先週、平日の午後4時、県の献血センターから電話が来た。


疫病再拡大と猛暑の影響により血液が不足しており、特にAB型が足りず、緊急を要する献血の依頼であった。


そう、わたくしの血液型はAB型で日本人に1割しかいない。


献血センターに登録してから今年で丁度20年になるが、電話で要緊急の献血依頼を受けたのは覚えているだけで今回が3度目だ。


利他であり、自分のためでもある。徳を積む献血。


人命に関わることなので、他のことは差し置いてでもできるだけ応じるようにしている。


また、わたくしが二十代前半の頃、鉄欠乏性貧血になり、献血できなかった苦い経験があり、その分を取り戻そうという思いもある。


そのような訳で今回電話を受けてから翌日の朝一番の予約で献血へ行った。


仮に自分が突然のケガや疾病により輸血が必要になった場合、人様の身体から授かった血で自分の命が助かることになるのだから。という相互補助精神の意味もある。


輸血を禁じている某宗教の信徒には、このような精神は皆無だろうが。宗教によって人命が左右されるなんてまっぴらごめんである。



ここでふと思う。今ウクライナでは多くの血を必要とし、国民総力で血をかき集めているだろう。


もしウクライナ支援の一環として血液輸送のために献血依頼が来たら、即応じたい。




わたくしが行なっている献血の種類のほとんどが成分献血である。約1時間半かかるのだが、自信を持って言う、間違いなく途中から寝ている。間違いなく。


献血台が絶妙の角度で体が至極快適。あまりの気持ちよさに簡単に入眠してしまうのだ。これって献血経験者はありありだと思う。特に時間のかかる成分献血には。



妻が400cc献血を行った際のもの。妻自身撮影。



今回の献血でいただいた上から携行用扇風機、除菌布巾、オリジナルデザインの食品用ラップ。



献血というと、わたくしは、どうしても米国駐日大使を歴任したライシャワーを想起してしまうのである。


献血制度のきっかけとなったライシャワー事件


1961年〜1966年まで駐日米国大使を務めたライシャワーが、在任中精神障害者にナイフで大腿を刺され重傷を負う。直ちに病院に搬送され外科治療の際に輸血を受け、一命を取り留めた。


その後ライシャワーは、私の体には日本人の血が流れていると語り、日本中をいたく感動させたが、当時はまだ売血が行われており、質の悪い血が出回っていた。それが元で彼は肝炎を患い、退院するまで3ヶ月を要した。


この事件をきっかけに売血が禁止され、輸血用血液は赤十字社が一括管理し、献血により血液を確保するようになった。現在日本で安心して献血と輸血ができるのはこのためだ。


わたくしがこの史実を知ったのは中学生時代、理科担当の先生が授業中、教えてくれたからである。


教科書とは関係ない「よもやま話」が好きな先生だったが、ただの雑談ではない、大変有意義な「よもやま話」を語り、普段は不真面目な生徒も、先生の話に引き込まれ、皆真剣に傾聴していた。


ところで、今の若い先生たちは、上述のライシャワー事件をご存知だろうか⋯


日本生まれ、幼い頃から自然に身につけた日本語と日本文化、配偶者が日本人と、稀代の日本通として知られたライシャワー。彼のような駐日大使は二度と現れないだろう。


ちなみに台湾においては1990年まで売血が行われており、当時日本と同様に質の悪い血液が出回っていた。また、カネが絡むので闇社会につけ入る隙を与え、社会問題化していた。



さて、献血には年齢制限あり、69歳までだ。それまでまだまだ道のりは長い。


疫情が落ち着き、一切の気兼ねなく旅へ出られるようになったら、ぜひ旅先で献血したい。献血センターへ登録していれば全国どこでも献血可能だ。



献血後の休憩室。看護師より、ここでたっぷりと水分補給するよう念を押して言われる。


飲み物は、レストランのドリンクバー顔負けの種類の多さだ。もちろん飲み放題。お菓子もあり。