はじめて京まふに連れていった長女、大好きなアニメの展示をたくさん観て大喜びしていた。外に出ると、オタクの方たちがアニソンにあわせてオタ芸を披露していた。
「オタクってすごいな!感動した」「オタクのオタクになるわ」これからオタ芸を練習して、小学校の卒業式の余興で披露したいらしい。
文學界10月号に中篇小説「また次の夜に」が掲載されています。
たったひとりの娘を自死で喪ったシングルマザーの女性が、その後どう生きていくのかということを描いた作品です。
手にとっていただけたら嬉しいです。









川崎ゆきおさんが亡くなった。川崎さんは僕にとって、猟奇王そのものだった。平成4年の8月、32年前にいただいたサイン。その頃僕は17歳で、描いたマンガをたくさん川崎さんに見ていただいていた。









川崎ゆきおさんが亡くなった。出会ったのは92年、ぼくが17歳の頃だった。


マンガ家になりたかった当時、京都で開かれたマンガ講座に参加したら講師のひとりに川崎さんがいらっしゃった(他にはひさうちみちおさん、山田章博さん、蛭子能収さん、内田春菊さんなど)。


「ガロ」を愛読していて『猟奇王』が大好きだった僕は、講義のあとに話しかけて連絡先を交換した。それから20歳頃まで、多いときには月イチくらい、お会いしてたくさん話をした。


川崎さんは当時40代で、親くらいの世代だった。梅田の喫茶店で会って、描いたマンガを見てもらったり、川崎さんの考えていることを聞かせていただいたり、とりとめのない時間をいっぱい過ごした。

その頃はラカンを読まれていて、リュックから「セミネール』をだして、書かれていることを楽しそうに話してくださった。

中華料理屋でご飯をご馳走になり、食後にまた喫茶店に寄り、川崎さんをまねしてアイスコーヒーを飲んだ。


川崎さんは猟奇王そのものだった。当時の言葉でいうと「登校拒否児」で、部屋に引きこもって本を読み、マンガを書いてばかりいた僕にとって、語弊のある言い方だが、「こんな大人もいるんだ」と実感することで救われたことがたくさんある。


川崎さんは僕の親と同世代だ。親の世代は高度経済成長期に若い頃を過ごしてきて、「いい大学に入っていい会社に入り、お金をたくさん稼げば幸せになれる」と父親から言い聞かせられて僕は育った。

いわゆる就職氷河期といわれる時代はその数年後だが、僕は17歳の当時から、その父親の価値観に違和感を抱いていた。だからこそ、川崎さんの、何にもよりかからず自分らしく生きている姿に、ひとりでいることを寂しがらずに楽しんでいる姿に、幸せとか不幸せとかいう価値観の向こう側にいる生き方に、自分の世界を大きく広げられた。


川崎さんとのお付き合いは、17歳から20歳頃まで続いた。大阪芸大に入った僕は学生演劇に夢中になり、脚本と演出と出演を担当して梅田の劇場で上演したのだが、その芝居を見にきてくださったこともある。


しばらくして僕が東京に引っ越したこともあり、しだいに疎遠になってしまったが、共通の知り合いを介して話を聞くこともたまにあり、どうされているのかな、とたまに思いだしていた。


27歳から小説を書き始めて20年以上経つが、僕の創作の姿勢の根幹には、17歳の頃に川崎さんの姿勢から学んだことがたくさん反映されている。


そしていま40代になり、京都芸術大学で10代の学生たちに小説の創作の指導をしながら、いつの間にか自分を、あの頃の川崎さんと重ねて考えている瞬間が多々あった。あの頃に受け取ったものを、いまの10代の人たちに投げ返したいなと思うことも。


ちょっと前に縁があり、川崎さんを巡る書籍の企画を立てている方と知り合った。僕はそれに喜んで関わることにしたが、日程が合わず延び延びになっていた。

でもこの企画に関わっていれば、そのうち久しぶりに川崎さんに会えるかも、と思っていた。同じ頃に知り合った、『ガロ』に描かれていた森本暢之さんとは数年前に30年ぶりに再会できたから。


その矢先の報せだった。

川崎さん、ありがとうございます。30年以上も前のことだけど、ふたりで梅田の駅前ビルのなかをさまよって、いくつも喫茶店をはしごしながらお話した時間は、いまも僕の生きる糧になっています。

きょう大学の研修で、講師の方が「キャッチボールのジェスチャーをしてください」と。参加者のほとんど(教員)はボールを受ける動作をした。「学生たちにこれをしてもらうと、9割は投げる動作をするんです」とのこと。さっそく帰って子どもたちに試したら投げる動作をしていた。若いってすごい。
本日の姉妹喧嘩。

長女「きょうからおまえのこと承認欲求のかたまりって呼ぶわ!」

次女「きょうからおまえのこと、ハナクソのかたまりって呼ぶわ!」

……。

現代ビジネスの連載。今回は、娘たちと社会問題について話しあいました。想像もできなかったような意見がいろいろ聞けました! ぜひ読んでください。

「もしパパが悪いことしたらどうする?」11歳少女が考えた、犯罪加害者「家族へのバッシング」の意外な答え

 

 

 

後編はこちら。

「その人ら、家族の絆もろすぎひん?」選択的夫婦別姓について、11歳の娘が放った「感動の一言」

 

 

子どもたち、学校から帰るなり700円握りしめてスーパーに行き、アイスを爆買いしてきた…




AIで書かれた小説には「聖地」はない。少なくとも聖地巡礼をしたいという思いを読者に引き起こさないだろう。たしかにそこに人が立っていて、いろんな思いを巡らせて作品の舞台として形にしていったんだな、ということに心を動かされるのが聖地巡礼。
今日は子どもたちの友達が5人遊びにきた。4年生4人に6年生ひとり。子どもたちもあわせて女の子7人で賑やかだった。4年生の子たちに僕はなぜか「アイドルパパ」と呼ばれている。