―ミスター・スギハラ。
ユダヤの人たちはこの名前を決して忘れることはないだろう。
このことから、ユダヤの人々は、親日家が多いようだ。
日本とユダヤの結束が、今後の世界を占うと言っても過言ではない。
筆者の考えだが、もしユダヤの「選民思想」を、全世界の人々全てに広げられたら、世界はよっぽど変わるのに、と思う。「選民思想」は、多少傲慢にもとれる考え方だが、もし、今生きている人々が、世界全体を対象に「選民思想」を適用したら、とっても意味のあることなのではないか。
つまり、われわれ全てが「選ばれた民」であると。最初から、人間は選ばれて、この世に飛び出てきている。どの人も、昔、精子だったころ、我さきにと、卵子をめがけて競争したのである。この世に、生まれてくることさえ奇跡であると。そういう認識を持てば、大分人々の生き方は変わるだろう。われわれ、全てが選ばれた民であるとすると、それは、詰まる所、コスモポリタニズムにも成り得るんじゃないか、と思われるが。そうだとしても、「選民思想」を、そのまま押し広げてそうする、と言えば、ユダヤの人にも、少しは受け入れられ易くなるのではないかと思うので、そうしてみた。また、そういった考え方が、やはり新しいコスモポリタニズムになるんじゃないかと、思うのである。
日本も、昔、原爆を2発も落とされ、その悲劇は、否応なしに、われわれ日本人のDNAに刻み付けられている。それを、選ばれた民である、と解釈するのならば、われわれにも、これから為すべきことが、いろいろあると、思えるようになるのではないか。太陽をシンボルとする国に、もう一つの太陽が落とされた、そんな不可解な事件が、紛れもなく、この国に起こっているのである。まだ、その記憶は、消え去っていない。
歴史とは、ただ、昔にこんなことがあった、と記述されて、伝えられて、ただそれだけで終わるものではない。その昔に起きた出来事によって、今、私たちがどう生かされているのか、そこまで深く認識してこそ、それは歴史として、存在することができる。歴史とは、意味だ。われわれが、今生きる意味を、歴史は与えてくれるのである。
筆者は、苦悩とは、意味の母だと、思っている。人間は、苦悩することで、結果、人生の意味をそこに見出すことができる。よって、何の苦悩もないほど、味気ない人生はない、とまで思う。そう、まさに、日本とは、まさしく、歴史における苦悩によって、現代を生き続ける意味を得られてきたのではないだろうか。
どんな喜びの前にも、必ず、悲劇が用意されている。そう、受け取ることが出来たのならば、われわれに希望の光が差してくるのが見えるだろう。
遠い昔、ユダヤの人々も、たくさんの苦難を抱えてきた。国を作ったと思ったら、分裂。そして、分裂した、ユダ王国と、イスラエル王国も、ともに周囲の国に滅ぼされる。また、エジプトに奴隷として、連れて行かれてしまったり。「バビロン捕囚」も有名だ。そうして、自分の国を作りたい、作りたい、と願って、長い間、歴史の陰に埋もれてきたのである。
受難の歴史だ。そういう重い、感情が、われわれには心の底にこびりついているのである。受難があるからこそ、わかることもある。ニーチェが言う、超人もこのカテゴリーに入ってくるのではないだろうか。どんな、苦悩をも意味あるものに変えてしまう。もちろん、ニーチェは、復讐心から起こす行動は、ダメ、と非難しているが、それでも、なにくそ魂とも呼べる、そんな、負けん気の強さが、われわれ日本人とユダヤ人の特質として、あるのではないか。
受難の民が、いかに今後の世の中を生きていくのか、ということが、キーになってくると思えてならない。
そして、その狭い選民思想が、いずれ全世界を統べるまでに成長することを願って已まない。
さて、他にも日本の特質と言えるものはなんだろうか?
それは、日本は、万世一系の天皇が支配している、ということだ。
これは、世界にも類を見ないことらしい。他の国では、大体、革命が起こって、誰か別の人が、その国のトップになるなどして、昔からずっと続いてきた王朝は、ないらしい。
日本は、最古の国とも言われる。
日本には、芯のようなものが通っているとも言える。強い、強い、軸だ。と同時に、曖昧な軸だ。
私は、この皇室のような存在ほど、強く、しなやかなものはないと考える。この、系譜は太古より続いてきた。そして、現在に至るまで、途中、実際の皇から、国民の象徴へと変わり、続いている。この、国民の象徴というものに変わったというのが、いかにも日本らしい。戦後に、GHQの指示でそうなるも、なんとも、しだれやなぎの様な変貌ではないだろうか。形は、変えても、天皇制を無くさなかったことは、良いことだったと思える。
いずれ、天皇制は、また、復古するのかどうか、それは、まだ曖昧なままにしておこう、というところか。
日本という国の特質、また、他に挙げるとすれば、それは、対外的には無宗教だということだろうか。これは、すさまじい。
筆者は、無宗教こそ、一番強いと考えている。すがるものが、なくても、今を楽しんで生きられるのだから、とても、強いとさえ思える。また、いずれ宗教が必要な時が迫ったとしても、その時に、グッと力強く吸い込めるのだから、それまた、都合が良い。まあそこの所は、養老孟司の言葉を借りれば、「無宗教という思想」らしい。無宗教には、無宗教なりの力があるということだ。日本は、どこか未完成な、まだ成長過程である、という姿を表していることに他ならないと思う。日本が、今、無宗教なのは、まだ、色んなことを学ぶ姿勢がある、そして、いずれ自分を支える、未来の進んだ宗教観を醸成しようという目論見がある、と私はそう睨んでいる。まだ、成長過程なのだ。ニーチェの言う「力への意志」のようなパワーが、そこには感じられる。より良くなろう、より強くなろう、とする純粋なパワーを、そこに見たい。
