天災は忘れた頃にやって来る」は、実に真意を突いている。


元旦に発災した能登半島地震に、正月気分は吹っ飛んだ。


元旦の一家団欒中に大地震が起きるとは誰も予想だにしていなかっただろう。


そして翌2日は日航機衝突事故が起き、年明け早々、こうも続け様に災難に遭うとは、天は日本を見放したのかと思ったほどだ。


本来、昨年9月に訪れた大阪旅の続編をUPする予定でいたが、また別の機会に譲ることにする。


毎年1月2日に訪れている恒例の塩竈神社参拝も中止にした。


1978年·宮城県沖地震、1999年·921台湾中部大地震、そして2011年·東日本大震災の、3度の大震災を経験している身にとって今回の能登半島地震は他人事ではない。


酷寒の折、被災地は今「忍」の一字で、ひたすら耐えに耐えている頃だ。そう思うと胸が痛む。




そんな喪失感に駆られてから2週間が過ぎ、諸々の想いが込み上げてきて、無性に映画ゴジラ−1.0が観に行きたくなった。居ても立っても居られない。




映画館でゴジラを観たのは、昭和49年、小5の時のゴジラ対メカゴジラ以来だ。







日本を絶望へ突き落とすゴジラ


先の大戦で焦土と化し、打ちのめされた日本に、ゴジラが我が物顔で襲う。「−1.0」の意味を、ここでやっと理解する。


上映初っ端、スクリーンいっぱいに映し出される終戦直後の東京の焼き野原が、至る所ガレキだらけだった東日本大震災とクロスオーバーし、もう冒頭から涙腺が崩壊するわたくし。


当時、家族を守るため、生きるため、水と食糧確保に必死だった。また、知人5名が津波に飲み込まれ、帰らぬ人となった。




物語が進むに連れ、大戦を生き延び、帰還した兵士たちが、ゴジラに立ち向かうため、心を一つにしていく。


彼らの戦争はまだ終わってなかったのだ。その過程に再び涙するわたくし。


単なる怪獣映画ではない。もしろ人間ドラマに比重を置いたストーリー展開だ。


この映画は、大戦を生き抜いた男たちと、その男たちを支えた女たちの物語だと言っていい。


あの時代の女は強かった、強かった!そうでなければ生きていけない。


そう、皆、生きて抗っていたのだ。


山崎貴監督には、やられた。泣かされた。


映画ゴジラ−1.0を通じて、東日本大震災で叫ばれていた「日本一心」を改めて思い出す。


今回の能登半島地震においても声を大にして叫びたい。


日本一心




〜モノクロで〜


この一週間後、マイナスカラー(モノクロ)版を観に行く。


同じ映画を映画館で2回観るのは今回が初である。


時代背景が昭和20年〜22年ということもあり、モノクロにすることで、その時代へタイムスリップした感、没入感に深く浸る。


また、モノクロ版はカラー版に比べ、臨場感やリアルさがより一層増しているように見える。観た人すべてがそう感じていると思う。



ゴジラシリーズで毎回ありがちな政府の内閣府は今回登場しない。


戦後のさらなる混乱を避けたい政府は緘口令を敷き、静観するのみ。


敗戦により武装解除され、自国の軍隊を持たない日本。自衛隊の前身、警察予備隊も存在しない時代だ。


米国は、ソ連を刺激したくないため、ゴジラ対策のための武器供与、支援はしない。


残された方策は、戦争帰りの男たちを中心とする民間人主導で日本を守らなければならない。極々限られた火器をかき集めて。


大戦中のこれまでは命を粗末にしてきた日本。ゴジラとの決戦を前に、今回は、死ぬための戦いではなく、未来を生きるための戦いです。の台詞にぐっと来る。



カラー版でも頭の中を駆け巡ったが、モノクロ版で再び以下のことを反芻する。


戦時中、女子挺身隊として東京の軍需工場で勤労していた母。


フィリピン海域を航海中、米軍に撃沈され、海に散った叔父。


大戦中、2度も派兵され、死と隣り合わせの激戦を幾度も経験し、奇跡的に帰還を果たした知人の祖父。


職業軍人だった台湾の義父。等々•••


それらを想起し、また目頭を熱くする。


もう終始泣きっぱなしだった。




三浦春馬が•••


山崎監督よ、あなたは、とんでもなく人を泣かせる映画を作ったものだ。 


以後のゴジラシリーズも、あなたが作るべきだ。そう願うのは何もわたくしだけではないでしょう。


わたくしには、このゴジラ−1.0が「永遠の0」の続編のように思え、監督は主人公敷島浩一役に本来三浦春馬を起用したかったと推測する。


三浦を慕っていた神木隆之介もそれを強く感じていたはずだ。


敷島浩一役を見事演じ切った神木を一番喜んでいるのは、他ならぬ三浦春馬だろう。


三浦は今頃、ゴジラ−1.0が米国アカデミー賞視覚効果賞にノミネートされたことに、あの爽やかな笑顔で歓喜しているに違いない。



今更ではあるが、三浦春馬には生きていてほしかった。


ゴジラ−1.0の如く、生きて抗ってほしかった。


この映画で、後半重要な役割を果たす日本海軍局地戦闘機震電。本来なら、その機体を操縦しているであろう彼の姿が鮮明に浮かんでくる。



生きて、抗え


生きて、抗え


生きて、抗え