また、ニーチェの言葉で「ニヒリズム」にも通じるものがある、と見て取りたい。日本は、無宗教で、今、まさに、生きる意味を見出しにくい状況に来ていると、思う。意味の喪失だ。しかし、ニーチェは言う、もともと、生きることに「意味」はないのだ、と。そうだとするならば、私たちは、自分たちで意味をそこに付与しなければならない、ということだ。意味を、これから好きに付けられるのだから、占めたものだ。私たちは、まだ水を吸っていないスポンジのようなものだ。意味の喪失ほど、凄まじいエネルギーはない。何かを、得ようとして、勢いよく事物に立ち向かっていくからだ。何もないところに、意味が流れ込んでいくことほど、衝撃的なことはない。ならば、入れよう偉大な意味を。
この宗教的に未完成な状態を、また、私たちは、デカルト的な懐疑の実験ともいうことができるだろう。少しずつ、国内に、色々な宗教のエッセンスを取り込み、これが、私たちの生活に役立つか、大切なものになりうるかどうか、または、不要なものとなるか、少しずつ時代を重ねながら、それが本物かどうかを吟味する姿勢が、そこにはある。まずは、あらゆるものを疑って、最後の最後に残る真理を見る。そういう姿勢は、なるべくギリギリまでとると、成果を多く得ることになるのではないか。そういう風に、デカルト的な懐疑が実践されると、大変意味のあることになるのではないかと思う。
また、日本という国の特質として挙げることができるものは、これではないだろうか。
日本人は、自分よりも大きな存在に対して、自分自身を捧げることができるということである。
日本は、図らずも、第二次世界大戦の時に、その特徴を存分に発揮した。
例えば、カミカゼと恐れられた、あの特攻隊の事例ひとつとってもそうである。
もちろん、劣勢だったことも理由にはあるが、それでも、なかなか難しいことである。これは負の側面であるが、これが善なることに全精力を傾けられたら、どんなに素晴らしいことになっただろうか、ということである。日本人には、ある集団のために個人を犠牲にする、ということを厭わない遺伝子があるように思える。
もちろん、戦時中でなくとも、戦後の復興の過程に対しても、それは言えることである。日本という国のために、たくさん働く。一度、就職したら、一生その会社のために働く。そういうことを、当たり前にやってのける民族であるのだ。
また、筆者は、この特質を、この物語にも見ることができる。それは、「銀河鉄道の夜」という宮沢賢治の書いた作品にである。
この話の中で、さそり座の誕生の話が出てくる。
「ある日、サソリが腹を空かせたイタチに追われて、必死に逃げた末に井戸のなかに落ちてし まった。そのとき、サソリは自分が今まで小さな虫たちをたくさん殺してきたことを悔やみながら、神様にこう祈った。『井戸の中でこんなふうに溺れ死んでしまうのだったら。イタチに自分の身を食べさせてあげればよかった。そうすればイタチも一日生き延びることができたはずだ。どうか神様、今までさんざん虫たちの命を奪ってきた私ですが、この次は、まことの幸いのために私のからだをお使いください』と。そして、サソリは神によって天に召され、闇を照らすための星になった……」
これこそ、まさしく、自分を誰かのために奉仕するということの、エピソードではないだろうか。
滅私奉公とも言える、この行為は、星になるほど美しい行為に違いない。もちろん、サソリはそう願っただけで、実際そうはしなかったものの、そう思うということも、また行為のうちに含まれる大事な作業なのだろう。
筆者は、最近、自分にとっての本当のよろこびとは、誰か自分以外のもののために、この力を尽くすことにあるのだろうと思っている。そして、その究極の形が、誰かに食べられるということなのだ、と。
それは、夏目漱石の言う「則天去私」という言葉にも表れているのだと言えよう。
ということで、次に挙げる日本人の特質は、夏目漱石に関わるものとしよう。
日本人は、明治期以降、東洋に西洋に、無残に引き裂かれた状態になったと言えよう。その状態を、見事に先取りして体現していたのが、当時の漱石であるのではないだろうか。彼は、漢籍にも通じており、また英語も話せたという。しかし、彼がロンドンに行った時、その環境に馴染めず、ノイローゼになったという話は、あまりにも有名である。それは、今、日本人が経験している苦悩の、まさしく先取りであったとも言える。漱石は、その後も、長い間、病魔に悩まされる生涯を送ったという。その通り、明治期のみならず、戦後も、そして今も、日本人は西洋と東洋の狭間を揺れ動く、葛藤を抱えた人々と捉えることができるだろう。
はっきり言って、精神分裂病的である。日本人は、精神病にかかりやすい人種であるらしい。また、戦後は、右、左、という点でも葛藤を続けてきた。今、ネトウヨなんて言葉も再興してきているが、おそらく、右、左、両方の考え方を折衷して考えられたら、精神面には好影響を与えるだろう。右翼だけが正しいわけじゃない、そして、左翼だけが正しいわけじゃない。ある程度自分の国に誇りを持って、変えるべきところは変えていくという姿勢が重要なんじゃないか。
そして、こうも言うことが出来るのではないだおろうか。葛藤を経た後の統合は、きっともっと素晴らしい状態をもたらしてくれるのではないだろうか。
筆者は、燦然と光り輝くような日本の未来と世界平和を信じて、この文章を終えたい。